管見談 チャットGPTで現代語訳 ②公儀-9
18.賞罰の適正な運用がいかに重要か
原文
一、賞罰は勧善懲悪の道にて国の大権けん也、賞罰共当らされは大なる国の禍となる也、
故に君上の大ニ慎給ふ処也、賞ハ過る程善と云ふ人あれ共、賞も過る時は功を励之賞を得ん為めにして、忠義の志にあらさる故、
風俗大に軽薄になりて国の治らさる基となるなり、賞も規模なる様にあるへき事なるへし
現代語訳
一、賞罰は、善を勧め悪を懲らしめるための道であり、国の大権であります。もし賞罰が適切に行われなければ、国にとって大きな災いとなります。
そのため、君主はこれを非常に慎重に行うべきです。ある者は「賞は多ければ多いほど良い」と言うかもしれませんが、賞が過度になると、人々は功績を励むのは賞を得るためであり、忠義の心からではなくなります。
これにより、風俗が大いに軽薄となり、国を治める基礎が崩れてしまうのです。したがって、賞も適切な規模で行うべきことです。
19.昔の重役任命の際の儀式や制度の復活
原文
一、往古何の御代迄の事なりしか、重役を被仰付には於御堂被仰付、又式日の御通り御酒も重役の者は於御堂賜りしと申也、又延宝の始頃迄位記とも申へきものありし申也、其事は
今度何役被仰付御加増何百石何千石被宛行畢、弥可抽御奉公者也、
仍如件
延宝二年何月奉行居判
何之何右衛門殿
右は大奉書を横折にして如是認め、美濃紙にて上包之、内の如く姓名を記て賜りしと也、ケ様の事の廃れしは惜むへき事也
現代語訳
一、昔、いつの時代までのことかはわかりませんが、重役に任命される際には、御堂で任命の儀式が行われました。また、式日(しきじつ:儀式の日)には、重役の者に御堂でお酒が賜られたとも伝えられています。さらに、延宝(えんぽう)時代の初め頃までは「位記(いき)」とも呼ばれる書類があったそうです。その内容は次のようなものです。
今度、何某(なにがし)の役職に任命され、何百石、何千石の
加増を賜り、ますます奉公に努めよ
延宝二年何月 奉行居判 何某右衛門殿
この大奉書(だいほうしょ)を横に折り、美濃紙で包んで、その上に姓名を記して賜ったといいます。このような制度が廃れたのは惜しいことです。
20.、公事奉行の役割の重要性や、現在の町奉行の兼務体制がもたらす問題点
原文
一、昔は公事奉行と云者あり、御入国の砌、北條左近、和田舎人勤め、続て桜靭負、東條喜右衛門なと勤たりと云り、当時は町奉行公事訴訟をも兼司る故、事ある時ハ侍組も三御馬廻も町奉行所へ呼出るゝ也、士人か町家支配処江へ出るハ大なる恥辱也、
近年ハ御裁許迄軽キ事は町奉行所にて申渡しありと云り、貴賎の差別無く士風を猥り御治世の害となるへし、且又町奉行役の者兼帯の公事裁判か煩多なる故、本役の町家の支配は片手業になる故、町下の事甚乱り也、
因而町奉行両人之内一人ハ公事奉行にして公事訴訟一向に勤め、町奉行ハ町家の支配一向に司る様にあらは御治世の一助なるへし
現代語訳
昔は「公事奉行(くじぶぎょう)」という役職がありました。御入国の際に、北條左近(ほうじょうさこん)、和田舎人(わだのとねり)がその職を務め、その後も桜靭負(さくらゆきえ)、東條喜右衛門(とうじょうきうえもん)などが勤めたと言われています。現在では、町奉行が公事(訴訟)も兼務しているため、事があれば侍組や三御馬廻(みうままわり)も町奉行所へ呼び出されます。武士が町の支配者のもとへ出向くのは、大変な恥辱です。
近年では、軽い案件に関しては町奉行所で裁許(判決)が下されると聞いています。このため、貴賎(きせん:身分の高低)の差別がなくなり、士風(武士としての風紀)が乱れ、治世に害を及ぼすでしょう。また、町奉行の者が公事裁判を兼務しているため、その負担が大きくなり、本来の町家(まちや)の支配が片手間になり、町の秩序が乱れています。
そこで、町奉行二人のうち一人を「公事奉行」として専任させ、公事(訴訟)のみを担当させ、もう一人の町奉行は町家の支配に専念させるようにすれば、治世の助けとなるでしょう。
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