10-FEET「第ゼロ感」の歌詞がすごい『THE FIRST SLAM DUNK』考察
10-FEETさんの「第ゼロ感」の歌詞の意味について、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の内容に沿って解釈してみます。
『THE FIRST SLAM DUNK』100億円突破おめでとうございます!映画も「第ゼロ感」も、もうとにかく最高です。
何度も観に行っては感動しているのですが、観れば観るほど「第ゼロ感」の歌詞の物凄さがわかってきたので、考察したことをまとめてみました。
曲の解釈は聴いた人の数だけありますので、あくまで一個人の感想としてご覧いただけると幸いです。
※完全に映画のネタバレになっているので、観ていない方は絶対に読まないようお願いします。
もしまだ観ていない方がいたら、今すぐ映画館に観に行ってください!
①タイトルについて
「第ゼロ感」というタイトルの意味は、「五感の手前にある、心・想い・気持ち」のことだそうです。
五感とは、身体の器官を通じて感じる、視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚のこと。ちなみに第六感は、感覚器官を超越した、直感や霊感。
『SLAM DUNK』という作品の、熱さや感動をもたらすものが、五感の元にある「第ゼロ感」とのことです。
作詞作曲の10-FEET TAKUMAさんがラジオで語っていらっしゃったのですが、お聴きになった方のTweetを引用させていただきます。
歌詞全体を通して、映画の主人公である宮城リョータを中心とした内容になっているので、このタイトルの意味をざっくり言うと「宮城リョータの心・想い」と捉えることができます。
②歌詞の構成について
歌詞全体を見ると、前半と後半に大きく分かれた構成になっています。
前半は、日本語の文章でつづられた、映画のストーリー部分(リョータの過去)。後半は、より短文で英語が多く、バスケの試合(山王戦)の熱さが表現された内容になっています。
前半後半で分かれているのが、作中の試合のようで、映画を表現するためにこだわって作ってくださったことが伝わってきます。以下の考察も、前半後半という区切りで書いていきます。
③歌詞の考察
前半の歌詞(1番)
前半の歌詞のうち、1番は小~中学生時代、2番は高校生のリョータの過去を想起させる内容です。
「群れ」とは、リョータの家族。次の詞に出てくる「獣」=リョータなので、宮城一家を「獣の群れ」とたとえています。
父亡き後、家族の支えになっていた兄が事故で帰らぬ人となり、その悲しみから抜け出せない母と、リョータは互いにすれ違ってしまいます。なので「群れを逸れて」とは、リョータの心が家族とバラバラになってしまったこと。
ここでの「夢」とは、リョータのバスケにかける夢ですが、具体的には、映画冒頭で兄と1on1をした場面でリョータが語った「レギュラーになる」という夢があります。
つまり「夢を咥えた」というのは、小学生のリョータが兄を喪い孤独な中で、レギュラーになるという目標を心の支えに、懸命にバスケに打ち込んだこと。
そうすれば、「それが最後になる気がした」=自分も母も、兄の死を悲しむ辛い日々が終わりになると思っていた、(でも終わりにできなかった)という過去が描かれています。
印象的なのは「それが最後になる気がしたんだ」という歌詞で、前半に4回も出てきます。繰り返すことで、リョータが兄の死から立ち直ろうともがくけれども、何度も何度もうまくいかなかった、という8年にも及ぶ葛藤が表現されています。
ここでは一文の中に、小学生のリョータが試合に負け、母と喧嘩になってしまった場面から、兄を忘れるため沖縄を離れた場面に至る、リョータの苦しさや無力感が、ぎゅっと込められています。
「獣」=リョータ(このことはTAKUMAさんによる解説がありました)。
一握りの砂とは、たった一掴み分しかない、ほんのわずかな砂のこと。「砂を一握り撒いた」は、子供のリョータが、小さい手でわずかに握りしめていた砂を撒いて、手放してしまったという意味になります。
ここで考えたいのは、映画内のリョータが、実際手に握りしめていたものは何か? それは、亡き兄の赤いリストバンドなんです。
母が、兄の遺品を処分しようとし、リョータがそれを止めようと喧嘩になったシーンの後。リョータが部屋の隅でうずくまり、握りしめていたのは、大事な兄のリストバンドでした。
このとき握っていたリストバンドは、数年後、高校生になったリョータが里帰りした際に、洞窟の秘密基地で発見します。なので、リョータはこのリストバンドを秘密基地に隠すことで手放し、沖縄から神奈川へ引っ越して行ったと想像されます。
「砂」には、故郷沖縄のイメージも込められています(2番の歌詞「熱砂」も沖縄の砂浜のこと)。
よって「砂を一握り撒いた」に表されているのは、生まれ育った沖縄、家族の思い出の詰まった我が家、兄との思い出や、遺品のリストバンド、そういったリョータの握りしめていた大事なものの、「砂」のような儚さ。そしてそれらを「撒いた」=手放したこと。
「それが最後になる気がしたんだ」は、故郷や兄との思い出をすべて手放して、新しい土地でやり直せば、きっと兄の死を忘れて、辛い日々を終わりにできるはずだと思っていた。このような意味が読み取れます。
「不確かな夢」とは、リョータのバスケへの夢。雑誌を見て、自分を重ねて憧れていた選手達のようになりたいという夢です。
「不確か」というのは、まだ子供(小~中学生)のリョータにとっては、インターハイやプロの舞台はとても遠い世界であり、自分がそうなれるかはまだ何もわからないこと。
「不確かな夢叶えるのさ」には、今はまだ不確かでも、いつか必ず叶えるんだという、リョータの強い決意が表れています。
「約束の夜に」は「静寂の朝に」と対になっている表現です。リョータが、兄との約束を想う夜には、不確かな夢を叶えると決心していた。そして朝には、微かな風に夢を願っていた。という風に読み取れます。
原作で、ゴリが一年のときから海南との戦いを毎晩寝る前に想像していた、と語るシーンがありますが、そのような感じで、リョータも毎晩のように夢を叶えると自分自身で固く誓っていた様子が想像されます。
夜でも朝でも、毎日毎日バスケだけを支えに生きてきた、というリョータの年月が感じられ、ひたむきなバスケへの想いが伝わってきます。
「微かな風」=兄・ソータを思い出させる風。
『THE FIRST SLAMDUNK re:SOURCE』の井上監督による解説で、「風でソータの存在を感じさせる」ということが書いてあったので、リョータは風が吹く度に兄の存在を近くに感じている、といったイメージです。
「遠い星の少年」=星になってしまった兄・ソータ。
「その腕に約束の飾り」=ソータがつけていた赤いリストバンド。
この「約束」は、兄弟で拳を突き合わせていた誓いの様子。兄と交わした、「母ちゃんを頼むぞ」という約束もあります。
「まだ旅路の最中さ」は、リョータが沖縄から神奈川へやってきた「旅」であると同時に、兄のいない世界でどう立ち直って生きていくのか、そして自分のバスケに対する夢を叶える道を探している途中だという、人生の「旅」でもあります。
「幻惑の園」は、まだおぼろげながらも、リョータの心を魅了する華々しいバスケの舞台。兄と夢見たインターハイの舞台。まだ辿り着けない遠い夢の舞台を目指し、向かっていくリョータが描かれています。
前半の歌詞(2番)
ここは、リョータのバイク事故のシーンのイメージです。
「霞んで消えた轍」は、事故の際、白くぼやけて道が見えなくなった描写。
「轍の先へ」は、視界がまっしろになり、その先で見た沖縄の景色。そこへ行くことにしたリョータ。
「それが最後になる気がしたんだ」というのは、懐かしい沖縄に帰ることで、三井達と喧嘩になり、母ともうまくいかない、苦しい状況から抜けだせる気がした、という意味合いです。
「手負の夢」は、リョータが喧嘩とバイク事故で大怪我を負ったと同時に、バッシュを捨ててしまうほど、ボロボロに傷ついたバスケへの夢。リョータ=獣とたとえられているので、手負という言葉もぴったりです。
「紡ぎ直せば」は、リョータが秘密基地で兄との思い出に触れ、もう一度バスケやインターハイを目指す夢を取り戻したこと。
そして兄の夢でもある、「インターハイ王者山王に勝つ」という夢に向かえば、「それが最後になる気がしたんだ」=これまでの辛い状況や、不甲斐ない自分を脱することができると思った、ということです。
「熱砂を蹴り抗う」は、沖縄の砂浜で走り込むシーン。うまくいかない、理不尽な状況にも抗う、強い意志を取り戻したリョータ。
「約束の前に」は、兄と語り合った、インターハイに出場し山王に勝つという夢(=約束)を胸に刻み、大会に挑むこと。インターハイを前に、練習に励むリョータの姿。
「命綱は無い」とは、試合は負けたらそこで終わり。強豪校を相手に、ギリギリの綱渡りのような戦いを勝ち抜かなくてはいけない、インターハイへの厳しい道のりのこと。
「サーカスの夜に」は、そうした試合のことや、リョータのプレイのアクロバティックさがサーカスにたとえられています。
また、「夜」という言葉が、どうなるかわからない戦いが待ち受ける、不安なイメージを膨らませていきます(リョータの心が、試合を「夜」のように不穏に感じている様子)。
「まだ旅路の最中さ」は、インターハイへ向かっていく途中のリョータ。
また、兄を喪った悲しみにとらわれ、すれ違ったままの母との関係を、立て直す旅の途中ということもあります。
「あの場所」とはインターハイ、兄と夢見た山王戦の舞台。
「加速するさらに」は、遠くおぼろげだった目指すべき夢が、はっきりと見えてきて、インターハイに向かって全力で突き進むリョータの姿。
「雨上がり」とは、沖縄で降られた雨が上がり、そして今までの辛かった出来事(三井との喧嘩)を乗り越えたこと。
「シャンデリア」=天井からつり下げられた照明。ここはリョータが沖縄で決意を新たにし、部に復帰する場面なので、天井照明というと体育館の照明と考えられます。
よって「雨上がりのシャンデリア」は、退院しやっとバスケ部に戻って来られたリョータにとって、体育館の照明がシャンデリアのように輝いている、というイメージです。
数ヶ月ぶりに体育館でバスケができる喜びや、インターハイを目指す決心ができたリョータの目には、世界の見え方が一段と前向きになった、という心情の変化も感じとれます。
このわずかな言葉にストーリーを凝縮させながら、情景描写に重ねてリョータの心の変化までも描き出す言葉選びのセンス。鋭い一手のような詞の巧みさが素晴らしいです。
「幻惑の園」は、兄と夢見たインターハイの舞台。
この時点では、神奈川県大会予選が始まる前(リョータ高2の5月頃)なので、まだインターハイに出場できるかわからない、というニュアンスも読み取れます。
前半の歌詞は以上です。ここまでの詞のイメージをめちゃざっくりいうと、野良コヨーテ(リョーちん)は、群れからはぐれてしまい、おぼろげな夢だけを頼りにひとりでさまよっていたわけです。
外の世界は荒涼としていて、砂や風くらいしかない。なんとか消えかけの轍を追いかけて行って、その先でやっと見つけたのが、キラキラ輝くシャンデリア。そこは湘北バスケ部の体育館なんです(花道と流川が加わった新たな湘北)。
荒涼とした外の世界から、シャンデリアのある屋内へ辿り着き、コヨーテは自分の居場所を見つけることができた。そして幻惑の園(インターハイ)を目指していく。そんなイメージです。
後半の歌詞
内容はリョータの過去から、バスケの試合へと移ります。
インターハイの山王対湘北戦。試合序盤、湘北の安西先生は、三井にボールを集める作戦をとっていました。歌詞はその場面から始まります。
「Swish(スウィッシュ)」=ゴールリングに当たらず、真ん中にスパッと入ったシュートのこと。
「この音がオレを甦らせる」と言っているのが三井なので、「you」=三井寿。
「着火」は「炎の男三っちゃん」からの、三井の心に火が付く様子。
「da」=the。
「you」が二人称なので、「Swish da 着火 you」は「三井の心に火をつけるSwish(シュートの音)だ」とリョータが感じている、という内容です。
ここは試合前半に三井が絶好調で、3Pシュートが3連続で決まったシーンですね。
Twitterで拝見したのですが、この「Swish da 着火 you」は曲中に8回出てきて、その数が三井の3Pの数と一致しているそうです。コミックスで確認したところ本当で、驚きました。気付いた方も、作詞された方も、天才すぎます…。
ここからは試合後半、山王にゾーンプレスを仕掛けられた大ピンチの場面です。
「迷走」=進むべき方向が定まらない。
「smash」=破壊、粉砕。
「Dribble」=ドリブル。リョータがドリブルをする。
「trapper」=トラップディフェンスを仕掛けるプレイヤー=山王(深津・沢北)。
「Kidding me now?」は、「オレをナメてんのか?」というリョータの心の声。原作でいうと「神奈川No.1ガード 宮城リョータをナメんな おまえらっ!!!」のセリフの感じです。
ゾーンプレスを仕掛けられ、リョータは迷走。むりやり行けばオフェンスチャージング(ファウル)になり、パスも出せず、湘北の連携が破壊されてしまう。山王に対しドリブルするリョータ。オレがプレスを突破できないとナメてんのか?といった内容です。
歌詞のはじまりから、リョータが獣にたとえられていますが、獣だから罠=トラップにかけられている、という繋がりなんですね。詞全体の言葉の繋がりが非常に綺麗です。
コーラスの「大丈夫さ」というのは、安西先生が、湘北の切り込み隊長リョータなら、一人でゾーンプレスを突破できると言ったこと。リョータの実力を信じていること。
彩子さんの「あいつなら大丈夫です」というセリフも重なっています。
ここで、宮城リョータを獣のコヨーテにたとえて語られます。
「Coyote(コヨーテ)」=狼に近い小型のイヌ科の動物。よく遠吠えをすることが名前の由来。
「steal」=盗む。また、バスケのスティール(オフェンス選手からボールを奪うこと)。
「sound」=音、ざわめき。
「pass」=(バスケの)パス。
「Coyote steals the sound」を直訳すると、コヨーテ(のようなリョータ)は音を盗む。
「音を盗む」というのは、「リョータは音を盗めるほどのスピードだ」と解釈できます。すなわち、電光石火宮城リョータ。
原作で、安西先生が「スピードとクイックネスなら絶対負けない」と言っていた、まさにそのことが表されています。
そして「Coyote steals the pass」はもちろん、リョータがバスケのパスをスティールする、ということ。
なのでこの部分は、リョータが山王のゾーンプレス突破を目指し、安西先生や彩子さんの言葉を胸に、「スピードならNo.1ガードは自分だ」と心を奮い立たせている様子と捉えられます。
しかし、この部分に込められた意味はまだまだこれだけではありません。
なぜ、リョータが他の動物ではなく「コヨーテ」とたとえられているのか? 「Coyote steals」は、3回も繰り返されているだけあり、実に凝った内容になっています。
コヨーテは、バスケの国アメリカに生息している、小柄で俊敏な獣。これだけでもリョータによく似合っています。さらに、北米ネイティブアメリカンの伝承では、コヨーテはトリックスターとして崇められているそうです。
トリックスターとは、原作で彩子がリョータに「あんたはえらそーにして 相手をおちょくるくらいがちょうどいいのよ」と言っていた、まさにそのイメージ。つまり、コヨーテというたとえには、敵を翻弄するリョータの性格もぴったり表現されているわけです。
そしてコヨーテの精霊には、神から火を盗み、それによって人間に火がもたらされた、という伝承があります。
なので「Coyote steals」は、「コヨーテが盗む」という伝説と、「リョータがスティールをする」ことが上手く掛けられた表現になっているんです。
さらに、このコヨーテ神話をふまえると、リョータがパスをスティールする、それによって「ゴリ(湘北チーム)にパスがもたらされた」という意味まで重なってくるという解釈もできるようになります。
映画でゴリが「宮城はパスができます」と言ったあのシーンに繋がるイメージ。ゴリだけでは勝てない湘北に加わった、リョータのパスというものの重要性が、この「Coyote steals the pass」から感じられます。
曲を聴くと、コヨーテの遠吠えのような響きのイメージも感じるこの部分。一見簡潔な文ながら、一つ一つの言葉に多重な意味が凝縮され、実に考え抜かれた表現です。詞の技巧が本当にすごいです!
いよいよリョータがゾーンプレスを突破する場面です。歌詞のテンションも上がってきました!
「code」=符号(しるし)、暗号。
「Penetrator(ペネトレイター)」=相手のディフェンスを突破する選手。もちろんリョータのこと。
「Pass code a "Penetrator"」は、山王のゾーンプレスを突破する“切り込み隊長リョータ”へ作戦開始の合図のパスをする、といった意味です。
ここは、今まで三井→宮城へパスを出し、深津・沢北にディフェンスされ苦戦していたところを、安西先生の作戦により、赤木→宮城のパスから始めて、宮城が一人で突破するという場面です。
なのでこの「Pass」は、ゴリからリョータへのパス(ロングパスのフェイクをしてから、リョータへ渡したパス)のこと。
次に、「ベース! Bebop!」「Buzz up ビート!」については、二重の意味が掛けてあります。まず1つに、パッと見てわかる音楽の意味。
「ベース(Bass)」=低音。
「Bebop(ビーバップ)」=自由な即興演奏が特徴のジャズのスタイル。
「buzz up」=騒ぎ立てる。
「ビート(beat)」=拍子、(ジャズ・ロックなどの)強烈なリズム。
作中ではバスケの試合について、「リズム」という言葉でよく語られます。試合の激しい攻防を音楽にたとえて、低音が響き、Bebopのように強烈なリズムが騒ぎ立てる、という躍動感を表現しているという解釈ができます。
そして2つめに、湘北メンバーの意味が込められています。メインはこちらの方。
「ゲット triple!」=3ポイントを決めた!つまり三井寿のこと。
カタカナの「ベース」には、「Base=土台」の意味も掛けられていて、これは安西先生が言った、湘北の「赤木君と木暮君がずっと支えてきた土台」のこと。ここでは、赤木剛憲を指しています。
すると「Bebop!」には、優れた技術で自由なプレイをするという、流川楓に重なるイメージが湧いてきます。
流川のポジションであるスモールフォワードと、シューティングガードの両方でプレイする選手をSwingman(スウィングマン)というそうです。
流川は中学時代、ポジションを一人で全部やっていたと言われていたので、「どちらでもいける」というswingと、ジャズのswingを掛けて、流川が「Bebop」とたとえられている。
「ビート」もカタカナなので、ダブルミーニングがあると考えると、2つめの意味は「心臓の鼓動」。よって「Buzz up ビート!」は、心臓の鼓動が騒ぎ立てる、という意味。
すなわち、映画で何度も出てくる「心臓バクバク」のこと。宮城リョータの心臓がバクバクになって戦っている様子です。
「Buzz up ビート」はBuzzer Beater(試合終了直前にシュートを放ち、ブザーが鳴ってからゴールに入るショット)の響きにも掛けながら、「心臓バクバク」をカッコよく巧みに表現されています。
まとめると、
「Pass code a "Penetrator" ベース! Bebop!
ゲット triple! Buzz up ビート!」は、
ゾーンプレスを突破する“切り込み隊長リョータ”へ、作戦開始のパスをする赤木! 流川、三井が一気に前へ走る! 心臓バクバクのリョータ!
というプレス突破の場面が描かれています。
花道は、このとき流川や三井と一緒にダッシュしているものの、プレス突破で直接何かするわけではなかったのでここにはいないんですが、すぐ次の歌詞で出てきます。
この中に花道がいないことで、プレス突破のシーンと完全に一致していることが明確にわかります。
「ワンラブ」=片思い。
「marcy」=慈悲。仏や菩薩 が人々をあわれみ、苦しみを取り除くこと。
「ワンラブ and marcy!」は、リョータから彩子へのラブと、彼女が「No.1ガード」と書いて、リョータの苦しさ(緊張やプレッシャー)を軽減させ、励ましてくれた優しさ。
それを、リョータが手のひらを見て思い返している。「ワンラブ」がカタカナなのは、リョータというキャラクターにとって重要なものだからですね。
「Bebop!」=流川楓。ゾーンプレスを抜いたリョータが、「スピードなら…No.1ガードはこの宮城リョータ――だぴょん」と言って流川にビハインドパスするシーンと、そこからの流川のプレイ。
「Heat check!」=調子に乗って無茶なシュートやパスをする。つまり桜木花道を指します。
同じ場面の続きで、流川のシュートがブロックされ、花道がリバウンドをとり、無茶なふりむきざま合宿シュートを打ったシーンが描かれています。
「Vasco da Gama」=ヴァスコ・ダ・ガマ。大航海時代の航海者。
なぜいきなり、ヴァスコ・ダ・ガマが出てくるのか? ここがポイントです。
「Pass code a(パスコダ)」と「Vasco da(バスコダ)」は、完璧に韻を踏んでいるので、構成上重要な意味が込められたワードだとわかります。
まず理由の1つに、ヴァスコ・ダ・ガマが「航海者」であること。沖縄から湘南へ、「海」を渡って旅をしてきたリョータのイメージとの重なりがあります。
映画でも海のシーンがたくさんありますし、「旅路」という歌詞も2度出てきます。誰も通ったことのない航路を開拓した勇敢な冒険者と、自分の夢の道を探すリョータの半生を重ねて感じることができます。
2つめの理由は、ヴァスコ・ダ・ガマが「船長=キャプテン」であること。リョータの心が「キャプテン」に成長したことが示されているという解釈です。
リョータの兄ソータは、父が亡くなった際、「オレがこの家のキャプテンになる」と言っていました。ですが、その兄がいなくなっても、リョータは家族を支えるキャプテンにはなれていなかった。
だからキャプテンが不在で、宮城家はバラバラのまますれ違っていました。
リョータのポジションであるポイントガードは、チームの司令塔。湘北バスケ部の主将は赤木ですが、試合中はリョータがリーダーとなってチームを率いる立場です。
この山王戦を戦い、一人の力でディフェンスを突破したリョータは大きく成長し、赤木が円陣の声出しを任せるほどになりました。
つまり、成長したリョータが、精神的に立派な「キャプテン」になったことを、「湘北の司令塔であり、宮城家のキャプテン」という意味を込めて、「Vasco da Gama」と表現されていると解釈できます。
なので「Vasco da Gama ビート!」は、キャプテン・リョータの鼓動!という意味にとれます。
心臓バクバクでもめいっぱい平気なフリをして、皆に落ち着いていこうと示したあのシーンの、成長したリョータがここに表されています。
ここは試合終盤、リョータが再度仕掛けられたゾーンプレスを突破する場面。「ドリブルこそチビの生きる道なんだよ!!」の激熱シーンです。
「Pass code a "Penetrator" ベース! Bebop!」は、リョータがプレスを突破し、その後ボールが流川と赤木へと渡っていく展開が描かれています。
この一文はリピートの歌詞なのに、「Penetrator=リョータ、 ベース=赤木、 Bebop=流川」という試合内容がこちらにもバッチリ当てはまっているのがちょっとすごすぎますね。一言一句まで作詞の完成度が本当に高くて驚きます。
「Wanna buzz up ビート!Just wanna buzz up ビート!」は、もっと鼓動騒げ!心臓バクバクになれ!という、リョータの心の熱が最高潮に達している様子。
もはや、心臓バクバクを隠して平気なフリをするのではなく、もっとバクバクになれ!と、めちゃめちゃ強いリョータに覚醒しています。試合序盤にあったような弱気などもうどこにもありません。
そして、花道が必死にブロックしたボールをリョータが受け取り、流川と速攻に向かうシーンになります。
「脳内更地」=考えすぎず、無心で。
「extra pass」=ボールマンがシュートできる状況から、さらにパスをしてより良い状況でシュートができるようにするパス。
「クーアザドンイハビ」は、逆から読んで「ビハインドザアーク(Behind the Arc)」=3Pラインよりも後ろからのシュートが決まること
(これは10-FEETさんがテレビで仰っていたので間違いないです)。
高鳴る鼓動の中、無心になって、リョータが出した最高のノールックパスを受け、三井が3Pシュートを決めた場面が描かれています。
三井が3Pを入れた上に、ファウルをもらってフリースローを決め、あと1点差!となった場面。
歌詞のラストがこのシーンなのは、主役のリョータが活躍する最後の場面だからですね(試合のラストを決めるのは花道と流川なので)。
映画では、リョーちんとミッチーの関係が深掘りされているので、2人の出会いから辛い喧嘩を経て、最後にこの場面に結集するという、感動のエンディングです!
なのですが、「クーアザドンイハビ」の解釈は、これだけでは物足りないのです。
歌詞を分析させていただくと、バスケ用語はビハインドザアーク以外はすべて英語で表記されています(Swish,Dribble,Pass,Penetratorなど)。
後半のカタカナの言葉には、強調やダブルミーニングが読み取れます(ベース、ビート、ゲット、ワンラブ)。
このことから、「Behind the Arc」がバスケ用語でありながら、「ビハインドザアーク」とカタカナになっているのは、この言葉にダブルミーニングがあるからだと考えられます。では「ビハインドザアーク」のダブルミーニングとは何か?
バスケで使われる「Behind the Arc」の「Arc」は、弧という意味ですが、同じ「アーク」と読む言葉に「Ark」があります。これは「小型の船」という意味があります(Noah's Ark=ノアの方舟)。
「船」といえば、映画で兄ソータが船に乗り、リョータと永遠の別れとなってしまったあの場面。
ビハインドザアークを、Behind the 「Ark」と考えると、「小船の後方」という意味にとれます。すると、兄が乗って行ってしまった船を、後方で見送っていた、幼きリョータの姿が浮かび上がってきます。
つまり、「ビハインドザアーク」には、バスケの「Behind the Arc(3Pシュート)」と、リョータの過去の「Behind the Ark(兄と永遠の別れをした船を後ろから見ていた記憶)」の2つの意味が重ねられているという解釈ができるわけです。
この一文、信じられないくらい物凄い超絶技巧が凝らされているんです。
「クーアザドンイハビ」と逆になっている理由は、「リョータが船を後方から見送った過去の記憶」をひっくり返すことによって、兄=死というイメージにとらわれていた状況をひっくり返せた、ということが示されているからです。
リョータが兄の死ではなく、生きていた記憶の方にフォーカスすることができるようになった。悲しみにとらわれ、無理に忘れようとするのではなく、受け入れて、前に進めた。そのことが表現されているんですね。
だから、試合を経たリョータは母と分かり合えたし、兄の写真を飾れるようになった。
映画の試合中、リョータはずっと過去の記憶を思い出しながら戦っていました。それが、最後に無心になって、辛い記憶も全部頭から吹き飛ばせたことで、「Behind the Ark」(=船の後方にいた、別れの日の記憶)をひっくり返すことができ、その瞬間同時に「Behind the Arc」を決められた。
この両立を「クーアザドンイハビ」と表現されているわけです。
「第ゼロ感」は、リョータの心。だから、三井との連携で「Behind the Arc」を決めたリョータの心が、過去の「Behind the Ark」を乗り越えたんだ、ということが描かれていると感じます。
④感想
ものすごい詞の技巧の凄まじさ。そして『THE FIRST SLAM DUNK』への愛やリスペクトが詰まりきっていて、もう本当にめちゃくちゃすごい歌詞です。
「第ゼロ感」、そして10-FEETさん、すごすぎます!!
映画と歌詞の内容がとても濃いので、かなり長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださった方がもしいたら、ありがとうございました。
IMAXの劇場の音響で、全身に響いてくる「第ゼロ感」が最高すぎて忘れられません。
【追記】23.3.24
「Pass code a "Penetrator" ベース! Bebop!」の部分の解説に抜けがあったので加筆しました。
【追記】23.04.13
10-FEETさんの韓国でのライブイベントで、歌詞の「獣」=宮城リョータであるとの解説がありました。TAKUMAさんがカワウソに噛まれたことがあり、「めちゃくちゃ速くて強い」ということから、獣=宮城リョータのイメージがよぎったとのコメントでした。
宮城リョータを「獣」にたとえる、歌詞に「獣」というワードを用いるという着想を得るきっかけとなったのが、カワウソに噛まれたご経験であるということなのだろうと思います。なので、「第ゼロ感」の「獣」=コヨーテ=リョータという考察自体はそのままでいいと考えていますが、もしなにかあればまた追記します。
【追記】23.04.18
重要なことを見落としていました。「第ゼロ感」の「感」はリョータの「感性」のことだったと気付きました。
「感性」とは、様々な物事を見聞きしたときに生まれる心の動き、感覚的に受け止める力。受け止めたものを絵や音楽といった形で表現したり創りだしたりする力も含まれる。
ということなので、後半の歌詞に音楽用語が出てくる理由は、「リョータの感性によって表現された湘北メンバーや試合の様子」が描写されたものであるという解釈が考えられます。つまり、赤木をベース、流川をBe-bopといった音楽の形でたとえているのは、リョータの感性であるということです。
司令塔であるリョータは、リズムを刻む指揮者のような存在で、チームメンバーと音楽にノッているかのように戦っているといったイメージを、彼自身感じている様子の表現、ととらえることもできるかと思います。TAKUMAさんの表現力、すごすぎませんか?
【追記】23.06.27
『THE FIRST SLAM DUNK』の主題歌候補として制作された「ブラインドマン」の歌詞を考察しました。
こちらでは「約束の夜」の内容について、より詳細に書いているので、よかったらご興味のある方にご覧いただけたらうれしいです。
【追記】23.10.07
「先週もっとも多く読まれた記事の1つになりました」と6週続けて表示されていまして、たくさんの方に読んでいただけたようで本当にありがとうございました。
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