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痛いときにこそ、一歩進む

昨日の練習で、張り切ってプッシュしすぎてしまって、左肩を痛めてしまった。重症ではないものの、お茶の入った水筒を持ち上げると、痛い。

朝、保育園で会ったヨガ仲間のママさんと話して、「痛みに執着しすぎないのも大事だよ」ということを聞いて、そういえば、先生が、痛みにとらわれすぎないことが大事だと少し前に言っていたことを思い出した。

痛い中での練習

そんな中での練習。1日経って、どんな風に負荷をかけるとピーンと痛むか、という角度や動かし方が分かってきた。
全く練習を休むことはできるのだが、そうはせずに、痛みが強くなる直接的な動きは避けるようにして、できる範囲で動いてみた。
すると、不思議なことに、やっていくごとにだんだん肩の痛みが楽になっているではないか。炎症を起こしている周囲の筋肉がほぐれ、代謝が促されたのだと思う。

問題はメンタル面

ヨガを練習していると、毎瞬、自分に向き合っていく。
これ以上痛めるのが怖いからやめたい、痛みを感じるのがきついから、怖いと感じるポーズは休みにしたい。と、つい思う。
だけど、そんな自分に呼吸を通し、「うっわ」と思いながらも、一歩、あゆみを進める。

そんなことを考えていたら、今朝の朝活ヨガで、不思議と、先生がたまたま「心の状態がどんな風であっても、行動はおこなっていく」という話をしてくれた。(もうひとつタイムリーに、たまたま肩関節の話もしてくれた。)

きついときこそ、淡々と自分を前に進めていく

人は(というか私は)、強くないから、できない理由を並べがちになってしまう。
それは、ヨガの練習で言えば、
今日のような痛みを原因にしたり、
忙しさや時間のせいにしたり、
どうにもできない環境のせいにしたり。

ヨガ以外のことでも、やるべきなと分かりながら、先延ばしにしていることが色々ある。皆さんはどうだろうか。
家の片付けだったり。畑や庭のお世話だったり。
言いにくかったり面倒な内容を、誰かに伝えることだったり。
やろうやろうと思っている仕事のこと、その他。

(やる必要のないことで課されていることがあるなら、「やるべき」は、そもそも必要かどうかの見直し。ここでは、自分で決めたやるべきこと、についてです)

調子がいいときは問題なく進めるのだが、ケガしたときや状況がきついとき、落ち込んでいるとき。そんなときこそ、いつもよりさらに意図的に、その「やるべき」一歩を前に歩んでいきたい。

自分の根っこでは、それをやることで、自分の未来につながっていくと、知っているのだから。

痛みにも使えるキンカン、これ便利

虫刺されのかゆみ止めで有名なキンカン。
ヨガの先生に教えていただいて常備していたのだけど、今回初めて使ってみた。これはいい!
そんなに添加物が多いわけではなく、手軽に持ち運ぶことができ、どこでも入手できるキンカン。塗ってみると痛みが楽になる。

確かに、キンカンのパッケージには「痛み」「肩こり」などと書いてある。わが家の薬箱に仲間入りしたのでした。
感謝!!

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