見出し画像

#35 障がいを受容する 2

昨日は、出産前に知ったかっこちゃんのブログから知ったことで、その後ずいぶん救われたと書きました。

今日は、長男が生まれたときのことを書いてみようと思います。

長男が生まれたとき

2009年、助産師さん主体の都内のクリニックで、長男は生まれてきました。前日の朝5時に破水し、入院準備を持ってクリニックに行きました。促進剤を使うも全然お産が進まず、いったん就寝して、翌朝陣痛がつき、昼過ぎに生まれてきました。いざ陣痛がついてからは、4時間半と、初産にしてはスムーズに進んだお産でした。
生まれてきたら、産院が騒然としていました。口唇顎裂(上唇の一部に裂け目が現れ、それが顎まできている状態)で生まれてきました。妊娠中のエコーで気づかなかったので、医師の方も助産師さんもびっくりしていました。

生まれたばかりの長男は、唇が裂けているため陰圧が作れず、おっぱいから母乳を飲めないどころか、普通の哺乳瓶でも上手に吸うことができません。口唇口蓋裂用の、舌で押すだけで中身がでるような特別な哺乳瓶を用意していただいて、無事に授乳しました。
すぐに大学病院に行くように紹介状を書いていただき、退院後すぐから、2週間おきに大学病院に通い、同時に、クリニックで息子の体重と私のおっぱいの経過をみる、という生活が始まりました。

母乳神話と私

今、もうすぐ2歳になる子を育てていると、ここ10年でも育児を取り巻く常識はだいぶ変わっています。14年前、長男が赤ちゃんの頃は、母乳を推進している産婦人科の方が少ない印象で、病院だけでなく育児でもそうだったので、わざわざ母乳育児を大事にしているグループを探して、つながったりしていました。
当時の私は、母乳がいいのだと信じていました。最初こそは母乳マッサージが痛かったものの、無事に母乳が出たので、できる限り母乳で育てたいと思ったのでした。
3時間おきに(夜間も)搾乳機で絞っては哺乳瓶に移して授乳。すぐ飲まない分は、冷蔵保存したり冷凍したり。お出かけの時には、保冷バッグと保冷剤、温めるためのお湯と、使う本数分の哺乳瓶を持って、通院していました。直接赤ちゃんに吸われないと出もだんだん悪くなってくるので、おっぱいマッサージのために桶谷式にも通っていました。生後3か月ごろまでは完全母乳だったと記憶しています。
2人目、3人目と、母乳で育ててみると全然違いました。直接おっぱいが据える(直母ができる)とこんなにも楽なんだと驚きました。また、直母だと私も受け取るものがとても多いです。けれど長男の時は、おっぱいの状態を保つためと、搾乳した母乳の管理がとても大変でした。
今だったら、迷わずミルクを併用していたと思いますが、若かったころの私はやりたかったんですよね。大変だったけど、やらなかったらどこか納得できずに不完全燃焼感が残ったと思うので、やってよかったと思っています。協力してくれた当時の夫や、サポートしてくれてた母、それをさせてくれてた助産師さんには感謝です。納得感って大事ですよね。
母乳に限らず〇〇がいい、ということがあると思いますが、無理ないのが一番だとは思いますが、同時に、自分で「決める」って大事だと思います。

長男が生まれてきたときの私の気持ち

生まれてきてすぐ、命が無事に誕生したことに心からありがたいって思いました。初めての出産で、自分の中からもう一人の命が出てくることが不思議で、わが子がそこにいるのに、自分が母になったのが信じられずにいました。助産師さんたちから「お母さん」「ママ」と呼ばれるのが慣れずに気恥ずかしく、お世話の仕方を覚えるのに精いっぱい。
また、口唇口蓋裂は500人に1人ということ、手術すれば分からないくらいになると聞いて、手術さえすれば、何も問題はなくなるのだと思っていました。手術までとりあえず頑張れば、その後は心配なく育てていける、そんな気持ちでいました。
普通と違う形で生まれてきたことを深く考えるよりは、目の前のことで精いっぱい、ちゃんと母にならなくては、という思いが強かったです。
初めての赤ちゃんに、どう接していいか分からない戸惑いもあって、いつも緊張していました。

新生児~手術まで

毎日、お世話に通院にご飯作りに、あっという間に毎日が過ぎていきました。そして、胸には、いつも2つの相反する思いがありました。

生まれてきた命に感謝し、赤ちゃんの生命力はすごいなぁと思う一方、
・口唇顎裂で生まれてきたのがどうしてわが家なんだろう、
・(もっと大変な思いをされている方はもちろんいらっしゃるのですが)病院が無縁な子どもたちがいる中で、どうしてこんな大変な思いをしなきゃなんだろう、
という思いがいつもありました。毎日が忙しく余裕がなかったのもあると思います。

胸に抱くとあたたかく元気な息子をかわいいと思うと同時に、まじまじと顔を見ると上唇が分かれていて、素直に可愛いと思うことができない自分もいました。そして、その可愛いと思えないことに蓋をしていました。そのまま丸ごと愛さないといけない、見た目が違くても、この子はこの子。愛おしい存在なんだ、と。
心から湧き上がる愛おしいという想いではなく、初めての赤ちゃんということからの緊張感と、外見と、でも赤ちゃんの力いっぱいな元気なエネルギーも愛しく、すべてがぐちゃぐちゃになっていて、そこを無理やり、頭で愛そうとしていたんだと思います。

クリニックから退院してからは、目まぐるしい毎日でした。
通院と搾乳と授乳、当時、元夫が2か月の育児休暇を取ってくれたり、母が通いで来てくれて、献立を考え、料理を作り置きしてくれたり、父が病院まで車を出してくれたりして、何とかやりくりしていました。

外に出るときは、ほとんど抱っこで移動していたのであまり人目に触れることはなかったのですが、クリニックなどで抱っこしていると、時々声を掛けられることがありました。
一番声をかけられて嬉しかったのは「かわいいですね」と、普通の赤ちゃんと同じように接してもらったとき。大学病院は、口唇口蓋裂の外来があるので、みんな同じ症状がある子たち。もう手術を終えたお子さんや大きな子どもたちもいました。
子どもは正直なもので、クリニックで待っていたとき、乳児検診に付き添ってた上のお子さんが、「なんで赤ちゃん、変な顔してるの?」と言われたりしたものです。ストレートに聞いてくれると、こちらも気持ちはそのまま返せます。ただ、なんていったらいいか分からなくて、「おなかの中でケガしちゃったんだよ」と答えてたと思います。

色々な思いを抱えながら、ひたすら目の前のことをこなしていっていた、産後のこの時期。
障がいを受け入れている、というよりは、受け入れなくてはいけないともがいていた、そして手術さえすぎてしまえば、普通になれるんだと思っていました。
普通って何だろう、普通と違うことってどういうことだろう。
この子が私のところに来た意味はきっとあるはず。けれど、私はどうしたらいい?
そんなことを日々感じ、過ごしていました。
明日は、長男の手術について書きたいと思います。

参考になったと思ったら、記事をお友達やSNSでシェアしていただいたり、いいねボタン(ハートのマーク)を押していただけたら励みになります^^

それではまた明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?