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日本の未成年を取り巻く環境と歴史-あたらしい未成年とは?-

こんにちは。高校3年生の山口由人と申します。日々の隙間時間を使いながら未成年について探究してみました。よろしければご笑覧ください。こどもの日に一緒にこども(未成年)について考えてみませんか?

改めて「未成年」の定義について考える

 「未成年」は英語に訳すと「minor」である事は多くの方がご存じだと思いますが「minor」と聞いて「minority」と語源が同じなのでは?と思った事がある方も少なくないかと思います。実際、どちらもラテン語の「minor」が語源と関連している説が根強いとされており、13世紀初頭に生まれ始めたと考えられています。当初の意味は"less,smaller"(より少ない/小さい)"inferior, less important"(劣っている/比較的重要ではない)とされており、この言葉の定義に"under age"(いわゆる未成年)が加わったのは中世16世紀(1570年代)からだとされているそうです。(参考: Etymonline.com)
 これらはラテン語が使用された中世ヨーロッパ内における「子供」という概念が形成された背景と照らし合わせると「minor」の定義に関する様々な側面から捉えることができます。

 中世ヨーロッパでは中世に至るまで「子供」という概念が存在していなかったとされています。当時は年少時の死亡率が高い社会だったため親が自分の子を愛情を注いで育てることもなかったといわれており、この世に生まれ出ただけでは家族の一員とも見なされていませんでした。そんな生き残れる確率の低い状況下である程度の身体的な成長を遂げると、今度は父親の仕事を真似しながら勤しむことが慣習化されたことから、いわゆる現代の「子ども」は「小さな大人」として扱われていました。そのため当時の絵画(「荘厳の聖母」では赤ん坊のイエスが大人の顔つきをしている)を見ても子どもはまるで大人を縮小したかのように描かれているものが多いことが分かります。そのため、「minor」の捉え方が「大人より小さく、大人の仕事をするには劣っている」と当時の大人たちによって考えられていたのかもしれません。
(参考: 〈子供〉の誕生フィリップ・アリエス)

当時の絵画「荘厳の聖母」の絵が写真として表示されており、赤ん坊のイエスが大人の顔つきをしている事がわかる。
荘厳の聖母(Madonna in Maesta (Ognissanti Madonna)) 1306-10年頃

 16世紀に入り、「minor」の定義に"under age"(いわゆる未成年)が加わったのは子供の概念が主に市民の間でも一般化され始めたタイミングだったのではないかと考えています。その背景には西ローマ帝国が崩壊してしまい、また、キリスト教会の権威も弱いことから秩序が不安定な社会で自分たちのセーフティーネットを作るために各都市毎に生まれたギルド(組合組織)の形成と、ルネサンスによるイスラーム世界の古代ギリシャ・ローマの古典を再び研究しようとする人文主義の発達によって結成された知を専門とするギルドが大学の起源になったとされています。こうして生まれたのがボローニャ大学(1158年)やパリ大学(1231年)であり、これらの大学に続いてヨーロッパでは様々な大学が誕生していきました。大学の誕生により「小さい大人」が集められるシステムが整い、集まった集団を「子供」と定義づけ始めたと言われているそうです。また主に上流階級の人々を中心に自分の子供を大学に行かせる事が出世していくために重要な条件となり、一人の子供に見返りのない投資を行う愛情を持って子供に接することが当たり前になっていったとされています。さらに普遍的キリスト教共同体などのキリスト教に根付いた概念によるヨーロッパ社会の組織化も相まって、これらの風潮が広がり始め、「minor」の定義に"under age”の意味合いが加わったのではないかと考えています。
(参考:大学とは何か(吉見俊哉)コテンラジオ#201)

中世ヨーロッパにおける最初の大学とされるボローニャ大学
中世ヨーロッパにおける最初の大学とされるボローニャ大学

「未成年」という定義への認知の歪み

「未成年」という既に存在している言葉に対して、今の大人が認知している定義と18歳以下の当事者として認知している定義の間で認知の歪みが起きているとはどういう事なのか説明します。まず前提として「under age」(法律上で定められた成人年齢以下)であるという共通認識は取れていると思うのですが、私は他の2つの定義 "less,smaller"と"less important"に関して、どちらをunder ageの定義に強く関連付けているかによって認知の歪みがあるのではないかと考えています。つまり、未成年を「少数の者」という定義で認識するか、あるいは「あまり重要とされていない者」と認識するかで意味は同じようで、実は大きく認知に差が生まれてしまってるのではないでしょうか。私が考えるに先述の中世ヨーロッパ時代から時を経て、人権概念や人口の変容によって未成年の定義は変容し、「under age」は"less important"よりも"less,smaller"側の意味としての定義づけが人々の意識の中で強まったのではないかと考えています。

未成年(minor)の定義

 私は「未成年」の定義を前者の「少数の者」であるという捉え方で行うのであれば時間軸と空間軸を変えれば「マイノリティ」という括りはなくなり、社会の中では「マジョリティ」として認識されるのではないかと考えています。例えば、時間軸的にみれば今の未成年が数十年後は社会の中枢(マジョリティ)にいるわけで、空間軸的にみれば、日本では未成年は人口(定量)的にマイノリティですが地球規模だとマジョリティとして捉えられます。
 現在社会の構造としては、例外も沢山ありますが多くの場合、この捉え方を用いながら政治家や資本家(社会の中心にいるマジョリティ)が「そのマイノリティは定量的に見てどれぐらい社会に影響をもたらすのか、社会的/市場的にみてどれほど創造価値をもたらすのか」といった基準でマイノリティであるかマジョリティであるかどうかを「選択」し、彼らがマジョリティと区分すると、同時に権利も拡張されていくといった構造が続いているのではないでしょうか。(参考: 社会的選択理論への招待)
 では、現代の「未成年」はこの構造下でどのような選択をされているのかについて考えた時、私たち未成年自体は将来的に市場/創造価値をもたらす事は確定されている(=確実に大人になる)ので多くの場合でマジョリティとして認識されており、ご存知のとおり、日本における未成年の権利への保護は他国に比べても圧倒的に充実しています。

未成年の保護と自由な機会の拡張を取り巻く議論

1950年から2020年までの「15歳未満の人口」「 15-64歳までの人口」「65歳以上の人口」がグラフにされている。1950年の15歳未満の数は全体のおおよそ3分の1である事がわかるが、2020年はおおよそ10分の1である事が理解できる。
No.125 我が国のこどもの数 -「こどもの日」にちなんで- (総務省「人口推計」から)

 特に日本の場合、そもそも成年の年齢を「20歳」としたのは、「年齢20歳をもって、成年とする」と定めた1876年の明治「太政官布告第41号」からとされており、旧民法制定当時の日本人の平均寿命は約43歳とされているので、2020年の日本人の平均寿命が女性約87歳・男性約81歳である事を踏まえると、当時は今と比べて人生の約半分の年齢を「成人年齢」にしている点からも今よりも「未成年」を時間軸/空間軸で見た時に、第一次ベビーブームや若者の徴兵、雇用機会の増加なども相まって容易に「マジョリティ」であり、「大人」に近い存在であると捉えられていたのではないでしょうか。
(参考:総務省わが国の子供の数)

 一方で、現在社会の中では平均年齢が高齢化したことにより、また未成年の年齢引き下げも相まって「未成年」がより保護するべき「現代的子供」としての認識に近い状況になってきているように感じています。以下に未成年を保護している民法の例を一部掲載しておきますが、日本では生活/健康/教育/保護において世界的にみても手厚い保護が行われています。

 満18歳をもって成人とされ(民法4条)、17歳までを未成年者と言います。未成年者は、制限行為能力者とされ、その利益を保護するために、保護者などの法定代理人の同意を得ずにした契約は、未成年者自身又は法定代理人が取り消すことができます(民法5条)。しかし、例外的に法定代理人の同意を得なくてもよい場合があります。
 取り消しがされると契約は初めから無効であったことになり(民法121条)、お互いに原状回復の義務を負います。すなわち、販売業者は受け取った代金を返還し、購入者は、商品を返還し、使用した場合には利益相当額を返還しなければなりません(民法703条)。ところが、未成年者取消の場合には、その返還義務の範囲が現存利益のみでよいとされています(民法121条の2)。つまり、商品を消費した場合には、有形的に残っている部分のみの返還となります。ただし、生活必需品として消費した場合には、当然支出する費用だったので、その部分については返還しなければなりません。

民法「未成年者取消に関して」

子の養育費について,「子が成年に達するまで養育費を支払う」との取決めがされて いることがあります。成年年齢が引き下げられた場合にこのような取決めがどうなるか 心配になるかもしれませんが,取決めがされた時点では成年年齢が20歳であったこと からしますと,成年年齢が引き下げられたとしても,従前どおり20歳まで養育費の支 払義務を負うことになると考えられます。 また,養育費は,子が未成熟であって経済的に自立することを期待することができな い場合に支払われるものなので,子が成年に達したとしても,経済的に未成熟である 場合には,養育費を支払う義務を負うことになります。このため,成年年齢が引き下げ られたからといって,養育費の支払期間が当然に「18歳に達するまで」ということになるわけではありません。

消費者庁「民法改正Q&A親の養育費に関する義務について」

 未成年に対してこれらの様々な保護が行われている一方で、クラスメイトをはじめとした様々な同世代、SNSを通じて知り合う同世代と交流しながら「未成年だからSNSを使っては危ない」「今は未成年だけど、あと4年待てば自由にしていいから」「そこは今度、大人で考えとくから」と言われたといった未成年の機会/権利が蔑まれてしまっている現状に対する声も多く伺うことがあります。このように、日本では他国に比べて様々な権利をすでに持っているはずなのに、保護者や学校の裁量、理不尽な校則によって制限がかけられてしまっている現状が多く見受けられます。つまり、日本ではこれらの手厚い保護とトレードオフする形で私たち未成年が社会に意思表明をする機会や権利が当事者として蔑まれてしまっている現状があるように感じています。この矛盾が講演などを通じて「未成年の視点では"未成年"の定義が"less important"に近いニュアンスとして認識されているのでは?」という問いかけをすると「そうかもしれない」と同世代から共感が生まれる一つの原因であるように感じています。子どもの基本的人権を国際的に保障するために定められた「児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)」では、 18歳未満の児童(子ども)を権利をもつ主体と位置づけ、おとなと同様ひとりの人間としての人権を認めるとともに、成長の過程で特別な保護や配慮が必要な子どもならではの権利も定めています。前文と本文54条からなり、子どもの生存、発達、保護、参加という包括的な権利を実現・確保するために必要となる具体的な事項を規定しています。1989年の第44回国連総会において採択され、1990年に発効されており、日本は1994年に批准しています。(参考: Unicef HPより引用)

・生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けること
が保障されます。
・子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考えます。
・子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。
・差別の禁止(差別のないこと)
すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。

「子どもの権利条約」4つの原則

 成年年齢(および未成年年齢)が制定された当時、その定義やシステムを構造化する中心に当事者である「未成年」はいませんでした。現在多くみられるマイノリティの機会や権利の拡張がマジョリティの選択によって行われる社会構造の中では、権利を求める側はその構造を変える力を持っていない場合が多く、その構造で認められることを拒否することを示せても、当事者が社会構造の枠組み外の方法で権利拡張を行う事は難しい場合が多い現状があります。これからは保護者や学校側の貴重な意見を取り込みながら保護とこれからの未成年にとって必要な機会を得るために必要な自由の境界線の引き方について対話を重ねつつ、同時に今年から始まる消費者教育などを充実させていき、義務と責任について適切に向き合うことができる義務教育の充実が未成年の社会への意思表明の機会を増やしていくことにおいて急務であると考えています。

「未成年」を取り巻く環境の大きな変化

 まずは日本の未成年を取り巻く環境の歴史について、様々な方にお話を伺いながらまとめてみました。

 中高生の課外活動に長らく携わられていた方の情報によると、日本の未成年(ここでは主に中高生)が社会への関わりを強めたのは東日本大震災が起きた2011年の3.11からであったのではないかと言われています。その前後からボランティア活動などが盛んになり、東日本大震災を機に中高生と地域コミュニティが連携しながらボランティア活動を行う事例や「対話」「ワークショップ」などのキーワードがメディアなどで広く紹介され始めたそうです。また世界中でChange Maker/社会起業家の育成や支援を行っているNGO Ashokaは、2010年から日本でもユースベンチャー制度を12〜20歳の若手チェンジメーカーに向けて開始し、2012年7月に本格始動しています。また同じように2012年からは未来の研究者の登竜門として中高生向けの学会リバネスサイエンスキャッスルなども開催されています。また学力入試を課さず、高校での成績や面接等の評価で行われるAO入試(現:総合型選抜入試)との関連性でいうと、2011年度より文部科学省の「実施要項」の改正により試験日程を8月1日以降にするなどの制度の整備が行われると同時に導入校が増加している傾向があり、入試においても研究活動やボランティア活動が重視されていったことで学校外の活動に参加する選択肢が増え始めたのかもしれません。また2010年度より経済産業省による「キャリア教育アワード」なども開始され始め、2012年には教育と探求社の「クエストエデュケーション」が受賞をされ、教育業界でも「探求」をテーマに様々な取り組みがされ始めたり、中高生向けのプログラミング教室「Life is Tech!」も開催されました。

 一方で欧米では、2008年の金融危機を受けて、2011年を発端にイギリスでの大規模学生運動やニューヨークでのオキュパイ・ウォール・ストリートの登場、スペインとギリシャでの若者層失業率50%を超えと同時に起こった大規模運動、そしてアラブの春など世界中で抗議運動が沸き起こっていました。その先頭にいた若者たちを中心にした世代は「ジェネレーション・レフト」とも呼ばれています。(参考:ジェネレーション・レフト)

 2013年、「ソーシャル〇〇」という言葉が生まれ始めた頃に、2001年より「意欲と創造性をすべての10代へ」をミッションに活動をされていたNPO法人カタリバより「支援される側から、今度は自分たちが町のためになにかしたい」という被災地の高校生の声から、地域や身の回りの課題を解決するためにプロジェクト活動に取り組むマイプロジェクトがコラボ・スクール大槌臨学舎でスタート(HPより抜粋)されたそうです。この頃から「マイプロジェクト」という言葉、そして「全国マイプロジェクトアワード」が誕生しました。

マイプロジェクトアワードとは、探究学習・マイプロジェクトを実行した全国の高校生が一堂に会し、活動の発表・参加者との対話を通して次の一歩を考える、日本最大級の「学びの祭典」です。

マイプロジェクトアワード公式HPより

 マイプロジェクトアワードが始まった事を象徴するように、中高生を中心とした未成年は地域活性化や社会問題解決などを目的に、自分たちが主体となって在りたい理想の社会や地域の実現に向けて「プロジェクト」を起こし始める動きが始まっています。

 また2013年10月からは政府だけではなく、官民協働のもと社会総掛かりで取り組む留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」が開始されました。これらの取組により「日本再興戦略~JAPAN is BACK」(2013年6月14日閣議決定)において掲げた目標である東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催される2020年までに大学生の海外留学12万人(現状6万人)、高校生の海外留学6万人(現状3万人)への倍増を目指す目標が掲げられ、2014年より本格的に留学支援制度が運用され始められました。同時期、グローバルシティズンの育成をコンセプトとしたGiFTなど様々な団体によってこれからの社会に必要な能力を身につけた次世代の育成に向けて取り組みが始まっています。

 この頃から学校内での主権者教育についても検討が始まり、「女子高生未来会議」や全国高校生未来会議なども開催され、高校生が政治と向き合う重要性についても語られるようになりました。さらに、こども国連による企業と連携した対話・探究・共創を重点にしたワークショップなどが開催されはじめたそうです。

 そして2015年、一つの大きな転換点が訪れます。今までは学生運動が盛んに起こった1968年-1970年の学生による「声を上げる」社会運動に対抗するような形で旧文部省は1969年に全国の未成年に「国家・社会としては行わないよう要請している」と規制する通知が出されていましたが、2015年10月に解禁の通知が行われ、中高生のデモや集会などの政治活動や社会活動が容認されるようになりました。

 このような流れの中で、政府の秘密情報の管理を強める特定秘密保護法に反対した学生団体SASPLのメンバーだった大学生らが中心となり、SEALDs(シールズ)を発足させ、リズミカルなかけ声、こだわりのプラカード、SNSを駆使した情報発信を行いながら、自衛隊の活動の幅を広げる安保法の審議の進行に対して毎週金曜の夜に国会前でデモを実施していたそうです。一時期は十万人以上を集めたデモも行っており、これらの活動の中に高校生も参加していたとされています。実際、安保理成立を阻止するという目的を果たすことはできなかったですが、安倍元首相と団体の代表が対話する機会などが作られていたそうです。

 これらの社会活動や、政治などの専門性がある場への未成年の参画に関しては、欧米に比べて寄付文化が根付いていない事や未成年の社会的信用が低いことで社会活動を行う際に必要なリソースを獲得する事が非常に難しい現状を背景に、2021年に行われたオランダのエラスムスロッテルダム大学と人権NGOによる共同調査の結果でも日本における未成年の意思表明の権利に関しては高い評価が得られていない現状があります。
(参考:Kids Index法務省諸外国における成年年齢)

 そして2015年9月、SDGs(持続可能な開発目標)が国連サミットで加盟国の全会一致で採択されました。さらに2002年より日本が提唱され始めていた持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)が2013年に開催された第37回ユネスコ総会で採択され、「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するグローバル・アクション・プログラム(GAP)」が作成されました。これに基づき、ユネスコを主導機関として2015-2019年に国際的に取り組まれ、SDGsの発表も相まって、日本でも一部の小中高校の授業の一環として、広く取り入れられるようになりました。それまでワークショップなどを主催していた団体や企業もSDGsを取り込んだプログラムを展開し始め、2015-8年前後、元文部科学省副大臣の鈴木寛さんによって学校への導入が推進されていたアクティブ・ラーニングが広がり始めたとされています。この頃からMAKERS UNIVERSITY U18Start up Base U18が始まり「高校生」の枠に捉われずに社会に踏み出す同世代を生み出すプログラムが生まれ始めました。2016年からは高い志と異能を持つ若手人材に自らの才能を開花できる環境を提供し、人類の未来に貢献することを目的として孫正義財団もスタートしています。

また2017年から2018年にかけては、学校内から外に出て活動を始めた様々な高校生起業家が生まれ始め、トビタテ留学JAPANなどのグローバルを視野に取り込んだプログラム、周りの同世代、学校でのアクティブラーニングを積極的に行っている先生方に背中を押されて、中高生による課外活動や教育イベントなどが開催されるようになりました。この頃から「海外大進学」が少し身近になり始めた気がします(主観)。

 そして2018年、環境活動家のグレタトゥーンベリさんによる「Skolstrejk för klimatet」(気候のための学校のストライキ)が行われ、SNSを通じて日本でも10代が環境問題をテーマにした議論や団体が生まれ始めました。同じ頃、日本では当時12歳の加藤路瑛さんによって、15歳以下の未成年でも保護者が一緒に起業を行うことができる起業の仕方が「親子起業」が誕生しました。個人的な印象としては、Facebookグループ「GrouthHub」などを活用しながら様々な地域の中高生がイベント情報を集め、様々なイベントに参加していく雰囲気が生まれ始め、マイプロジェクトアワードに応募したプロジェクト数も急増していました。

全国高校生マイプロジェクトアワードのエントリー数の推移、2013年から2018年にかけてプロジェクト数が急増していることがわかる。
マイプロジェクトアワード公式サイト2019.2.9ブログより

 2019年、今まで大学生が生み出していた学生団体が新聞明記では「学生」と書かれない(?)中高生が「学生団体」を生み出し、活動する動きが始まったような気がします。その象徴的なイベントが当時高校生の王氏が日比谷ミッドタウンBASE Qにて開催された「Update Youth」かと思います。これは中高生向けキャリアカンファレンスというコンセプトで政治家から企業人、大学生、デザイナーなど様々なジャンルの方が登壇し、同世代が大きな会場を貸し切って、年齢や所属の垣根を超えてキャリアや未来を語り合う場はとても印象的でした。この頃から中高生がクラウドファンディングや協賛(寄付)などを通してお金を集めて課外活動をする動きがゆっくり始まった気がします。2019年は他にも圧倒的なクリエイティブでDJを聴きながらキャリアを考えるイベントなどを繰り広げるCUE TOKYO、そして私の設立した街を歩きながら社会問題の当事者の状況を理解する能力を育むワークショップ課題発見DAYを軸に活動を展開するSustainable Gameなどが誕生していきます。その当時、取材をしてくださった新聞記者の方の方の「最近はメディアもようやく若い世代にスポットが当てられるようになって良かったです」という言葉が印象的でした。この頃から次第にSDGsバッチをつける企業の方を街でもたまに見かけるようになり、少し前に注目されていた社会起業や社会起業家という言葉が少しずつメディアなどで再び注目を浴び始め、中高生の世界でも耳にするようになった気がします。

 さらに将来世代に対して、企業側がCSR的な取り組みだけではなく大きなコミットメントを示す会社も生まれ始めました。例えば丸井グループは2019年2月改定したグループ行動規範に世界で始めてステークホルダーに「将来世代」を明記しました。またユーグレナは18歳以下の「CFO= Chief Future Officer」を募集し、小澤さんが選出されました。

 2019年の後半では、日本でも世界各地で起こる抗議の動きの中で、気候正義や環境問題をテーマに声を上げる同世代の仲間が熱い熱量で地球を守るためにアクションをし始めていました。一方で、自分自身の政治的主張を表明することを嫌がる雰囲気によって日本では声を上げる活動にチャレンジする事は圧倒的にハードルが高いように感じています。実際、私も気候正義やLGBTQ +のパレードなどに参加したり、見学したりした事があるのですが、突如現れる「声を上げる」集団に対して、他の通行者の怖がっている顔持ちはなんとも忘れられません。私自身もその時から、日本らしく、そして社会運動を用いない優しいマイノリティの権利拡張へのアプローチを模索し始めていた中、現状の原発の反対派と賛成派のそもそもの対話の基盤がないことに対して問題提起し、映像で架け橋を作ろうと挑む当時高校2年生の矢座監督によってつくられた映画「大きなやかん」など社会問題に対してなどが印象的でした。

 2020年、2月頃から次第に「何かの感染症がやばい」という情報がSNSなどで見受けられるようになり、2月中旬には新型コロナウイルス感染症が蔓延しました。3月2日には突然、学校が休休になり、前代未聞の社会の大変化が始めました。社会全体が前も後ろもわからない中で学校ではオンライン授業が開始、今まで話す機会がなかった地方や海外の同世代とあっという間に繋がることができるようになり、深夜まで社会を突き動かす同世代と時間に余裕ができた分、実直に自分や社会のことを考え、自分は何ができるのだろうかと考えていた同世代で溢れていたように感じます。そんなドタバタな状況の中で、私も日本初の中高生による一般社団法人Sustainable Gameを設立し、全国各地の同世代とzoomで企画し、オンラインの課題発見DAYの開催を模索したり、様々なワークショップや研修を展開し始めていました。その頃から、周りのオンライン授業を経験した友人たちもオンライン上の高校であるN高ゼロ高の価値も感じ、転校ブームが起きていた気がします。

 Zoomひとつあればイベントでもなんでも主催できる、と多くの中高生がコロナ禍をなんとかポジティブに乗り越えようと模索している雰囲気も感じ始めている一方で、地方の同世代との交流や社会問題への関心が高まり、教育格差やデバイスがないことによって、この雰囲気にも参加できない同世代が増えている辛さもあらわになり始め、なんとも言えない責任感のもと私もその流れの中で二重マスクで入国管理局の収容所の面会活動を始めるようにもなりました。そして当時高3の山邊さんによるnote「この割り切った世界の片隅に」は多くの方にシェアされ、地方の同世代の好奇心を得る機会の格差をなんとかなくしたいという優しさによって松本さんや楜澤さんによって高校生の異分野融合の研究を支援するプログラム「IHRP」が誕生しました。

 2021年はいろいろありすぎて少し割愛します。(直近の状況はおそらく皆さんご存知のことだとは思いますが、大きな出来事ございましたら教えていただけますと幸いです。) 強いていいますと東京都主催の高校生起業家養成プログラムの開始は、個人的にはとても印象的でした。また、Z世代という言葉がトレンドに馴染み始め、Sustainable Gameでも企業の方と様々な対話や共創をテーマにしたプログラムを運用している中、正面から未成年やZ世代向き合ってくださる企業が一気に増えたように感じました。

 2022年、3月31日にはSustainable Gameが京丹後市と日本初の未成年と自治体による包括連携協定を締結(映像)したり、「Life is Tech!」がオンラインで繋がる学校横断型部活をリリースし、未成年の可能性が次々と広がっています。そして、今年のマイプロジェクトアワードの出場者は過去最大の6,195プロジェクト・16,754名と発表されています。

あたらしい未成年とともに変化を続ける社会

 これまでの歴史をもとに、日本では「声を上げる」よりも「研究やプロジェクトを生み出す」アプローチの方がハードルも低く、多く行われている傾向を感じています。欧米の声を上げる活動に参加するというアクションよりも、自分で思考して作り上げるといった面で家庭や地域間での文化的資源による格差などが影響されやすいといった課題はあるかと思いますが、私はこの動きをとてもポジティブに受け入れています。なぜなら未来を見据えた未成年や次世代が中心となって作り上げたパーパスや構造の設計図をもとに各地域特有のコミュニティの創造価値が活かされ、みんなが暮らしやすい社会の実現が進んでいくと考えているからです。私が知る限り、声を上げる手段を用いずに、これほどの規模感で一気にこのような変容が起きている国は日本しかないのではないでしょうか。だからこそ、このようなポジティブな新しい動きに合わせて、現状の当事者の課題感に合わせた新たなルールメイキングと当事者への認識の在り方を見つめ直すことが一層必要になってきていると考えています。

左にEQUALITY(平等)、右にEQUITY(公平)が示されているイラスト
mage “Reality, Equality, Equity, Liberation,” courtesy Interaction Institute for Social Change (interactioninstitute.org), Artist: Angus Maguire

 最近、「未成年の17歳と成年である18歳の1歳の差とは何か?」と質問されることがありましたが、正直よく分かりません。昨今、様々な場でダイバーシティ推進が行われる中、本来は一人称単数のアイデンティティを持つ人々によって動いているはずの世の中は、いつの間にか社会に次々と複数人でまとめあげられ、「新しいマイノリティ」を取り込むために新たなマイノリティに対するアイデンティティのレッテル貼りが行われているように感じます。一部の人にとっては多様な人々を取り込んでいき、ダイバーシティを推進しているような錯覚が生まれているのかもしれませんが、実際のところ、そのレッテルを剥がすと様々な方が取りこぼされてしまっている現状もあるのではないでしょうか。

 例えば、私がドイツで経験したシリア難民を受け入れている際に起こっていた事象でいうと、受け入れから時間が経つにつれて「難民」というレッテルが貼られた人々は社会から分断されていき、新たな右翼集団は自らを新しいアイデンティティを持つ人々として分断していきました。しかしながら「難民」というアイデンティティで括られた人の中にも、キリスト教の人もいればイスラム教の人もいて、家族を捨ててまでして逃げて来られた方もいれば、知らず知らずのうちにブローカーに飛ばされてしまった方もいます。バックグラウンドも違えば、内側に抱えている課題も異なるにも関わらず、一人称単数だった人々は社会に、政治に複数のアイデンティティとして括られ、分断されていってしまった現状を目の当たりにして、このような新たなアイデンティティを持つ人々として分断を行っていくアプローチを取る社会にとても強い違和感を感じています。

 そのような考えを持つ中で私が「あたらしい未成年」というアイデンティティの括りを行うことに対して自分でも正しいのかどうか問い続けていましたが、今の変化の時代の中で生きる未成年の当事者が、現代の社会を生きる大人世代に適切に認知されていない状況や、その認知のイメージの歪みを解消する事は、ただ社会が一極端に未成年に対して保護や規制を設けるのではなく、いかにして未成年と社会が公平な状況で、共創しやすい社会を生み出せるのかを考え、私たち未成年と一緒に社会をつくっていく上で必要なのではないかと考えるようになりました。

 繰り返しになりますが、真に世代の枠組みがほどけた自由に共創ができる社会の実現には、中世ヨーロッパに生まれた「未成年」というアイデンティティに対しての認知の歪みを解消する糸口を生み出し、対話し、な社会共創の場を構築することが必要ではないでしょうか。私が同世代の仲間と共に、そのためのアプローチを模索した結果として生まれたのが「あたらしい未成年」という言葉、そしてプラットフォームFlareでした。

2022年4月14日 一般社団法人Sustainable Game発表のプレスリリース

「あたらしい未成年」と「企業」の共創で社会問題を解決する!?中高生が運営する未来のプラットフォーム『Flare』が誕生!

この社会には本当にいろいろな人がいる、あたりまえ。
それ故、私は無知である。たとえ痛烈な批判を言われても、ことごとく自分を否定されても、どんな相手とも実直に向き合い、その人のなかに自分を見出していくこと。とても難しいけれど、私はそんな選択を空気を吸うようにできる人間になりたい。

ということで長くなりましたが、私の主観だらけの記事ですので事実の齟齬や新たな情報のご提供お待ちしております。ご一読いただきありがとうございました。2022年5月5日こどもの日、山口由人




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