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Day1 夢の先にあるものは?

学生時代、ブログや今は懐かしmixi日記を書くことが好きで、書きたいことが次々と湧き出ていました。10年以上経ち、Twitterやインスタグラムこそ更新するけど、長い文章は小っ恥ずかしくなり、そもそも誰が読みたいねんとどんどん遠ざかってしまいました。そんな中、最近読んだ本『書く習慣』の一節に勇気をもらい、今筆を取っています。

わたしたちが生まれてきたこと自体に意味がないように、文章にもとくに意味はありません。強いて言うなら、その意味のない文章に、意味づけするのは読んだ人。

誰か読んでくださる人がいるのかも分からないけれど、アラサーOL・某国駐在員の自分が考えていることを『書く習慣』の巻末にあった1ヶ月チャレンジのテーマに沿って、一ヶ月、書いてみます。毎日更新できないだろうことと、いつまで続くかわからないことと、そして特段リズムの良い文章でもないことはご愛嬌で、今、見切り発車を切りたいと思います。

Day1 「今抱いている目標や夢について」

私は有難いことに学生時代、働きたいと思っていた会社に入社することができ、駐在員という形で「海外で働きたい!」という幼い頃からの夢も叶えることができました。プライベートでは数年前に結婚し、今は家族と一緒に海外で住むことができています。とっても恵まれた有難い環境に、今の私はいます。
それなのに、ふと物足りなさや不安を感じることがあります。

貪欲に、がむしゃらに、夢を叶えようと頑張っていた頃の方が、
仕事や勉強への熱意もあったし、
余暇も少なかったけど、濃縮されてより充実した時間を過ごしていた気がする。
私は一体これから何に向かってがむしゃらになれるだろう。
幸せだけど、ちょっとのっぺりした毎日を繰り返し、
いつの間にか40歳・50歳になっているのだろうか。
こんな冷めた自分のままでいて、
将来の自分は果たしてちゃんと幸せでいてくれるだろうか。

日本企業らしい日本企業に勤務して早10年ほど、良くも悪くも安定に安住している自分がいます。たとえどれだけ「すごいやつ」を目指して努力したとしても、自分が社長なんかになれるわけもなければ、目指す気すらない中で、自分がなれるところの限界も想像がついてしまう。そしてそこを目指すことに対してもいまいちワクワクしない。自分の憧れてた舞台にいるのに何故だろう。
なんだか学生時代や若手の頃に「こんな仕事がしたい!」と思っていたワクワク感も見当たらなければ、1日1日を大切にして昨日よりも今日をよく生きようと思っていた頃のように自分の人生への真剣さもない。何の苦痛も感じずに勉強や仕事に没頭していた自分はどこにいった。

ということで、私の今の目標・夢は、
また自分が必死になれるような目標を、職業人として見つけることです。

この1ヶ月チャレンジを通して、少しでもその目標に近づければ何よりだし、書くことで昔よりも解像度が低くなってしまった自分自身について知る事ができればいいなと思います。

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