見出し画像

ドリトル先生とウミツバメ

※ 2022/3/27 excite blog より転載

生まれ変わったら何になりたいか。先日ある雑談の中でそんな話になって、「ウミツバメになりたい」と答えた。

いつもそうであるように、やはりこの時も、え?人じゃなくて?と聞き返されたが、これは子供の頃から(たぶん11〜12歳くらいから)変わっていない。

ウミツバメというのはウミツバメ科の20種くらいの海鳥の総称で、世界中に分布している。体長は20cm前後と小さいが、繁殖期以外は陸地には近寄らず、その生活の多くを空か海上で過ごす。

嵐の後、何事もなかったかのように悠々と大空を飛ぶウミツバメの姿を見ることがある。身を隠すところもない大海原で、どこで嵐をやり過ごしていたのだろうか?

その小さな体に持つクールさに、なんとなく魅せられていったきっかけは、子供の頃繰り返し読んでいた「ドリトル先生物語シリーズ」の影響だろう。イギリス出身のアメリカの作家、ヒュー・ロフティングによる児童文学作品だ。

人間を診る町医者だったドリトル先生は、飼っていたオウムに動物の言葉を教わったことをきっかけに、ありとあらゆる動物たちと会話ができるようになり、やがて世界中の生き物を診るお医者さんになっていく…というおはなし。

シリーズ10作目の「ドリトル先生と秘密の湖」で、ドリトル先生はアフリカを目指して航海中に嵐に巻き込まれるところを、一羽のウミツバメに先導してもらい危機を脱する場面がある。ウミツバメと別れを告げた後、飛び立ったその姿を見送りながらドリトル先生はこうつぶやく。

わしはな、スタビンズ君(※ドリトル先生の助手)、この自分自身、つまり医師以外のものになりたいと思ったことはない。だが、もし、何かの機会で、わしが何かになれるとしたら、わしは、あれになりたいと思うよ。世界中のどの生き物よりも、あの嵐をつげるウミツバメになりたいよ。

ドリトル先生と秘密の湖(1948)  

子供の頃に受けた印象というものは、良くも悪くも永らくその人の深層に生き続けることがある。昨日のこともロクに覚えていないことがあるのに、なんとも不思議なものだ。

その時「鳥になりたい」となった心理がポジティブな理由だったのかネガティブな理由だったのかは、今となっては思い返す術もないが、その後の自身の自然観に何かしらの影響を与えているはずだ。

ドリトル先生物語シリーズには今の価値観で言えば人種差別につながる表現があり、一時期は発禁や回収騒動もあったが、今では問題なく手に取ることができるようになっている。

過去に蓋をしてしまうことは、害にはなっても益することはない、そういう動きが社会に芽生えてきたのは、とても良いことだと思う。

そして、ウミツバメはそんな事も気にせずに、今日も大空を羽ばたいていることだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?