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コロナワクチンに思うこと

ワクチン接種が加速しません。
人類が未経験の「mRNAワクチン」への不安も大きいと思います。
それぞれの人が、自分の判断でワクチン接種をすべきだと、私は考えています。

人類の存続は疫病との尽きない闘い

京都の夏は、祇園祭りで始まり、五山の送り火で終わります。
祇園祭りの起源には疫病が関わっています。
地球を取り巻く自然の中には、病も含まれているのです。
私達の現在は、病を乗り越えた末に手に入れたものなのではないかしらと思うのです。

私の個人的な見解

接種券が届いたら、できるだけ早くワクチン接種をしたいと私は思っています。
全く個人的な理由ですが、コロナ禍が始まってから揺るがない私のポリシーでもあります。
長引くコロナ禍から守りたいもの、それは小さな命です。
世界中には、戦争や権力争い、貧困や差別によって失われる小さな命が沢山あります。
それを解決する智慧も力も持たない私ですが、私なりの精一杯を尽くせればと思っています。
私にできる、幼い子ども達を護る為にできること、その一つがワクチン接種だと思っています。
幼い子ども達に、後々に不安を抱えるワクチンを接種を極力させない為にできること
それは、日本全体が集団免疫を持つことではないかと思うのです。
日本が集団免疫を獲得する為の一人として、私はワクチン接種をしたいと思っています。

倖せの在処について

最近、私は何故生きているのだろうと考えることが多くなってきました。
報われ、報われない62年の人生について。
人に恥じない生き方をしてきたわけではありませんから、後悔も沢山あります。
62年かけて見えてきたものがあります。
それは、「愛」という得体のしれない心の柱です。
宗教の影響とかそんなものではなく、やっと「愛」というものの尊さを少しだけわかった気がしています。
生きる事は四苦八苦の連続であることを受入れれば、倖せの在処も見えてきました。
笑われるかもしれませんが、その最もシンボル的な存在が孫なのです。

孫を護りたい=大切な幼い子どもの命

私が発案して創った「幼児の抗菌手ぶくろ」は、コロナ禍が始まった頃に孫が私に言ったひと言から始まりました。
感染対策が大人目線で進む中、感染率が低い、重症化しにくいという理由で、幼い子ども達の感染対策はメジャーになりませんでした。
保育園、幼稚園では、職員の方々が賢明に幼い子ども達の感染対策を考え、実施されています。
たまに、TVなどで取り上げられますが、大きな話題になることはありません。
ウイルスは変異種を生み出し、ヒタヒタと幼い子ども達へのにじり寄ってきています。
今が踏ん張りどころです。
あと6ヶ月、大人達がワクチン接種を行っていけば、集団免疫に近いものが形成させると思っています。
私は、もう暫くの間、幼い子ども達の感染対策に、微力ながら取り組んでいきます。

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