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PVから読解する柴田聡子の「結婚しました」

歌詞の読解というのは、大変なわりに、正解がなく、その上、需要もない、という何一つメリットのない行為だが、せっかくの自粛連休なので、こういった苦行を試みてみるのも一興である。

今回扱う柴田聡子の『結婚しました』は、曲も歌詞もPVも素晴らしいし、なによりレコード会社であるP-VINE, Inc.がYouTubeにオフィシャルビデオを公開してくれているので、やりやすい。ありがとう、P-VINE, Inc.

(とはいえ、一般的にはPVと歌詞はまったく関係のないことのほうが多く、むしろ誤読の元なので、PVから歌詞の読解なんて酔狂なことはあまりおすすめしない)


というわけで、はじめてみよう。

序盤の、しあわせで、ちっぽけな新婚生活

やっぱハワイより船に乗ろうよ 麦わらの影の網目
なんにも変わらないね こっちだけが休みで悪いね

「結婚しました」というタイトルから、“やっぱハワイより船”は「新婚旅行はハワイじゃなくていい」という意味。

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船も豪華客船とかではなく、PVの最後にでてくるクルーザーくらいの大きさの船であるとして進めていく。

なんにも変わらないね こっちだけが休みで悪いね

地元=何も変わらない 平日に休んで=自分たちだけが休みで悪いね。
つまり、ハワイの代わりに、平日に地元でクルーザー観光をして、それを新婚旅行をしている

うちのチワワと亀と鳥は今日も明日もまたかわいいね
閉じこもってしまう部屋は無い方がいいと思う

チワワと亀と鳥は、どれも室内で飼えるペットなので、閉鎖的なイメージ。「今日も明日もまたかわいいね」はポジティブな文章みえるけど、同じ状況が続いてる代わり映えのない生活を暗示させている。

「閉じこもってしまう部屋は無い方がいいと思う」は、自分の部屋がない一間で窮屈な暮らしを、ポジティブな解釈でのりきっている

ちょうどこの歌詞のPV場面は「畳の床に、書き割りのハワイ」という構図になっていて、本当はハワイの新婚旅行を夢みていたけど、現実は和室の一間。でも、これはこれでしあわせ。という歌の世界観を表している、ように解釈ができる。

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破局、気持ちが冷めていく生活

つくりもののまつげからこぼれ落ちる涙のうしろを
マツダの軽で追いかける泥まみれの赤い靴

つくりもののまつげは、女性を象徴するアイテムで、マツダの軽(車)は男性を象徴するアイテムなので、泣いて逃げていく嫁を、追いかける旦那というシーン。

「泥まみれの赤い靴」は歌詞中には繋がるものはないけど、同じアルバム内に『涙』というクリスマスソングがあり、ちょうど「なみだ」という歌詞もでてきているシーンなので、関係した詩であると考えると、ぐっと歌の世界観が広がるが、解説が大変なので『涙』の解説はここではしない。読んでみてください。

芍薬でしょうか薔薇でしょうか
あの日の花火を例えるなら
今好きなことどれくらい 好きでいられるかなんて話

「あの日の花火」は「今好きなことどれくらい 好きでいられるかなんて話」にかかっていて、やがて消えてしまう美しかった恋の暗喩であり、
花言葉であり、芍薬(誠実さ、つつましさ)あるいは、薔薇(情熱な恋)なのか、どちらにせよ、花火や、花のように、終わりあるもので喩えられている。

夢見た 夢のために今日も
なにもかもやりすごせそうな気配

PVとしては、ちょうどこの部分で、新郎新婦が公園でおいかけっこをしていて、

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序盤にもでてきたハワイの書き割りがここでも登場し、ステレオタイプな恋愛の想像シーンとしてよく描かれる「砂浜でおいかけっこ」の暗喩となっている。

「夢見た夢」は、美しい恋愛という夢をみる夢。
つまり、夢はいつまでも夢だとあきらめている上で、それでもそれを愛するという超絶ポジティブな自分の信念ようなもの。

しあわせな結婚生活を、一瞬でも想起できた美しい思い出のために、何もかも「やりすごす」=見て見ぬ振りができる。

はじめて大きな音をたてて こだわりのテーブルを叩く
よろこんで買って来た 箱の中身はちばてつや

『畳』『小さなテーブル』『ちばてつや』といえば、『巨人の星』のちゃぶ台返し。
DV的なトラブルを彷彿とさせるシーン。

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一応、PVでも、『巨人の星』のちゃぶ台返しはしないが、食べ物(バナナ)が食べられてしまうことで、食べ物が喪失するシーンとして描かれている。

振り返ると春夏秋冬と 気づかなくなってきた髪の毛の
色や長さに気をつけないと
あっという間に謝れないまま

流れる川が ただ流れる 流れていくのをただ見て居る
だますよりはだまされる方が
まだいい まだいい まだいいよ

終わってしまったままの恋愛感情や、叶うことのない夢や、はたされぬ約束が、「だまされるほうが」=まだあるかのように、ただ受け入れているが…

雪もあんまり降らなくなって 暮らしやすい楽な北国
明日の朝の雨降りは ふたりでは持てぬ傘が要る

「雨降り」は、前の節にある「こぼれ落ちる涙」を連想させ、「ふたりでは持てぬ傘が要る」は、2人の関係が続けられなくなる外部的(自然的)なトラブルを連想させる。

絵に描いてた梅は散ってしまい 枝だけ広がる画用紙も
許せるようになった日々が お待たせと頭を掻いて

絵に描いていた(夢みていた)「梅」(花言葉は忍耐、忠実)が、散ってしまったけど、枝だけは残っている。

枝だけでもいいや、と思ってた日々が、「お待たせと頭を掻いて」は、解釈が難しいけど、PVではカオス状態になっているので、『夢見た夢から覚めた』は、

夢はいつまでも夢だとあきらめている上で、それでもそれを愛するという超絶ポジティブな自分の信念の限界であり、

しあわせな結婚生活を、一瞬でも想起できた美しい思い出のために、見て見ぬ振りをしてきたが、それができなくなってしまった。

つまりは、結婚生活の終わりを意味してる。

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広げた手はとぼけたふりして
何もかも知りながら待っていた
離されない手をただ離さないように

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「お待たせと頭を掻いて」と終わりを告げた結婚生活を、「広げた手」で迎える破局。

うまくいかない、近いうちに終わることを「何もかも知りながら」
「離されない手を、ただ離さないように」=『求められているうちは、ただそれをしっかりと答えるように』、破局するのを「待っていた」

みたいな感じじゃないかなと、言語化って難しいですね。

『結婚しました』というタイトルからは、すごくハッピーなものを彷彿させるし、歌詞を構成する感情はポジティブなものが多いけど、それに不釣り合いな物質が、ちょくちょく登場して(ちばてつやとか)、夢と現実、しあわせとふしあわせといった両義的な要素が絶妙に配置されている。

「結婚しました」という報告自体が、新しいはじまりでもあり、自由恋愛の終わりでもあり、その結婚の両義性を見事に編み込んだ歌詞だと思いました。

これはあくまでPVから考察したものであり、自分自身正しい解釈だとは思っていません。
いい曲なので、聴いた人、それぞれの歌詞の世界や、意味があればとは思いますが、他の誰かが曲を解釈しようとしたときの参考になれば幸いです。

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