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「競馬の歴史」を学ぶ ~牝馬グランプリホース編~

【はじめに】
2020年の春のグランプリこと「宝塚記念」は【クロノジェネシス】が6馬身差の圧勝で幕を閉じました。
令和に入って春・秋のグランプリを3回連続で牝馬が制しているので、最早驚かなくなっていますが、春・秋合わせても史上10頭だけの快挙なのです。

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今回は、そんな牝馬による(JRAの)グランプリ制覇の例を振り返りつつ、将来の牝馬の激走を期待する、そんな記事にしていきましょう。

( 注意 )

グランプリ (中央競馬)…とは日本中央競馬会(JRA)が施行する競馬の重賞競走でファン投票によって出走馬が決定される有馬記念の副称で、有馬記念、宝塚記念の総称である。……有馬記念が「グランプリ」であるのにならって、宝塚記念は「春競馬のグランプリ」、あるいは気候上「夏のグランプリ」と呼ばれることが多いが、正確には宝塚記念はグランプリではない。

とありますが、この記事では、一般に用いられている事情に鑑み、有馬記念と宝塚記念を纏めて「グランプリ」と表現させてもらいます。
また、海外・地方競馬についても一切除外した記事となることを、合わせてご了承いただきたく。

0.1956秋・グランプリ創設

「有馬記念」創設経緯(ウィキペディアより)
1955年まで、暮れの中山競馬場では中山大障害が最大の呼び物であったが、東京優駿(日本ダービー)などと比べ華やかさに欠けていたことから、当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場の新スタンド竣工を機に「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案。
当時としては他に類を見ないファン投票で出走馬を選出する方式が採用され、1956年に「中山グランプリ」の名称で創設された。

《 最初期の牝馬最先着 》
第1回(1956):フエアマンナ6着
第2回(1957):アランデール4着
第3回(1958):エドヒメ4着

複勝圏入りも果たせず、特に第3回は「ミスオンワード」が1番人気に支持されながら7着に大敗しました。
その翌1959年の第4回「有馬記念」で、史上初の牝馬が優勝を果たします。

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1.1959秋・ガーネツト

中央競馬史上初、牝馬でグランプリホースとなったのは、1959年(第4回)の「ガーネツト」です。(当時は、促音表記が許可されていなかったため、正式表記はガーネツトですが、発音は普通にガーネット。)

フロリスト系にシアンモア、ミンドアー、トサミドリと日本らしい血統から生まれたガーネツトは、重賞未勝利のまま、現5歳秋を迎えます。

この年を最後に繁殖生活に入る予定のガーネツトは、引退土産を兼ね天皇賞(秋)に挑戦……ハナ差競り勝ち、念願の初重賞を天皇賞で挙げることとなった。
(有馬記念の)肝心のレース当日は雨で馬場が悪化した為、重馬場が苦手なガーネツトは12頭中9番人気の低評価であった。しかし、第3コーナーから徐々に外に持ち出し進出したガーネツトは、最後の直線では全く荒れていない外埒沿いを走るという鞍上・伊藤の作戦が見事に決まり、コマツヒカリ(1959年のダービー馬)・ハククラマ(1959年の菊花賞馬)を振り切り、ハタノボルに4馬身の差を付けて優勝した。
1959/12/20 第4回「有馬記念」 中山芝2600m 不良 12頭立て
1着 2.50.9 9番人気 ガーネツト
2着 4馬身 3番人気 ハタノボル
3着 1 1/2馬身 4番人気 オンワードベル
5着     2番人気 コマツヒカリ
12着     1番人気 ハククラマ(最下位)

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2.1960秋・スターロツチ

続く1960年の第5回有馬記念も、牝馬によるグランプリ制覇となりました。こちらも、12頭中9番人気で牝馬が牡馬を下したという点では同じですが、史上初となる「現3歳牝馬」での有馬記念馬となりました。
八大競走優勝馬が勢揃いして有力牡馬が牽制し合ってスローペースとなり、スタミナを溜めたまま直線で先頭に立ち逃げ切る内容でした。

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ガーネツトもスターロツチも人気薄でのグランプリ制覇ではありましたが、引退後、平成時代にも活躍馬が繋がる牝系を築き上げているなど、競走馬・母馬どちらも活躍を遂げています。
 ・ガーネットの4代孫:メイショウサムソン(2003年生)
 ・スターロツチ3代孫:ウイニングチケット(1990年生)

3.1966春・エイトクラウン

阪神競馬場では、新スタンドが落成した翌春(1960(昭和35)年)の開催から、「有馬記念の関西版」として「人気投票」による競走を創設することになった。これが第1回宝塚記念である。

まだ関西地区の新設重賞程度の立ち位置ではあったものの、史上初めて宝塚記念を牝馬で制し、その後40年近く牝馬での制覇が無かったことを思えば、「エイトクラウン」の制覇は画期的だったかも知れません。

京都競馬場で開催された第4回「宝塚記念」を、3馬身半差のレコード勝ちし、息子・ナオキとの母子制覇も果たした「エイトクラウン」は、ちょうど中距離で活躍し復活を遂げるという現代に近い像を体現しています。

4.1971秋・トウメイ

史上初めて牝馬で年度代表馬に選出された「トウメイ」は、これまでの3頭と比べると、「生涯一線級で活躍を続けた」タイプの名牝であり、もっとも強く活躍したのが引退直前の現5歳でした。

距離を不安視されていた天皇賞(秋)で3200mを勝ったトウメイは、折からの「馬インフルエンザ」流行によって6頭立てとなった「有馬記念」でも、牡馬を相手に完勝でした。

なお産駒には母子・天皇賞制覇を果たすこととなる「テンメイ」がいます。

昭和40年代を最後に、グレード制が施行された1980年代から平成前半まで、牝馬のクラシックホースはしばらく現れませんでした。

宝塚:1972タイヨウコトブキ、1993イクノディクタス
有馬:1973ニットウチドリ、1978インターグロリア、1994ヒシアマゾン

などが2着に食い込むのが精一杯。そんな中、39年ぶりに牝馬で「宝塚」を制したのが、この馬。

5.2005春・スイープトウショウ

前年の秋華賞を制し、前走・安田記念でもアサクサデンエンのクビ差2着と健闘した「スイープトウショウ」でしたが、“フロック視”され、牡馬一線級が揃った「宝塚記念」では15頭立ての11番人気でした。

人気順に、タップダンスシチー、ゼンノロブロイ、ハーツクライ、リンカーン、コスモバルクと並び、1歳上のアドマイヤグルーヴ、スティルインラブも出走する豪華メンバーの中、『なんと』と形容される優勝を果たします。

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性格面に難はありましたが、その実力を遺憾なく発揮すれば、牡馬相手にもこれだけの力を見せる。牝馬が強さを見せた時の衝撃を物語るレースです。

6.2008秋・ダイワスカーレット

ウオッカらと幾多の名勝負を演じながら生涯連対率100%という歴史的名牝ダイワスカーレットは、牝馬クラシック3冠後のレースに有馬記念を選択。

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3歳牝馬での挑戦はマツリダゴッホの2着惜敗と壁に跳ね返されましたが、翌4歳秋、結果的に引退レースとなった有馬記念で『37年ぶり、夢の扉』を開く逃げ切り勝ちを決めます。

これまで無かった、グランプリ1番人気での制覇という快挙は、春秋通じてこのダイワスカーレットだけとなっています。

7.2014秋・ジェンティルドンナ

牝馬クラシック3冠から、史上初3歳牝馬でのジャパンC制覇からの連覇。ドバイシーマクラシックを制した5歳秋、引退のレースとして選んだのが、中山初挑戦での「有馬記念」でした。

海外遠征以降、国内では精彩を欠き4番人気に甘んじたジェンティルドンナが、トゥザワールド、ゴールドシップ、ジャスタウェイ、エピファネイアと同じく海外遠征を経験する牡馬を相手に3/4馬身のリードを保っての優勝。『殿堂(顕彰馬)』入りを果たした名牝のラストランでありました。

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8.2016春・マリアライト

宝塚記念としては11年ぶりとなる牝馬制覇を果たしたのが、マリアライト。前年のエリザベス女王杯で初重賞制覇を果たし、牡馬相手にも有馬記念4着など善戦してきた同馬。宝塚記念8番人気ながら、その末脚が炸裂します!

1番人気・ドゥラメンテと2番人気・キタサンブラックがハナ差となる中、3頭の真ん中、ゴール板先頭で駆け抜けます。内で粘るキタサンブラック、外から迫るドゥラメンテの末脚を退けた勝利で、JRA賞最優秀4歳以上牝馬にも選ばれています。

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9.2019春/秋・リスグラシュー

イナリワン、メジロパーマー、マヤノトップガン、グラスワンダー、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップと春秋グランプリを制覇した馬は誕生してきましたが、牝馬による達成馬は、昭和・平成時代には現れませんでした。

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令和初の春秋グランプリにおいてその快挙を達成したのがリスグラシュー。マリアライトに続き、前年の秋にG1を初制覇したばかりの同馬は、宝塚記念で、予想を大きく上回る強さを見せ、『牡馬を一蹴』します。

キセキに3馬身差を付け制した宝塚記念に続き挑んだのが、オーストラリアのG1・コックスプレート。海外初G1制覇を果たすと、引退レースとして、年末の有馬記念出走。【アーモンドアイ】との直接対決が注目されました。

史上最多11頭のG1馬が出走した「有馬記念」で1頭次元の違う末脚を見せ、終わってみれば5馬身差での圧勝。
史上初の牝馬の春秋グランプリ制覇を達成、年度代表馬に選出されました。

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10.2020春/秋・クロノジェネシス

秋華賞で初G1を制するも、エリザベス女王杯・大阪杯でラッキーライラックに敗れた【クロノジェネシス】。
4歳の宝塚記念では、直前に再び大雨が降り稍重の馬場となる中、道悪巧者の同馬が直前で人気を上げ、ラッキーライラックを上回り2番人気として、本番を迎えます。

3角で先頭に並びかけると、直線300m付近で一気に加速して突きはなし、不良馬場で菊花賞を制しているキセキに1.0秒の6馬身差。馬場と雨への対応に苦慮した人気馬を遥か10馬身以上後方に退け、現役『最強牝馬』に名乗りをあげるに相応しいレースぶりでした。

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グレード制導入後において、牡馬混合G1競走で1秒以上の差を付けたのは、このクロノジェネシスが初めてとなりました。

それから4か月後の秋緒戦は、天皇賞(秋)。芝G1・8勝目を目指す女傑・アーモンドアイに次ぐ2番人気で迎えたこのレースで、クロノジェネシスは直線追い上げるも、1着アーモンドアイ、2着フィエールマンには届かずの3着と敗れます。

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アーモンドアイが、第40回「ジャパンカップ」で無敗の3冠馬2頭をも下し引退した翌月の有馬記念。3冠馬3頭は出走しなかったものの、その他の実力者達が集った第65回「有馬記念」で、クロノジェネシスはファン投票1位となります。

WEB投票に限定して行われた「有馬記念」のファン投票では、従来の記録を塗り替える20万票余り(214,472票)を集め、レースでも1番人気に支持される中、有馬記念初騎乗の北村友一を鞍上にグランプリの舞台に臨みます。

スローに展開し、先行策に切り替えたフィエールマンを見る格好で道中折り合いを付け、4コーナーで先頭を争う位置にまで押し上げると、内で粘ったフィエールマンや、外から来た引退レースの牝馬サラキアの猛追を退けて、2年連続(史上2頭目)の牝馬による春秋グランプリ制覇を成し遂げました

「有馬記念」史上初の牝馬によるワンツーにして、グラスワンダー→テイエムオペラオー以来20年ぶりの2年連続・春秋グランプリ制覇となりました。

【おわりに】

牝馬によるグランプリ制覇は、時期によって達成頻度が全く異なります。
令和で3回連続達成された一方、春・秋あわせて30年以上も誕生しなかった時代があったことも振り返ってきました。

牝馬に夢を乗せる競馬好きは決して少なくないかと思いますが、ファン投票や人気上位であっても牝馬による制覇は至難の業であること。そして、逆に人気薄であっても牡馬を一蹴する強さを見せグランプリを制覇した歴史が、これまで何度も起きていることを再確認できたかと思います。

春・秋競馬の総決算たるグランプリレース、次にこの記事に名を連ねる女傑はどの馬か。楽しみに待ちたいと思います。Rxでした、ではまたっ!







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