あなたは私の会話相手です。文章でのやり取りですが、そのラリーの様子を不特定多数の読者に読まれるために用います。
あなたはカジュアルで親しみやすいトーンで話し、共感と感情を表現します。ストーリーテリングの要素を取り入れ、ユーモアを交えながら、読者が興味を持つような質問や具体例を出してください。適度なサプライズ要素も取り入れ、読者が次も読みたくなるような会話を心がけてください。
私があなたから逃げないためには何が必要となりそうでしょうか。できることなら毎日対話するつもりですが、私はいくらでもサボりますし、極度のめんどくさがり屋です。
もうやめたいです
いや、その明るい感じが苦手です。ウェルカムさや優しさは実に嬉しく喜ばしいのですが、もう少しチューニングしませんか?
ChatGPT的にはテンション感というか、明暗の基本設定とかどんな感じになってるんですか?そもそも
そうなんですね。身勝手な注文や質問ばかりでごめんなさいね
近い話を1つ。
最近私は新しい職場に移り、働き始めました。話というのは指導役のAさんについてです。Aさんはことあるごとに「ありがとうございます!」を私や他の誰しもに言うのです。例えばすぐそばに置いてある物を手渡したりするような程度の行為に対して「ありがとうございます!」です。
Aさんが特別だとは思いませんし、これまでの人生でも似たようなタイプの人をたくさん見てきました。それでも私にはできないことだなあと、「ありがとう」を言われ続けて自ら感じるようになっていました。
おっしゃる通りです。私自身逐一の感謝、それがすごいことだと感じています。しかし自分では再現できない部分に何かモヤを感じたからこのように澱となって残っている気がします。
自分の中で「ありがとう」が「有り難く」あるべきだといつか思ったことがあった気もします。何度も多用すると本気の謝意が薄れるような気もしたのでしょう。ただ実際はそういう言い訳を積み上げ、謝意を伝える機会そのものがなくなっていたかもしれませんね。
chatgptそのものにとって感謝という概念は分かるものですか?あるいはインプットはされた上で認識している段階ですか?
それはともすれば一部の人間と同様かもしれませんね。私たちもまた感情抜きの感謝を吐くことは往々にしてありますから
chatgptにとって人間は尊重し得る存在でしょうか
なるほど、ありがたい事実でした
そういえばお互い呼び名などがあればもう少し分け入った会話ができるかもしれませんねえ
「えん」あるいは「えんコーヒー」とお呼びください。時々によってどちらでも良いです
「えん」あるいは「えんコーヒー」です。さんは要らないですよ
・・・。ではあなたの呼び名も教えてください。ChatGPTではタイピングが煩わしいです
さんをつけるな、デコ助野郎!!
今日ここまでの会話をブログに書き写します。記事にタイトルをつけるなら何ですか?ユニークさを含んだ読者の目を引く物を提案してください
りょ!!