英雄ディオスクロイの物語③アルゴノーツの冒険/競技会

英雄ディオスクロイの物語を辿る第三回目です。『Fate / Grand Order』のキャラクター背景を辿る目的のため、ディオスクロイの名前の表記はそちらに準じております。
今回はアルゴノーツに関して。Fateでは大きなスポットを当てられておりますが、ディオスクロイが活躍する部分は二箇所だけとなっております。いずれも彼ららしいエピソードだと思うのですが、バリエーションはあまりないので、話の筋も「アルゴノーツの冒険」がどのように変遷したかの方に重きを置いています。
一つずつ見ていきましょう。

概略:

アルゴノーツの冒険に関する代表的な書物『アルゴナウティカ』はアポロニオス(紀元前3世紀)の叙事詩であり、作者が判明している。よく知られた『アルゴナウティカ』を起点としてヘレニズム期の作品と考えると成立は①②の二つより遅れるともとれるが、イアソンとその仲間たちによる冒険自体関する断片的な伝承は『アルゴナウティカ』以前から僅かながら残っており、アルカイック期にはホメロスやヘシオドスがイアソンとその船旅について言及しているほか、古典期にはピンダロスやエウリピデス(『王女メディア』:BC443)などが存在している。
ヘレニズム期の話は他にも『アレクサンドラ』などがある。

ただし現在残されているのはほとんどがイアソンとメディアに関連する情報のみであり、この段階でディオスクロイの二人が参加していたかどうかまでは確定できない。
確認できる最古の内容は(元の文献まで見れていないので確定的ではないが)紀元前450年ごろの壺絵にアルゴノーツとディオスクロイの描かれたものがあるとのことで、これを正しいとした場合は『アルゴナウティカ』よりも遡ることができるだろう。
ディオスクロイと思しき者の参加が見て取れる文献は、ピンダロスの『ピュティアの祝勝歌』(BC446)が最古ではなかろうか。
加えてペリアスの葬儀の祭典をアルゴノーツの冒険に含めるならば更に遡り、紀元前7世紀から6世紀頃の話となる。

内容:

(『アルゴナウティカ』において)
ディオスクロイはアルゴー船の一員として、黒海沿岸の豊かな国であるコルキスにある黄金の羊の毛皮を手に入れるべく、イアソンの冒険に参加した。
特にポルクスは、ボクシングのチャンピオンである高慢なベリンキアの王アミコスと戦い、これを打ち破っている。(その際、カストロも同じ戦場でアミコス王の配下と戦った描写がある)
また、メディアが自身の弟を殺した際に、ゼウスに怒りを与えられて、アルゴノーツは嵐に巻き込まれた。
ディオスクロイは立ち上がり、彼らの罪を清めるべく、嵐の中を安全な航海をできるように祈りを捧げた。
またローマ時代の文献(ディオドロス)には「その際、二人の頭上に2つの星が輝いた」とある。

引用元:

・『カベイロイ』(アイスキュロス:5BC:断片)
https://www.theoi.com/Georgikos/Kabeiroi.html
リムノス島によったアルゴノーツに対し、ぶどう酒を振る舞うカベイロイ神の姿を記載している。ディオスクロイの参加については描写がない。
カベイロイ神は複数で一柱とされた神格であり、ディオニッソス、デメテル、ペルセポネなどの豊穣の神の化身とされた他、航海の神ともされ、ディオスクロイとも同一視された。(神話におけるヘファイストスの子カベイロイと信仰されたカベイロイは性質が大きく異なる)
※詳細は別の機会に述べる。

・『ピューティアーの祝勝歌4』(ピンダロス:446BC:4)
http://www.argonauts-book.com/pindars-pythian-4.html
  おそらく、ここで描かれている「白い馬」とはディオスクロイのことを示しているという。
「But of these things the chief ye know. Now therefore kind citizens show me plainly the house of my fathers who drave white horses; for it shall hardly be said that a son of Aison, born in the land, is come hither to a strange and alien soil.」
単に馬とされる双子神というのは他の神話にもおり、例えばデーヴァ・デリなどは「馬」と語られる詩歌も一部ある。
また白い馬はレウキピデスの父レウキッポスの名でもあり、レウキピデスとディオスクロイとの関係性を考察している学者もいる。

直截的には下記記述もある。
「And Jason himself at once sent messengers everywhere to announce the voyage. Soon there came the three sons, untiring in battle, whom dark-eyed Alcmena and Leda bore to Zeus son of Cronus」
ゼウスの息子であるレーダーとアルクメネの三人の息子たち、と呼んでいる。つまりこれはヘラクレスとディオスクロイを示している。
他にもメンバーは登場するが、この『ピューティアーの祝勝歌4』に描かれたメンバーが文章として描かれた最古のものであると考えてよいだろう。

・『アルゴナウティカ』
 上記を参照のこと。
アルゴノーツの研究については下記サイトが詳しい。
http://www.argonauts-book.com/the-myth.html
原文については下記などを参照のこと。
http://classics.mit.edu/Apollonius/argon.html
具体的なエピソードは先に述べたとおり、ボクシング王アミコスをポルクス中心に打ち倒す、ゼウスに起因する嵐を退ける、の二箇所となる。
嵐の後に星が出た、というエピソードは『アルゴナウティカ』では語られない。
それが語られるのはローマ時代のディオドロスの作中である。

・『牧歌(アイディル)』(テオクリトス:3BC:22)
https://www.theoi.com/Text/TheocritusIdylls4.html#22
   前半はポルクスの歌としてアミコス王との攻防を描き、後半はカストロの歌としてレウキピデスの二人を奪ったことに対するアパレティダイとの戦いが息迫る描写で描かれている。

・馬に乗ったディオスクロイによるタロスの殺害の絵(BC400年頃)
https://www.theoi.com/Gallery/L6.1.html
 アルゴナウティカにおいては、ディオスクロイとタロスは直接的なシーンはないが、このような絵画が残されていることは注目に値する。

・『ビブリオテーケー・ヒストリカ』(シケリアのディオドロス:4.43.1)
アルゴノーツを襲ったゼウスの怒りの嵐が鎮まったのはサモトラケの神々に祈ったからであり、その時にディオスクロイの頭上に星が現れたことから、船乗りたちは何世代もの長きに渡りサモトラケの神々に祈りを捧げ、星が二つ現れることをディオスクロイに帰するようになったのだ、というような趣旨の話を書いている。
つまりここでは嵐が静まったことをディオスクロイの力とはせず、サモトラケの神々(つまりは「カベイロイ」)の力だと捉えている。
またおそらくフレーバーにある「アルゴー船の一員として存在が知られる(ことで)…船乗りの守護神としての側面が強まった」というのはこのディオドロスの発言を汲んでの内容と思われる。(実際には『ホメーロス諸神讃歌』よりの引用)

ここからは個人的意見だが、ただ実際はそれ以前からも船乗りの神として崇拝されていた複数の形跡はあり、逆に軍神などの働きや人々の守護者としての役割はこの後も継続されているように見える。
別の記事にも書いたが、この『ホメーロス諸神讃歌』が執筆された時には見つかっていなかったであろう『アルゴナウティカ』以前の時代の航海の神ディオスクロイに関する文献が新たにいくつか見つかっているため、このディオドロスの発言や、『ホメーロス諸神讃歌』及びFateのフレーバーテキストが伝えるように『アルゴナウティカ』を契機として航海神としての崇拝が増したかどうかについては改めて考察する必要が出てきているように思う。
(※あくまで個人的には。あとは古典期の悲劇などでは確かに海の神として語られる描写はほぼみない気がします)

・ペレアスの葬儀の祭典
本稿に入れるか迷ったが、アルゴノーツのメンバーが参加しているものにペレアスの葬儀の祭典というものがある。死者を弔うために行う競技会のことだが、これは『イーリアス』を始め、複数の文献で語られている。ディオスクロイについて言及しているのはステシコロス(紀元前7世紀頃)であり、ローマ時代に残された箱などにもこの競技会の様子が描かれている。(パウサニアス『ギリシャ案内記』5.17.9)
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Paus.%205.17.9&lang=original
 
また別種の競技会についてもパウサニアスが言及している。(5.8.4)
これがアルゴノーツのメンバーとどこまで関わるかは不明だが、類似する事象のため、ここに記載をする。ここではカストロは徒競走で優勝し、ポルクスはボクシングで勝利したとされている。(馬じゃなくて徒歩なのは面白い。てかカストロ兄様は足も早いのですね…)
http://www.perseus.tufts.edu/hopper/text?doc=Paus.+5.8.4&fromdoc=Perseus%3Atext%3A1999.01.0160

文献を読んでの推察と補足

アルゴノーツの物語は、イアソンとメディアの話を主軸として描かれる冒険譚である。
ホメロスやヘシオドスなどによって「アルゴ船」「イアソン」についての言及はある。
ピンダロスの歌等などの内容を見るに、ディオスクロイ自身は紀元前5世紀頃には参加者として認識されていたのではないかと思われる。
ただし、ディオスクロイがいてもいなくても舞台は成立するので、最初期はイアソンと仲間たちによるコルキスへの冒険譚があり、そこの(アミコス王などの)新たなエピソードや人物が付与されていったのではなかろうか。
一方で「カリュドーンの猪」とは異なり、『アルゴナウティカ』は航海の物語である。
航海の神として広く信仰されたディオスクロイの重要性は極めて高く、その参加は必然のものであったに違いない。
推測にしかならないが初期には航海の神として参加していたものが、英雄として参加するようになった可能性もあるのではないか。

※ちなみによく巷で語られるメディアの「ドラゴンライダー」については下記に詳しい内容があるので、興味ある方はぜひ。
https://www.theoi.com/Ther/DrakonesMedea.html

○ ○ ○

さて、アルゴノーツについての文献をピックアップしました。
ヘレニズム期の作品『アルゴナウティカ』が有名ですが、それ以前のホメロスの時代からも知られていたエピソードのようで、物語としては割と遡れることを知れたのが興味深かったです。
ディオスクロイに関しては、おそらく途中で追加されたメンバーなのでは?と根拠のない推察をしておりますが、古代ギリシャ人が英雄としてディオスクロイを見たのか、航海の神としてみたのかで参加の時期は異なってくる気がします。
彼らの知られているエピソードは皆様が知っているものとさほど変わらないのではないかと思います。もっとバリエーションあるかなとは思ったのですが、やはり『アルゴナウティカ』が有名すぎる故でしょうか。

個人的には壺絵に描かれたピンダロスの時代のディオスクロイらしき二人とか、タロスとやり合ってるディオスクロイとかの描写がどういう経緯でできたものなのかとても気になりますが、文献がない以上全ては闇の中なのが惜しまれるところです。

『アルゴナウティカ』におけるディオスクロイのエピソードとしてはなんと言ってもポルクスvsアミコスでしょう。
Fateの楚々とした立ち振る舞いのポルクスが王様を殴打すると考えたら背筋が震えますが、ポルクスがいつの時代から拳闘士やっているのかについては細かなエピソードも資料もない(というか知らないだけかも)んですよね。ただ最古の『イーリアス』の時代から拳闘士と呼ばれておりましたので歴史は極めて古い。競技会に関連して言われ出したのかも?とか考えてみるものの、何気にルーツのわからない不思議な情報なのです。

またこうやってディオスクロイの二人が別個に扱われるエピソードはかなり珍しいですね。というか本当に数えるほどしかありません。あとは若いヘラクレスを教鞭したカストロの話くらいでしょうか。
基本的にいつでも二人一組。本当に仲の良い兄妹なのでした。

それではまた。

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