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映画『ミッドサマー』におけるアッテストゥパンの描写と「神話伝承」における描写の比較

今回はいつもとは話題を変えて、映画『ミッドサマー』の棄老伝承についてのお話。

なお、劇中のネタバレを多く含むので、閲覧には注意ください。
また扱う伝承の関係で、どうしてもおじいちゃんを突き落とすとか棍棒で殴るとか、物騒な話がたくさん出てくるので、そういう方向でもご注意ください。

○  ○  ○

前置き(飛ばしても問題なし)

先日、映画『ミッドサマー』を見ました。北欧神話の信仰を扱った作品だと聞いたので、スプラッタが苦手なのを忘れて、知人と見てみました。…怖くて儀式のシーンは半分くらい見れませんでしたが、それでも北欧の異教信仰を彷彿とさせる描写には心惹かれるものがありました。

その中でも、特にご老人が崖から落ちる「アッテストゥパン」という風習の描写は衝撃的で、調べてみたところ面白かったので、神話伝承に現れる描写との比較も兼ねて、まとめてみることにしました。
なお、出典元はある程度記載しますが、個人的な推測が多く含まれますので、実際の元ネタかどうかを保証するものではありません。

また、メモ片手にもう一度アッテストゥパン関連のシーンに付き合ってくれた知人にはこの場を借りて感謝いたします。

「アッテストゥパン」とは何か:概略

そもそも「アッテストゥパン(Ättestupan)」とはなんでしょうか。作中では主人公の彼氏が検索するもヒットしない、なんていう一幕もありましたが、れっきと実在するスウェーデン語です。
一言で言ってしまえば、スウェーデンに伝わる老人が崖から飛び降りる風習や伝承そのもの、あるいはその舞台となる崖自体を指す言葉です。
誤解を恐れずいうならば、スウェーデン版の姥捨山伝承のようなものです。

語源は、一般的に「Atte-(一族の、父祖の)」と、「stupan(崖)」を組み合わせたものであると言われます。(厳密には「stupan」は「崖」じゃなくて「岩」の誤訳らしいですが)

スウェーデン国内では『ガウトレク王のサガ』と呼ばれる伝承の翻訳により、17世紀頃、学者達に知られるようになりました。その後、18世紀以降には教科書などにも掲載されるようになり、スウェーデン国内で広く知られることになりました。
今でも頻繁に論文が更新される題材であり、また世界の棄老伝承(セニサイド)の文脈からもよく引用されることがあります。

なお調査したところ、日本の考察サイトなどではあまり詳しく書かれていなかったのですが、現在では「アッテストゥパン」は学術的には実際には存在しなかった虚構の風習として定義される場合が多いようです。(※1)

一方でスウェーデンの人々の生活の中では、「アッテストゥパン」は過去の死んだ言葉ではありません。超高齢化社会のスウェーデンにおいては、この単語は老人に不利な政策のこと非難する場合にも使われますので、現在でも割と通じる政治的でセンシティブなワードとして使われています。

劇中の儀式の流れ

さて、そんな背景のお話をしつつ、映画の劇中での描写を見てみましょう。
私が劇中の描写を記録したメモ帳によれば、こんなシーンの流れだと記しています。(間違っていたらすみません)

[パート1]アッテストゥパン発生のタイミング:
 ①ホルガ村の人々は72歳になると、アッテストゥパンの資格者となり、自殺を強要されることになる。

[パート2]儀式まで:
 ②皆で食事をし、儀式を行う。
 ③椅子に座ったまま、近くの崖の山頂へ。(結構な高さ…)運搬者数人を除き、他の人は麓で待つ。
 ④崖の山頂には多数のルーンが刻まれた墓がある。

[パート3]儀式の様子:
 ⑤手をナイフで切り、墓に血を塗りつける。
 ⑥祈りを捧げたあと自ら落ちる。
 ⑦岩に叩きつけられる。即死すればみんな静か。
 ⑧即死しななければみんな嘆き悲しむ。
 ⑨死ななければ、殴りつけて殺す。
  男性二人と、女性二人?一人ずつ殴る。おじさん→娘→おばさん?→おじさんの順。

[パート4]儀式の後:
 ⑩遺体は火葬。人々はそれを囲んで、祈りを捧げる。
 ⑪翌日?に遺灰を火葬場の下から取り出す。
村のはずれの倒木にその灰をかける。(先祖の木みたいな名前)
 ⑫ラストシーンでは9人の人身御供のうちの2人にカウント
(お腹に果物の詰まって口と手から木の枝を出した案山子と
 頭に果物を貼り付け、両手が木になった案山子が置かれて代替?)

『ミッドサマー』を見ながら書いた個人メモより

これの情報をもとに、各パートごとに気になる点をコメントしていきたいと思います。

※北欧神話圏に伝わる古代宗教を the Pagan North と呼んだりしますが、これ以降、この記事では「北欧異教」と表現しています。

[1]アッテストゥパン発生のタイミング

○ホルガ村におけるアッテストゥパンの解釈

ホルガ村においてアッテストゥパンはいつ頃に行われる儀式なのでしょうか。作中では次のように話されています。

「ここで寝るのか」
「若者だけ。36歳になったら労働者の家へ」
「なぜ36歳で?」
「人生は季節だ。
 18歳までの子供は”春”。18歳から36歳までは巡礼の旅をする。”夏”だ。そして36歳から54歳は労働の年齢。季節は”秋”。54歳から72歳は人々の師となる。」
「72歳のあとは?」
首を切るハンドサインで濁す。一同小さく笑う。

『ミッドサマー』(字幕と描写) ※描写は著者の補足

実際は、72歳のあとはなく、アッテストゥパンで皆飛び降りて死ぬというわけです。
指導者の女性は、これが「はるか昔から続く風習」だといいます。

「今見たものははるか昔から続く風習なの。あの二人はホルガでの”生命のサイクル”を終えた。
彼らにとって大いなる喜びなのよ。…我々にとって命は”輪”。再び巡る。
飛び降りた女性の名は…これから生まれる赤ん坊がその名を受け継ぐ。
老いて苦痛や恐れ、恥辱の中で死ぬより自らの命を与える。善意として…朽ちる前に。避けられぬ終焉を厭う死はよくない。精神を堕落させる」
(「…」部分は中略)

『ミッドサマー』(字幕)

このように説明をしています。

ホルガ村においては生命は季節であり、アッテストゥパンの儀式は老いを避けるために存在しており、次世代に自ら己の生命を与える儀式のようです。

では、神話伝承におけるアッテストゥパンはどのようなものでしょうか。
ホルガ村のそれと同一でしょうか。
実は一部相違点がありますので、次に紹介します。

○現実の神話伝承におけるアッテストゥパンの解釈

神話伝承における「アッテストゥパン」が登場するのは、唯一『ガウトレク王のサガ』と呼ばれる伝承です。より細かく言えば、ガウトレク王誕生のエピソードである『谷の愚か者の話』に登場します。
この中で、登場人物の一人である少女スノトラは、アッテストゥパンをこのように語ります。

「私達の農場の近くにギリングスブラフと呼ばれる絶壁があり、私たちはその頂きをアッテストゥパン(家族の崖)と呼んでいます。…ここが「家族の崖」と呼ばれるのは、何か特別なことが起こったときに家族の人数を減らすために使用するためです。
 こうすることで老人たちは病気になる前に死ぬことができ、オーディン(※北欧神話における神々の王の名前)の御下に向かうことができます。
 その一方で、子供たちは年老いた両親の世話をしなければならないというすべての手間を免れられるのです。私たちの一族はこの崖が有るおかげで、皆、飢饉や貧困の中で生活する必要はないのです」
(「…」部分は中略)

『ガウトレク王のサガ』
(パブリックドメインのものを利用。ただし和訳は独自訳のため、正確性を保障するものではありません。以下翻訳については同じ)

つまり、『ミッドサマー』における描写との相違点としては、アッテストゥパンは老いを避けるために飛ぶという部分は共通ですが、次世代に自ら己の生命を与える儀式ではなく、生きる者が貧困から逃れるために使う知恵として描写をされています。

○北欧異教の「死後の聖なる山」ヴァルハラとアッテストゥパン

「北欧異教」では、通常、死者の生命は循環せず、神々の御下(幾つかの別世界)に向かいます。特に神々の王オーディンが管理する屋敷の名前でもあるヴァルハラは、主にヴァイキングの貴族や戦士に信仰された概念であり、優秀な戦士が戦いで死亡した場合にのみ向かうことができる死後の楽園の名前でもありました。
「戦いで死ぬ」ことが基準になるため普通は戦士でない農民が向かうことはできませんが、ここでは例外的にアッテストゥパンで飛んだ場合はヴァルハラに行ける、というふうに信じられていたということになります。

また、死後は別世界に行くという伝承と相反するようですが、北欧には山岳信仰があり、祖先は死ぬと村落の近隣にある聖なる山に住むともされていました。この聖なる山もヴァルハラ、ヴァルホールと呼ばれます。
この「ヴァルハラの山岳信仰」は北欧異教における古い信仰の形といわれています。
更にこのヴァルハラの山はアッテストゥパン伝承と結びついている場合が多く、スウェーデンではアッテストゥパンを行った口伝の残る崖に「ヴァルハラ」と名前がついていることもあります。(※2)

おそらく『ミッドサマー』の解釈ではこうした背景を元に「アッテストゥパンは古い形の信仰を残した伝統」とみなしているのだと思われます。

(参考)ヴァルハラに行けない死者はどこに行くのか
オーディンに選ばれなかった人々の行き先にはいくつかありますが、古い信仰だと女神ヘルの胸元に抱かれるという描写が見られます。裸の女性に抱かれる死者というセクシーな壁画なんかが残っています。キリスト教の地獄の概念とは違い、あまり現世と変わらない生活が続く世界です。

○ホルガ村における輪廻転生の世界観

「我々にとって命は”輪”。再び巡る。」
「彼らは死に 偉大なる輪の中で生まれ変わる」

『ミッドサマー』(字幕)

次に、ホルガ村の輪廻転生のような生命の循環の描写を見てみましょう。
『ミッドサマー』においては、ホルガ村の命は季節を表しており、死者の生命は再び新しい命(赤子)として戻ってくると信じられているようです。

この「生命は輪廻する」世界観は、仏教文化に生きる日本人にはわかりやすいでしょうが、全宗教で支配的な考えというわけではありません。特にキリスト教などの信仰では、死者は終末の日まで地下で眠ることになりますので、再び現世に転生はしません。
現在に伝わる「北欧異教」もまた、キリスト教の伝承に影響を受けたものですので、生命は循環するという概念自体はやや特殊な部類に入ります。先述のように、死者の魂はヴァルハラを始めとする異世界に移動し、終末の日までそこで第二の生活を行うのです。

一方で現在のキリスト教圏には輪廻転生の考え方が全く存在しなかった、というわけでもありません。キリスト教普及以前の宗教にはその名残が見られます。
この手の「季節により生命が一巡する」考え方は、豊穣を司る古い大地母神の風習(あるいは現在の創作宗教(ウィッカ)のようなものも)にも見られるものです。

例えば角が毎年生え変わるため鹿を神として信仰していたというガリア人やイラン人とか、古代ギリシャの最大の秘儀とされた「デメテル教」、カナンの神アドニス、バビロニアのイシュタル 、エジプトのオシリス、アイルランドのブリギットへの信仰のように一年間や一日の中で死(冬)と生(春)を繰り返すことを想定した神話を持つ信仰形態は世界中で広く知られています。(一般にペルセポネ型神話と呼ばれます)

またこの豊穣神の信仰の一つには、木の神(植生の神)という形態もあります。例えば、ミュケナイ時代の大女神であるアリアドネなどが自分の首を木々に吊ることで豊穣を祈る様や、木となった女神から生まれて自らも死して復活しアネモネの花となったりした永若の神アドニスなど、己の体を木や植物と同一化する神話が残ります。

これは『ミッドサマー』においても、メイクイーンが花のドレスを着る様や、象徴的なメイポール、アッテストゥパンの死者が果物や木々で飾られる様などを彷彿とさせます。

こうした「季節のサイクル」への信仰は、農耕社会の基本的な形に近いため古い形の信仰形態だと思われており、「北欧異教」を信奉するホルガ村でこうした信仰があってもおかしくはありません。
ホルガ村の信仰もまた、キリスト教流入以前の原始宗教に近いあり方を想定しているように思われます。

加えて、先程のヴァルハラ信仰と矛盾するようですが、北欧異教にも「輪廻転生」の考えがないわけではありません。
例えば、オラフ王という伝説的な王のサガにおいて、その死後に彼の霊魂が幼児の夢枕に立ったことで、人々は初代オラフ王に因んで幼児をオラフと名付けなければならないと思った、というものです。こうした生まれ変わりに関する内容は古エッダなどにも描かれているといいます。
名を受け継ぐ、という考えは、このあたりから着想を得たものではないかと、個人的には推測しています。

○農耕社会で棄老伝承が実在する余地はあるか

「遊牧ではない農耕社会で棄老風習があったか」は学術的にも賛否両論があります。ただ学術的には、安定した農耕社会では棄老を行うケース自体がまれだったのではないかという指摘があります。

簡単に言うと「その旨味がない」というのが理由です。つまり「将来同じように自分も殺されるかもしれない」中で親を殺す文化を維持できるのか、そこまでして親を殺すメリットがあるか、という問題です。

ホルガ村で飛び降りる老人たちが内心嫌そうな顔をしていたのと同じように、大抵の民族では誰も実はやりたくないわけです。
生活が安定して食料を保持できるのであれば、必ずしも老人を殺す必要はありません。また常時自殺を強要することでポスト棄老組に団結されてしまうと集落内の世代間対立になり習慣も維持できなくなるなど、棄老を行うためには大義名分が必要になり、課題は多く残ります。
(なので大抵の棄老伝承は、「明日は我が身と気づいて風習自体がなくなった」理由について語ります)

それにも関わらず、ホルガ村が習慣的に全員にアッテストゥパンする風習を維持しているのは、そうしないと村が存続できないという実利の問題ではなく、その儀式を続けること自体に意味を見出しているという、信仰上の理由によるものと思われます。
例外的に貧困や飢饉に陥った場合には棄老を行っていたのではないかという指摘もありますが、ホルガ村ではテレビ番組のような娯楽も揃っているようですから、貧困な村ということもないでしょうし。

○72歳での死は病気を避けるためのものなのか

またこうした風習で出てくる棄老伝承は、しばし年齢を伴って書かれることがあります。例えばセルビアの中世の例では「人々は50を超えると老人を殺した」というものです。
それ考えるとホルガ村の72歳は極めて遅い。おそらく中世期には72歳になるまでに病気にかかる場合も多かったでしょう。
もしかすると、ホルガ村における「季節」のサイクルは、古来はもっと短く、平均年齢の伸長とともに調整されてきたかもしれない、などということも妄想できます。
(もしくは後述の通り、ホルガ村の人々は9倍の数を聖なるものとしてこだわっているように思えますので、病気の人は例外的に72歳を待たずに飛降りた等という可能性もありますが)

[2]儀式まで:

[パート2]儀式まで:
 ②皆で食事をし、儀式を行う。
 ③椅子に座ったまま、近くの崖の山頂へ。(結構な高さ…)運搬者数人を除き、他の人は麓で待つ。
 ④崖の山頂には多数のルーンが刻まれた墓がある。

○神話では儀式までどのようにされたのか

さて「儀式まで」のところは、私の知識が薄いこともあり、あまり語ることのできる内容はありません。
先述の『ガウトレク王のサガ』では、下記のように飛び降りシーンの詳細は書かれていないので、あまり深いところまでは追求できない、という理由もあります。

一家はギリングスブラフに登っていった。その後、若者たちは両親を手伝った。彼らが「家族の崖」に登り、陽気で明るく、オーディンへの道のりを超えて行くのを。

『ガウトレク王のサガ』

サガの中では「子どもたちがアッテストゥパンを手伝った」と書かれているので、ホルガ村の②~③の描写(椅子に座ったまま山頂まで運ばれる)ほど儀礼的ではないかもしれませんが、身内で山頂まで付き合う人はいたのだと思われます。
なお、ガリシアの伝承でも崖から突き落とす話が一つ残されており、こちらでも息子が付添をしています。(※3)

○崖の上になぜ墓があるのか(伝承地との類似点)

なお、「④崖の山頂には多数のルーンが刻まれた墓」は注視するべきモチーフです。

学術的には(アッテストゥパン以外でも)棄老伝承が残る山は古くから信仰された土地であるというケースが見られます。ガリシアの例であれば、巨石建造物の時代(紀元前5000年頃)に建てられた遺物が、棄老に関わるものであると地元ではみなされ、先述のスウェーデンの例でも、ヴァルハラと呼ばれる古い山岳信仰の地がアッテストゥパンに関わるのは、この文脈でも説明ができます。

また似た例で、棄老伝承のある山には古くからの集落の墓地が広がる、というパターンもあります。『ミッドサマー』において、アッテストゥパンにたくさんの古い墓標が崖の上に残されているのも、そうした実際の伝承地を彷彿とさせるものがあります。
(棄老するのであれば近隣に墓地があって当然にも思えますが、実際は逆で、最初に墓地があり後から棄老伝承が作られた可能性があるわけです)

[3]儀式の様子:

[パート3]儀式の様子:
 ⑤手をナイフで切り、墓に血を塗りつける。
 ⑥祈りを捧げたあと自ら落ちる。
 ⑦岩に叩きつけられる。即死すればみんな静か。
 ⑧即死しななければみんな嘆き悲しむ。
 ⑨死ななければ、殴りつけて殺す。
  男性二人と、女性二人?一人ずつ殴る。おじさん→娘→おばさん?→おじさんの順。

○勇敢な死

「北欧異教」のヴァイキングの信仰として、人々は戦闘の中で死ぬことを最も誉れとしていました。そのため、戦争の中で死ねない農耕民にとって、「アッテストゥパン」は例外的な勇敢なる死とみなされていたことがわかります。(※4)

おそらく、『ミッドサマー』においてもこの文脈は生きているのではないでしょうか。

最初の女性が即死したときは人々は粛々と見守り、二人目の男性が即死しそこねたときには皆が叫び悲しみました。
この描写がどういうイメージなのか、掴みかねているのですが、二通り考えられるのかなと考えています。

(A)(後にメイクイーンとなった主人公が泣いている時に周囲の女性が泣いたように)死にそこねた老人が苦しんでいるため、みんな苦しんだ。
(B)死にそこねた老人に対してブーイング、あるいは残念がった。

(A)の場合は、ホルガ村という共同体の特殊性を示したシーンと考えればよいのかと思いますが、(B)の場合は、勇敢に死に損ねたことへの嘆き、と捉えることもできるのではないかと考えます。

撲殺

この描写には元ネタがあり、「アッテクルッパ(一族の棍棒)」と呼ばれています。
1930年代にグンナル・グランバーグが「アッテストゥパン」の口伝の調査をスウェーデン国内で行いました。その時に「アッテストゥパンで死にそこねた人を撲殺した」という伝承と、その撲殺した伝承を持つ棍棒の実物を回収してきています。(※5)
その点で言えば、『ミッドサマー』の描写はよく口伝を反映したもの、といえます。

こうした撲殺の伝承は欧州各地に残り、一番近しい例ではセルビアに伝わる「ラポット」という風習でしょう。「ラポット」については、崖は関係しない撲殺のみの伝承ですが、写真で見ると次のような感じです。(伝統儀式みたいになってるので実際に棄老をやってるわけではありません)

画像2

形式化された「ラポット」伝承の様子(From:Wikipedia)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lapot.jpg

ただ、実は『ミッドサマー』の撲殺の描写はあまり伝承には正確ではありません。「アッテクルッパ」も「ラポット」も同様ですが、口伝ではこのように伝わります。

 誰が殺したかの責任を不明確にするため、親族全員がこの棍棒をもち、一斉にふり落とした。

つまり、「アッテクルッパ」は一人ずつ順番に殴ったら意味がないのです。殺害の責任が誰にあるかが判明してしまうからです。

ミッドサマーの描写では、たぶん最初の一人に殴られた段階でおじいさんお亡くなりになっていると思われます。なのであれでは、「あ、あの人が殺したんだな」というのがわかってしまう。
あの描写は、おそらく主人公にショッキングな絵を作るために、あえて伝承から外したものだと思われます。

なお、「アッテクルッパ」も「ラポット」も、実在の習俗ではなく、物語のたぐいと思われていますので、あしからず。(※6)

[4]儀式のあと:

[パート4]儀式の後:
 ⑩遺体は火葬。人々はそれを囲んで、祈りを捧げる。
 ⑪翌日?に遺灰を火葬場の下から取り出す。
村のはずれの倒木にその灰をかける。(先祖の木みたいな名前)
 ⑫ラストシーンでは9人の人身御供のうちの2人にカウント
((1)お腹に果物の詰まって口と手から木の枝を出した案山子と(2)頭に果物を貼り付け、両手が木になった案山子が置かれて代替?)

○火葬

『ミッドサマー』では、アッテストゥパンの儀式の後、自殺した老人たちは炎で焼かれて灰になり、灰は倒木にまかれます。

北欧異教において、死者を燃やすというのは『ユングリング家のサガ』にて語られています。(※7)
ここでは、炎と一緒に燃やしたものはヴァルハラに持ってこられる、とされており、灰は海に巻かれるか、地面に埋められるかとされていました。煙は大きければ大きいほど良い、とも信じられていました。
一方で、オーディンはこの儀式を「山の上で行うべし」としていましたが、ホルガ村では集落内で行われているようです。

またホルガ村においては、これは倒木にまかれるわけですが、この風習の意味は判別できませんでした。
なぜ倒木なのか、倒木が何を意味するのかは、こちらもホルガ村特有の輪廻転生観に影響を受けている気がしますが、他の人の解釈を聞きたいなと思います。

○北欧異教圏における人身御供の風習は存在するのか

「犠牲となった"新たな血"1人に対して、我々の中から1人を差し出す。
 …全部で9人。彼らは死に偉大なる輪の中で生まれ変わる。
 …我々の4人のうち2人は既に命を捧げた」

『ミッドサマー』(字幕)
「スウェーデン全域を対象とした大祭は、9年ごとにウプサラの神殿で開催される。この祭りへの参加は全員に義務付けられている。…あらゆる種の雄の生き物9体の犠牲が捧げられる。これらの生き物の血によって、神々を鎮める習慣がある。…その死体は神殿に隣接する木立に吊るされる。この木立は人々にとって非常に神聖なもので、そこにある木は犠牲者の死や腐敗によって聖なるものになると信じられている。そこでは人間の死体の傍らに犬や馬までもが吊るされる。(あるキリスト教徒は、72体の死体が一緒に吊るされているのを見たと言う) しかし、この儀式を行う際に歌われる呪文は不吉なものであり、これについては語るべきではないだろう」

『ハンブルク教会史』ブレーメンのアダム(1081)
「ウプサラの神殿の近くには、冬でも夏でも常に青々とした枝が広がる、とても大きな木がある。それが何の木なのかは誰も知らない。
また、そこには泉があり、異教徒はそこで生け贄を捧げたり、人間を生きたまま沈める習慣があるという。遺体が発見されない限り、人々の願いは叶えられる。…この種の宴会と犠牲は9日間にわたって行われる。毎日、他の動物に加えて人間を1人ずつ犠牲にする…この生け贄は春分の日の頃に行われる

『ハンブルク教会史』ブレーメンのアダム(1081)

「北欧異教」において、人身御供の儀式をやっていたかといわれると、多分やっていたんじゃないかなというのが一般的な認識と思われます。

歴史においては、上記のウプサラ大祭というのがありまして、オーディンへ「人間を含むあらゆる生き物」を9匹ずつ首吊で捧げる、とか、泉に沈めるというような記録が残っています。ただこれを残したのは異教の伝統が大嫌いなキリスト教徒達なので、実情は反映していないプロパガンダに過ぎないのでは、というような指摘もあります。
それを差し引いても、ゲルマン民族の聖域のあった泥炭地から首を切られた死体がたくさん見つかっていたりローマ人捕虜を大量に神に捧げたみたいな戦史の記録があったりしますので、先述のとおり「何かやっていたっぽい」というのが今の主流派の見解ではないかと思われます。

なので、『ミッドサマー』において「ゲルマン系宗教」に属するホルガ村の人々が人身御供を行おうとしてもそんなに変ではありません。ウプサラ大祭の描写を見る限り、至分期の祭で行われていたこともわかります。
他の解説サイトでも書かれていましたが、『ミッドサマー』における「90年に一度の儀式」「9人の犠牲」といった風習は、ウプサラの大祭をベースに作られたものだと思われます。

また、ラストシーンでは人々が大声で叫んでいましたが、個人的に、あれはイブン・ファドラーンのルーシ人の報告書における葬儀の描写を連想します。

偉大な人物が死ぬと、彼の家族の人々は彼の若い女性と男性の奴隷に「どちらが彼と一緒に死ぬのか」と尋ねます。一人は「私」と名乗りを上げます。…通常、これを行うのは女の奴隷です。…男性と女の子が火葬される日が来ると…彼らは船を池から引き上げました。
…老婆は奴隷の少女の頭をつかみ、彼女を仮設した天蓋に入れさせた。…外にいる男たちは盾を棒で殴り始め、奴隷の少女の叫び声が聞こえなくなり、…老婆は広い刃の短剣で彼女の肋骨の間を繰り返し刺しました。そして男たちは彼女が死ぬまで彼女をひもで絞めて殺しました。
…燃え上がった棒を持ち…それを(主人の死体が安置されている)引き上げた船の下の薪の山に入れた。すると炎が木を飲み込み、次に船、天蓋、男、女、そして船の中のすべてのものが飲み込まれました。

『ヴァリャーグの報告書』アフマド・イブン・ファドラーン

大いなる死の儀式の際に、第三者が名乗りを上げて贄とされる。二人のうち「どちらが彼と死ぬのか」を選択される。死の際の叫び声を外の人々が騒音でかき消す。火を放ち葬儀の場所の全体が燃えていく。

これらのルーシの船葬の描写は北欧の葬儀の様子を描いたものとして有名ですが、全体的に『ミッドサマー』のラストシーンを彷彿させる内容ではあります。

もっとも、『ミッドサマー』の描写は①葬式のものではない、②死の叫び声をかき消したのはおそらく(主人公が彼氏の姦通に嘆いたときのような)ホルガ村の共感によるもの、というような差異があるようにも思えますので、あくまで参考レベルであったか、単なる空似であるかもしれません。

○アッテストゥパンは人身御供に当たるか

以上のように、ホルガ村における人身御供の儀式は、「北欧異教」の伝承をよく解釈し再構成しているもののように思います。

ただ一つ気になることといえば「アッテストゥパン」=人身御供の儀式、というわけではないことでしょうか。

「こうすること(アッテストゥパンを飛ぶこと)で老人たちは病気になる前に死ぬことができ、オーディンの御下に向かうことができます」

『ガウトレク王のサガ』

先述の通り、アッテストゥパンは、集団のために人身御供になるためではなく、自分がヴァルハラに行くために老衰ではない勇敢な死を迎えることが主体となっています。

そのため、ホルガ村の認識は、神話におけるアッテストゥパンの理解と少し異なるように思います。
もっとも、「その身をオーディンに捧げる」という方向性としては変わりないので、そういうベクトルで人身御供とカウントされているのかもしれません。

○アッテストゥパンを見たジョシュの動向

さて、個人的にすごく気になっていることがあります。

最初にお伝えのとおり、「アッテストゥパン」はここ数十年で不実在の習慣とされる説が主流となっており、その理由は実在する証拠がないという事が非常に大きいです。

過去はサガの描写を実在の論拠にしており、アッテストゥパンの存在は信じられていました。
サガは17-18世紀頃にはナショナリズムの交流とともに「古代の歴史を記したもの」として重用されましたが、あまり歴史的に正しくない描写が多いことがわかると、一部のサガは懐疑的に見られるようになりました。
その一方では、絵空事に近いとされてきた、とある「神話伝承」のサガの描写が、考古学的発見により事実に近いものだと再評価された場合もあります。

アッテストゥパンもまた、同じ流れに乗っているといえます。
つまり、現在のスウェーデンの政治的文脈にも影響するアッテストゥパンが実在するかどうかは、一つは考古学的発見ができるかどうかにかかっているわけです。

その背景を知ると、ホルガ村のアッテストゥパンの実例の発見はスウェーデンの民族史を揺るがす大発見なわけなのですが、そのあたりを研究しているはずのジョシュの言動がえらくあっさりしているのは気になりました。
めちゃくちゃクールガイなのか、気づいていないのか、彼にとっては瑣末事に過ぎずそれより大きなことを書こうとしていたのか。

いずれにしても、彼のフィールドワークはうまく行かず、歴史の闇の中に消えていったわけなのですが。(※8)

おわりに

棄老伝承は、世界各地に残っています。
ただ肝心の伝承の中身は割とあっさりしていて、「昔は近くではやっていたんだよ」とか「やっていたけど、ある時やめたんだよ」みたいな教訓じみた話が中心で、名前の割におぞましい描写はなかったりします。(こうした背景から、実際は老人たちが将来子供が自分たちを捨てないようにするための訓話に過ぎなかった、という説ができるわけです)
また「アッテストゥパン」のもとである『ガウトレク王のサガ』についても飛降シーンの詳細はなく、話の主軸はくだらない勘違いで次々と家族が死んでいくというブラックジョークの説明に比重が置かれています。
どちらの場合も、あまりおぞましさはありません。

ミッドサマーの監督は、日本の姥捨山伝承(『楢山節考』)なども研究されたという事も聞きましたので、世界の棄老伝承をよく調べられたのだと思っています。今回のように『ミッドサマー』の描写を調べれば調べるほど、おそらく調査の過程で読まれたのであろう文献のリアリティを随所に感じることができるのはこうした緻密な調査の結果でしょう。

その一方で、こうした伝承を詳しく手を抜かず調べるような情熱を持ちつつ、あっさりした元々の民話を生々しく表現して眉をひそめたくなるような残酷なエピソードに再解釈していく監督の想像力やエネルギーはどこから湧き上がるものかと驚きました。
「ミッドサマー」と調べると「ミッドサマー 本当にあった」と関連ワードが出てくるのも、そりゃそうでしょう、と思いました。こんな出来事が本当にあったのかと思うと、たまらないでしょう。

ホルガ村の習俗のほとんどは、あくまで監督の創造物であり、架空の文脈で解釈すべきものだと考えていますが、あってもおかしくはない、真に迫る描写であるという点で、非常に興味深い作品だったなと思っています。
…正直、二回目のアッテストゥパンのみ場面の再確認をしただけでもびびりながらだったので、(耐性的に)もう二度とこの手の作品は見れないだろうなあと思いつつ、次回作以降も面白そうな題材だったらついつい見てしまうのかもしれません。

これからもこうした切り口の新たな作品に会えるのを楽しみにしています。


参考文献、ノート

主に閲覧した参考文献

複数の文献を参考にしたが、主なもののみ記載する。

アッテストゥパンの関連:
Birgitta Odén-Dunér『Ättestupan - myt eller verklighet?』(1996)
Erik Gustav Geijer『The History of the Swedes』(1852)
Adolf Noreen『Nordisk familjebok』

棄老伝承の主な参考について:
Rafael Quintía『Levar os vellos ao monte. El senicidio en la mitología gallega』
佐々木 陽子『「棄老研究」の系譜(1)民俗学的アプローチと文学的アプローチを中心に』

ノート

※1
アッテストゥパンが存在しない風習だとされる理由はいくつかありますが、①500年くらい前の一つの物語にしか登場しない(しかもブラックジョークの喜劇)であること
②国内中に伝わる口伝が広まったのはそれ以降と思われること
③たくさん伝承地があるのに飛降自殺した老人の遺骨が一つも発見されないこと
というあたりがあり、30年くらい前から「まあ虚構の風習でしょう」という方向になっています。
日本の姥捨山伝承とおんなじような話ですね。無いとは言い切れないが、有るとは決して断言できない、証拠がなくてアヤシイという感じのようです。

このあたりの内容や、実在/虚構の学説の変遷などを追っていくととても面白いんですが、それだけで一つの記事になる分量なので今回は割愛しました。

この起源は、19世紀末、アドルフ・ノーレンの指摘を端緒に徐々に疑念を持たれるようになったことから徐々に広がり(http://runeberg.org/nfar/0276.html)直近ではBirgitta Odén『Ättestupan - myt eller verklighet?』の影響が大きいように見えます。他にもSeglivade myter『Atteklubba och ättestupa』、Rafael Quintía『Levar os vellos ao monte. El senicidio en la mitología gallega』などの論文にも、同様に懐疑論が一般的であるように書かれています。
以下に参考としてアドルフ・ノーレンの懐疑論を掲載します。

アッテストゥパン、おそらく「aetternisstapi、«殺戮(?)の岩»」の誤解に由来する単語。アイスランドにおけるこの表現は、すべての文献の中でも、『ガウトレク王のサガ』にしか現れません。イェータランド(スウェーデンの一地方)のどこかにこの名前の崖があったと言われています。そこでは老後や悲しみに苦しんでいた人々が、喧嘩をせずに我先にと命を落としました。
スウェーデンにおいてこれらは17世紀~18世紀に大変人気があり、優れた資料とみなされていました。ただ実際のそれは、前述の方法を用いて非常に緩い理由から私たちの祖先が命を奪うという一般的な慣習が規定されており、そのような「アッテストゥパン」を見つけたいと思っていた一部の歴史家や考古学者によって生み出された全くの幻想の物語でありました。いまや崖の伝説はあちこちに存在していますが、こうして生まれたものは全てが先述のように最近になった生み出されたものであり、その根底には私達の国を題材にした古い文学による疑わしい出典に起因します。

アドルフ・ノーレン『北欧百科事典』

※2 
「ヴァルハラ」の名前がつく頃から棄老の風習があったのか、もしくは17世紀以降にアッテストゥパン伝承が入ってから「ヴァルハラの地」で棄老伝承が作られたのかは今でも解決していない課題です。懐疑派は17世紀以降につけられたものだとし、肯定派は古くからの風習を反映したものだとみなします。

アッテストゥパンの伝承が残る山々がどのような場所であったかは、下記サイトが詳しいです。管理人は学者ではやく芸術家の方のようですが、アッテストゥパンのファンらしいこの方はスウェーデンの100近い地名や写真、伝承を収集されています。
アッテストゥパンやヴァルハラといった地名で、「老人が山頂から飛び降りた」伝承について多く語られています。実際のアッテストゥパンが伝わる地がどのようなものであったかを想像するのは面白いのではないでしょうか。凄まじい熱量ですので一見の価値ありだと思います。
https://attestupor.com/

※3
 姥捨山伝承などは山に捨てる(獣に殺させる、餓死させる、凍死させる)というやり方で、海外の伝承でもこのタイプが多いですが、先述の通り、ガリシアの伝承などでは崖から落とすバージョンもあります。
 なお、ガリシアの崖からの飛び降りの例は、他の棄老伝承と同じく「明日は我が身」パターンで「棄老が今はされていない理由」を語るものです。

なお、この手の棄老の民話はアールネ・トンプソンによる体系化されており、「いかにして老人は殺されなくなったか(981番)」のパターンとして世界各地で見られます。
これは教訓話として使われる関係上、遠い世界の出来事でありながら身近な要素を必要とし、つまりは「これは○○から聞いた実際の話なんだが」という伝聞系の話法になります。このあたりも現在に残されたアッテストゥパンの口伝が、実際の習俗を記したものなのか、お話を盛り上げるための話法に過ぎないのかを混乱させる原因の一つでもあります。

また、古来からの「崖からの飛び降り」として著名なのが、ヒュペルボレア人の自殺でしょう。ヒュペルボレア人は実在する民族ではなく、(例えばアヴァロンや蓬莱のような)世界の果ての理想郷のような地に住む一族で不老でした。彼らは戦争を知らず、飢えることもない人生を送ったあとで、断崖から海に飛び降りて、自分の人生を終わらせたと伝わります。

※4
「サガの描写を真実と信じるなら」という前置きは付きますが、個人的には「北欧異教」の文化において、勇敢な自死は「老衰よりはまし」という発想が一部にあったのではないかと思います。
一方でアイスランドの『エギルのサガ』などでは、老人が普通に老いさらばえて死ぬ描写も有るので、老衰はいかなる場合も悪、自殺が善、とまで考えられていたかにはやや疑念が残ります。
https://www.sagadb.org/egils_saga.en

※5
「アッテクルッパ」の実物はノルディック博物館に収蔵されています。(写真は下記リンク)
リンク先を見ていただければわかりますが、棍棒の形状はまんまミッドサマーのと同じですね。ただ実物といっても実際に使われた形跡がなく、発見後、ダグ・トロツィヒなどからは「単なる伝承付きの棍棒では?」という指摘もされています。
棍棒で殴り殺すという伝承も、セルビアのラポットの他にも、サルディーニャやスペインなどでも残りますが、これらの地域(ローマ法などが影響していた地域)では死ぬまで父親が相続権を持っているため、長男が親を殺したために追い出されて後を継げなくなった、というような教訓話のバージョンも残ります。あるいはサルディーニャのように安楽死のために使われたバージョンです。
キリスト教では安楽死は悪としてみなされたこともあり、これらの実際に使われたという記録は一つも発見されていません。アッテストゥパンと同じく、実在した風習かどうかは闇の中です。
「アッテクルッパ」の写真は下記リンク:
https://digitaltmuseum.se/021015897112/atteklubban-framfor-en-bild-av-en-attestupa-fran-utstallningen-gamlingar

※6
セルビアの棄老伝承についてはこんな話があります。こちらも事実としてではなく、教訓話として伝わるものです。

昔は老人が50歳になったら殺すのが習慣だった。ある父親には良き息子がいて彼は父親をとても気の毒に思い、ワインの大桶に隠して密かに世話をした。

一度この息子は彼の隣人の何人かと朝の最初の太陽が昇るを見るのは誰かを賭けた。憐れみ深い息子は父親に賭けを告げ、父親は彼に言った。
「よくお聞き。太陽が昇る場所についた後は、他の人のように東を見ないようにすることだ。代わりに西の方を見なさい。そうすれば山の最も高い地点にて最初に太陽を見ることができ、きっと賭けに勝つだろう」
息子は父親の忠告どおりに行動し、最初に太陽が昇るのを見ることができた。人々が誰からアドバイスを受けたのかを聞いたとき、息子はそれは彼の父親であると明かした。そして父を強制的な死から守らなければならないと主張した。人々はそのような巧みなアドバイスに驚き、老人は賢く、殺されるべきではなく尊敬されるべきだと結論付けた。
 
『民間伝承29巻(カザフ王達の殺害)』(1919)

また、下記リンク先では、この「ラポット」伝承の真の本質・要点は、高齢者の儀式的殺害の存在を説明することではなく、逆に、その廃止・混乱を防ぐという名目での父方の殺人の禁止と世代間の紛争の文明的な解決のためであると捉えています。
http://www.nin.co.rs/2000-05/18/12726.html

※7 
『ユングリング家のサガ』(10. OF ODIN'S DEATH.)
https://www.sacred-texts.com/neu/heim/02ynglga.htm

※8
ちなみに余談までに、ジョシュが死ぬ時に、ナブロークという死体の皮で作った服が現れるそうですね。(映画ではびくついて画面見れてないため伝聞です…)
『ミッドサマー』の考察サイト等では「アイスランドの博物館に実物が展示」されている的な話をみかけましたが、実物ではなくレプリカらしいですね。下記リンクのコメントでは、当該の収蔵館の管理者さんが「(展示物はデザイナーに頼んで作成したもので)ナブロークは地元の伝承の中にしか存在しません」としています。
https://icelandmag.is/article/macabre-necropants-made-dead-mans-skin-display-holmavik


(参考)ガウトレク王のサガ(『谷の愚か者の物語』)

『デンマークの事績』は15世紀初頭にアイスランド人のサクソ・グラマティクスによって記されたと言われている。
このうち、アッテストゥパン伝承に関係するガウディ王の物語(いわゆる『谷の愚か者の物語』)は、物語の導入部分であり、主人公ガウトレク王の生まれを解説する部分である。
今回はこちらの部分の関連する情報のみを以下に記載する。

[要約]
『谷の愚か者の物語』は、ガウディ王に関わる滑稽話。
ある時、王は道に迷い偏屈者の一族の住む家に迷い込む。そこには自殺することでヴァルハラに行くことのできるとされた「一族の崖」が存在し、偏屈者の一族は皆些細な理由や誤解からその崖から次々と身投げしていく。最後には王の子を身籠った娘が一人残り、やがて男子を産んだ。
これがガウトレク王である。

(一部を要約・補足等をしておりますので原文に忠実ではありません)

これはイェータランドを支配していたガウディ王に関する滑稽な話である。

ガウディ王は、ある日側近らと狩りに遠出をした。
彼は巨大な鹿を追って側近らとはぐれてしまい、汗をかいて服さえ脱いで裸一貫になったが、鹿は見失い、夜道に迷ってしまう。

そうすると夜道に犬の遠吠えを聞いた。ガウディ王は鬱蒼とした森の中で小さな農場を見つけ、王はその家に助けを求めてドアを叩いた。
現れた使用人は、慌てて遠吠えを続ける犬を殺し、この妙な闖入者を押し留めようとしたができなかった。
この家は一度も客を招いたことのないという風変わりな一族の家で、家には父親と母親、息子と娘が三人ずついた。
主人は使用人がとっさに犬を殺し、この望まれない客を押し留めようとしたことを讃え「この労苦に報いる方法は難しいが、明日はお前を連れて行こう」と言った。
家族は食事中であったが、ガウディ王は待っていても食事も与えられる様子がなかったので、仕方なく勝手に隣の椅子に座ると、家族の食事を分けてもらった。そして大皿の中身がなくなると、主人は「もう食べ物は残っていないから」と言って、大皿を下げさせた。

その後、部屋に娘が一人来て、自分の一族が誰一人として客を招いたことがなく、王が来たにもかかわらず無礼だったことを謝った。
家族のことを聞くと娘はこう答えた。

父親はけちで誰にも物を恵んだことはなく、スキンフロント(痩せっぽちの舌)と呼ばれている。母親はボロボロの服しか着ないのでトトラと呼ばれている。
三人の息子はそれぞれフィヨルモド、イムシグル、ギリングといい、姉妹はヒヨトラとフィヨトラと呼ばれており、娘自身は最も頭が良いためスノトラと呼ばれていた。

王は国に帰れば父親から奪った物を補填することを娘に約束したが、娘は次のように言った。
彼女の一族には、この小さな農場で貧困や人口過多が起きないようにするために先祖が自殺するアッテストゥパンと呼ばれる崖があるのだという。
「彼らは老衰や病気になる前にこの崖から身を投げます。すると死後はオーディンの元へ行けるのです。この家に裸で何も持たない王様が来ることは驚くべきことであって(※また王様の歓迎のために渡したくもない財産を取られることは大変な話で)、前例がないので、父と母は兄弟姉妹に遺産を分配して、明日の朝にでもこの崖を飛ぶことにしたようです。」

その後、あれこれと話をする中で互いのことを気に入ったガウディ王とスノトラはその夜愛し合い、スノトラは王の子供を身ごもった。

次の日、ガウディ王はスノトラにともに来ることを望んだが、遺産分配が有るためスノトラは断った。別れ際に、子供が生まれたらガウトレクと名付け、王宮に来てほしいとスノトラに伝えた。

スノトラが家に戻ると、父は家族に言った。
「王様が訪れて家の食べ物も持ち物も持っていかれたうえ、貧乏になってしまった。私はお前たちに持ち物を分けようと思う。
ギリングとスノトラには私の牛を、フィヨルモドとヒヨトラには金の延べ棒を、イムシグルとフィヨトラには私の畑を与える。
そして受け継いだものを守るためにもこれ以上家族を増やさないでほしいから、それぞれ兄弟同士で夫婦になりなさい」といった。

そして子どもたちは両親がアッテストゥパンを飛ぶ手伝いをし、彼らは晴れやかな気分でオーディンのもとに向かっていった。
兄弟たちは子供が生まれないようにお互いを縄でぐるぐる巻きにして互いを監視して生活した。
だがその後にガウトレクが生まれたので、不吉なことだと思った。ギリングは自分がスノトラの頬を撫でたせいで新たな家族が生まれたのではないかと大変後悔した。

フィヨルモドはある日眠っていると、カタツムリが金塊の延べ棒を這う夢を見て目を覚ました。
実際は金が黒ずんでいただけなのだが、カタツムリが這ったせいで黒く大きく削れたと思いこんで、財産のほとんどを失ったと思った。
そしてまたこんなことがあったら大変だと思い、今のうちにアッテストゥパンを超えるべきではないか、と思った。
そしてフィヨルモドとヒヨトラはアッテストゥパンから身を投げた。

ある日、イシムグルは畑で小さな小さな雀を見かけた。彼は鳥が大きな損害を与えたのではないかと歩き回ると、ついに穂のひと粒を鳥が食べたのを見つけた。
実際は稲の穂が一粒欠けただけなのだが、なんと大損失を受けたのかと嘆き、イシムグルとフィヨトラはアッテストゥパンから身を投げた。

ガウディ王とスノトラの子ガウトレクは七歳になった。するとたまたま外に大きな牛がいるのを見かけ、誤って槍で刺して殺してしまった。
ギリングは「なんて不吉なことか。これから私が年老いたとしても二度とあんな宝物を手に入れる機会はないだろう。」と嘆いた。
そして彼は一人アッテストゥパンから身を投げた。

スノトラとガウトレクだけが残った。
そしてスノトラは旅の準備をし、ガウディ王のところに向かった。
ガウトレクは父の宮殿でこころよく育てられることとなった。

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