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双神ディオスクロイの起源を探る(投稿のまとめ)


はじめに

『Fate/ Grand Order』にて、新星のように現れた双神ディオスクロイ。ハンサムな兄様と楚々とした妹君の二人という絵になるコンビですが、ストーリーでの彼らには度肝を抜かれた人は多かったのではないでしょうか。(色々)
彼らのキャラクター性については別途ファンサイトなどで熱く語れれば思いますが、今回の趣旨は一つです。

ゲームで言っていた「太古の神」「人間を憎む零落した神」として現れた彼らのルーツははたして一体なんだったのか?

ゲームとフレーバーテキストだけで理解できなかったので、辞書を片手に古典文献と学術書に挑みます。
(比較神話としては有名な話のようですので、見る人によっては知っているオチをなぞるだけになるかもしれません)

なお、あくまでも素人がディオスクロイの双子に入れ込みたいが故に調査した内容となります。知った風に考えはしますが、前提知識はほとんどありません。

可能な限り個々の文献は提示し、文献の内容には注意を払って扱っていきたいと思います。しかし例えば読み間違いや資料の確認不足、意図しない恣意的な引用などにより内容には誤りが含まれる可能性があることと、(当然ながら)学術的な査読などは通していない内容になりますので、ご注意ください。

特に後半に進むにつれて、学問として(あとは民族的にも)議論中の内容に踏み込まざるを得ず、ここはあくまでディオスクロイの原像を読み解くための一例であることをご理解いただければ幸いです。

また素人調査のため、文献を見つけきれず、一部Wikipediaや個人のホームページの情報などが混ざってくる可能性があります。

精度の向上のためにも、内容誤りなどの目に余る点ございましたらご指摘いただければありがたく思います。

なお、今のところは志半ば。
アイソーポスの語った亀の歩みを眺めるように、長く長く、生暖かい目で見守っていただければ嬉しく。

※ 今までアップしてきた内容を一元化する目的で概略兼リンク集として作成します。(一記事で作ろうとしたら途中から重すぎてnoteが操作できなくなったので、複数の記事としてまとめ直しています。見辛くてすみません)
記事を増やすたび、こちらも編集する予定です。四〜五章くらいでまとめられる予定です。最終的にはこのページも整理し、一つの記事としてまとめられればと思います。

第一章:物語の中のディオスクロイ

まずは「英雄のディオスクロイ」の話を探るべく、知られていると思われるエピソードを挙げてみた。

『Oxford classical dictionary』では「アパレティダイとの争い」「アルゴノーツの冒険」「テセウスからのヘレネ奪還」の三つをディオスクロイの主要エピソードとして挙げているが、今回はこれに二人の誕生に関わる「レーダーとゼウスの物語」ゲーム中でたまに触れられる「カリュドーンの猪狩り」を追加して計五つを挙げた。

彼らが人(或いは半神)としてどのように扱われたのか、どのように神としての残滓を残しているのかという話の参考にいただければと思う。

①レーダーとゼウスの話(ディオスクロイおよびヘレネの誕生)

ディオスクロイは卵から生まれたという伝承を持つ。「卵の殻の形の兜」は彼らのシンボルでもある。ディオスクロイとヘレネー、クリュタイムネストラが含まれる場合もあればそうでないこともある。この成り立ちを探る。

②アパレティダイとの争い(ディオスクロイの結婚および死)

ディオスクロイの死はほとんどの場合、メッセニアのアパレティダイ(アパレウスの子)と呼ばれる兄弟に関連している。

ディオスクロイの死がどのように扱われてきたのか、時代別の変遷を辿る。

③アルゴノーツの冒険(加えて競技会)

Fateで重要視されるエピソードであるアルゴノーツの冒険についてまとめてみた。

ディオスクロイの活躍はアミコス王のシーン、嵐を退けるシーンに限られるがそれぞれがどのように扱われているかをまとめた。

④カリュドーンの猪狩り

こちらもファンサイトなどでまれに言及があるカリュドーンの猪狩りについてもまとめた。ただし、ほとんどの場合は参加者の一人として描かれるのみなので活躍の場は限られる。

⑤テセウスからのヘレネ奪還(アテナイとの戦争)

Fateで描かれることはないが、ディオスクロイの重要なエピソードの一つであるテセウスによるヘレネ拉致とそこからのヘレネ奪還、およびディオスクロイのアテナイへの侵攻について記載した。

どちらかというとヘレネのエピソードであるが、双神という立場を考えると重要な内容を含んでいる。(別に述べる)


「物語の中のディオスクロイ」結論

ここでわかる最も重要なことは、神話に残るディオスクロイの文献のみを追ったところで「古き双神ディオスクロイ」の起源は追えないということである。

既に紀元前八世紀、カストロとポルクスの初出の『イーリアス』の彼らが 死せるものであり、同じく『オデュッセイア』の彼らは死した後に神と同じ栄光を受けたものとして存在している。これは現存する最初期の文献から(彼らのいう「双子座の英雄」ではまだないが)既に「人間として零落した英雄」であるとみなされていたということを示している。

一方でアルカイック期の作品と思われる『ホメーロス風讃歌』や『アルカイオスによる讃歌』においては航海の神(セントエルモの火)として知られている。

つまり文献としてみられる最初期から既にディオスクロイは神としても人としても扱われていたということになる。

※参考 ギリシャ文献の区分

ご存知の方は読み飛ばし推奨。

そもそもここで語ってる内容の意味がわからない、ミケーネ?アルカイック?ヘレニズム?という方向けの情報。
ギリシャの歴史をざっくり分けていくと下記のような分類になる。

①紀元前12世紀以前:ミケーネ・クレタ時代
②紀元前12〜8世紀:ギリシャ暗黒時代★重要!
③紀元前8〜6世紀:アルカイック期
④紀元前5〜4世紀:古典期
⑤紀元前3〜1世紀:ヘレニズム期
⑥それ以降:ローマ期(ヘレニズム期も半分ローマだけど)

ギリシャ神話の起源を追う上で一番面倒な点が、暗黒時代と呼ばれる数百年間、何も文献が残っていないことに尽きる。
そしてその後のアルカイック期には、今でも知られている英雄たちが唐突にどっとに現れる。
彼らがどこから現れたのか?――――他所から来たのかミケーネ時代からいたのか、を知りたければ次の方法しかない。
ほとんど断片し残されていないアルカイック期の文面を目を細めて見つめるか、たくさん残されているが変質しつつある古典期以降の文面から類推するか、二つに一つである。(※場合によってはミケーネの話が残っている時もある。アリアドネとか)

ちなみに、先ほどの分類をふわっと語るとこんな感じです。

①前ギリシャ文明ともいえるミケーネ・クレタ文明においてギリシャの神話の雛形は作られている。
②その後ギリシャ暗黒時代にギリシャ人は文字を残すことをやめる。地中海の多くの民族が移動を繰り返したこの時代が、字面ほど恐ろしい時代だったかは議論の余地があるだろうが少なくともこの頃の文献は残っていない。(考古学資料はわずかに残存する)
③古代ギリシャのルネサンスとも呼べるアルカイック期。ホメロスやヘシオドスらが現れ、再び文字を残すようになる。現代にギリシャ神話として残存しているのはほぼここからである。それぞれの神話が①ミケーネ時代から語り継がれてきたものか②暗黒時代に他民族から得たものかを議論することは難しい。散逸した文献も多く、完全に残っている『イーリアス』や『オデュッセイア』などはどちらかというと例外的である。
④アルカイック期の文献をもとに多数の悲劇や喜劇が作り出された爛熟の時代が古典期である。質素な叙事詩の要素を組み替えて情感豊かに書き直したものが多い。部分部分に古めかしい伝説の痕跡が見えることも。
ペルシア戦争・ペロポネソス戦争を経て大きくギリシャ社会の構造が変化した時代。同時にヘロドトスやトゥキディデスの戦争史が当時の様子を語る。またピタゴラスの数学など、科学が発達し多くの学者を輩出した。
⑤アレキサンダー大王の征服により中東文化が流入した時代。何故か古典期に残されていないのにこの時代に現れる神話もある。(散逸したものが多いためか)
また天文学への関心が高まり、先行した一部の例外を除き星の神話ができたのはこの時代のようだ。学問の中心はエジプトのアレキサンドリアに移った。
⑥ローマ期以降。先述の古典期などは暗黒時代やミケーネ時代の話を再解釈したと思しきものが多いが、ローマ期はアルカイック・古典期・ヘレニズム期の物語の再解釈が多い印象。ここまで来ると最古の話がどこまでで、どこが新き付け加えられたものかを判別するのは割と困難なように思う。
同時に人々の生活に余裕が生まれたからか、パウサニアスのように旅をして地域ごとの伝統や風俗を書き記したものもいる。

第二章 古代ギリシャにおけるディオスクロイ信仰

第二章として「古代ギリシャにおけるディオスクロイ信仰」の様子をパウサニアスの伝記や現在の学者の文献を中心にして追った。

さて、今回は史実的な面での神ディオスクロイを追ってみた。

記事にも書いたが、結論としてはディオスクロイは下記のような神として信仰されたと思われる。

 1.信仰された場所としては特にスパルタでの信仰が厚くスパルタ王権の守護者とされたこと、他にもアッティカ・テーバイ等の地域に置いても信仰を受けていたこと。

 2.ただし、その属性は「若者として描かれることがあれば、子供とされることもあった」「カストロとポルクスという名前でないこともあった」とややむらがあること。

 3.彼らの信仰は「航海の神であり、軍の守護者であり、また他の神々とは違い個人の祈りに応じる、人と距離の近い神」でもあったこと。

残されている文献はほとんどがローマ時代のパウサニアスによるものであるが、それぞれが生き生きとした信仰の様子を見せていたように思う。


第三章 ヘレネの信仰

第三章では「ゼウスとレーダー」「テセウスの誘拐と奪還」などでディオスクロイとの関連を語られる姉妹のヘレネについて語りたい。
第二章で見たようにヘレネはディオスクロイと共に信仰を受けていたケースが多い。
このディオスクロイの「第三の双子」とも呼べるヘレネの背景について探ることで、双神の理解を進められればと思う。

例えばスパルタやアッティカといったような地域でディオスクロイとヘレネは登場し、航海の神としてのディオスクロイもまたヘレネとリンクしていた。

ヘレネ単体の神としては、おそらく美の女神であり、結婚と出産の神であり、豊穣神である。
もしくは神そのものではないが、それに等しい力を持った不滅の女性である。類型としてアリアドネとの関係についても語った。
また一部の学者にとっては彼女は天空神の属性を持っているようだが、これは別途語ることにする。

ヘレネは叙事詩の上では傾国の悪女として語られたが、信仰の上ではそうした叙事詩からの影響は見られず、おそらく叙事詩以前からの神であると推測される。
またアッティカのヘレネはおそらく「ゼウスとネメシスの子」であり、ディオスクロイの属するスパルタ王家の姉妹とは異なる。

ではどうしてディオスクロイは、元来は彼らの血縁ではなかったであろう姉妹ヘレネとここまで密接に関係を受けているのか。

この「女神を守護する双子の神」の原像について次の章で迫りたい。

※また補足として、第三章にはうまく入りきらなかったため「ディオスクロイ自身は豊穣神となり得るのか?」について簡単に見た。
サモトラケの信仰に関して、ディオスクロイとカベイロイ神との同一視の背景を中心に紹介した。

共に航海の神として知られ「大神」の異名を持っていたことについて紹介し、死者の神とも深く関連つけられるサモトラケの豊穣信仰を通して、ディオスクロイの生と死の循環に関する起源の深さについて改めて類推した。

第四章 「神の双子」

最終の第四章として、インドとラトヴィアの神性、ギリシャの双子類型などを学者の記述を中心に説明する。

fateでかたる「古き神霊」ディオスクロイには「オリュンピアマキア以前からいた他所の神」と語られるように、通常のギリシャ神話史ではこれに該当するような記述や該当する神は存在していない。
代わりにほか文化圏の神話及び学説では、ディオスクロイ以前に関わる「原型」となり得るものが存在している。その地域がインドであり、さらにそれを発展させた学説が「神の双子」と呼ばれる仮説である。

これらは現在進行形の学説のため、念のため「神の双子」仮説の学術的な背景も併せて記載した。
(人によってまだるっこしいと感じる話と思うので、この部分だけは分けて掲載。あくまで「汎インドヨーロッパ神話」仮説がどのように取り扱われ、現在どのように語られているのかを記載した。読み飛ばしても問題はないようにしている)

ここでは、インドヨーロッパ語族(あくまで語族)がどのように始まり、いつ頃、どこで乗馬が始まったかについて先行研究を紹介した。
いま有力とされている「クルガン仮説」によれば、「汎インドヨーロッパ語族」のもとになった民族は紀元前6000年頃にカスピ海近辺に現れ、乗馬が始まったのは紀元前3500年頃であり、この頃にようやく語族としてまとまったものという。
ただしこれがインドヨーロッパにおける「言葉」の起源なのか、インドヨーロッパ「民族」「文化」の起源なのかは歴史的にも根が深い問題であり定説を得ていない。ただし「汎インドヨーロッパ神話」として想定される場合は少なくとも「文化」的な共有があった前提で議論される。

上記を元に、この「汎インドヨーロッパ神話」仮説における「神の双子」がどのように扱われているかを次に記載した。

「神の双子」は直接的な考古学的な発見はないものの、インドのアシュヴィン双神、ラトヴィアのディーヴァ・デリ、ギリシャのディオスクロイ(カストロとポルクス)などを始め、ケルトやイングランド、北欧など複数の地域で共通のモチーフを元にした「白馬もしくは船で」「太陽の女神を助け(夫や兄弟とされることが多い)」「天空と地の底の国を走る」「双子の神や英雄」が登場しており、比較人類学的には共通の祖先があったことが有力視されている。これら個々の例を紹介した。
双神は天体運用に関わる「太陽の女神」を導く存在であったことは共通しているが、この起源とされる例の中で特に可能性が高いと思われるもの(明星起源説、双子座起源説)などを紹介し、どういった天文の動きがこの「双神」を成立させたのかについて紹介した。
さらにこうした太陽と双神に関わる「世界観」がギリシャ神話、もしくはカストロとポルクスに共通するものかについて確認した。ホメロスなどを参考にギリシャ神話との世界観との比較をし、ヘレネやレウキピデスらのような女神とディオスクロイとの関わりにおいて、太陽と双神との相関関係について類推した。

今回の章で間違いなくわかることは、(確定的ではないにせよ)現在の学者からはディオスクロイは「汎インドヨーロッパ神話」における「神の双子」の派生した神と捉えられていること、この「汎インドヨーロッパ」の人々が「語族」として成立したのは紀元前3500年頃であること(また乗馬と関連する神のため「神の双子」も同時期に生まれたものと思われる)、「神の双子」は太陽の運行と関係した「太陽の女神」を助けるために存在した神々だったということである。

fateにおける「太古の双神」ディオスクロイは、この「神の双子」をモチーフに換骨奪胎したものだと思ってよいだろう。

総論:「太古の神」ディオスクロイの概略

最終章の「「双神」ディオスクロイの原像」の終わりで取りまとめたことと一部重複するが、その姿についてこちらにも記載する。

ディオスクロイは、神話上では主に「白馬に乗る若い英雄」として活躍したが、古い讃歌等においては「航海の神」として崇拝され、信仰の中心地であったスパルタでは「護国の軍神」として崇拝された。彼らは神話においても歴史においても農耕神と思しきヘレネとセットで取り扱われた。
またサモトラケ島などで信仰された「航海の神」にして「豊穣の神」であるカベイロイ神とも同一視され、ディオスクロイ自身もまた死と再生に関わる豊穣の秘儀に関連付けられていた。
他にもアッティカ地方をはじめ複数の地域にて寺院を持ち、広い範囲で崇拝されていた神であると言われている。

ディオスクロイの姿は、スパルタや後のローマ帝国で想像されていたように「白馬に乗った若い双子」というイメージの他に、古くから航海の神としての「聖エルモの光」として黄褐色の翼を広げてマストに降りてくるもの(紀元前6世紀)とされたり、「天の国の燃える星」(紀元前5~4世紀)としてデザインされていたこともあるが、あくまでただの「光」や「星」として表現されており、おそらくバビロニアから輸入した「双子座」とリンクをするのは紀元前3世紀頃の話であると思われる。

また現在の学者らからは、このディオスクロイの源流はインドのアシュヴィン双神やディーヴァ・デリに見られるようなヨーロッパや西アジアで共通する馬に乗る双子、即ち「神の双子」にあると考えられる場合が多い。
それぞれに共通しているのは「天空神の双子の息子」であり、「白馬や船」と関連し、「女神を助け」「人々の危機から救う」神であるということである。(ディオスクロイもまた「天空神の子」の意味となる)

最も古いアシュヴィン双神(紀元前20~15世紀頃?)の研究から、この双神の原型は「明星」であり、「太陽の運行」そのものを神としてデザインされたものであるとされる説が強い(他にも双子座起源説などもある)
(1)「太陽の娘」という女神を、夜明けとともに現れる「明けの明星」が導いて天の国を駆け、(2)夕方に「宵の明星」が海に沈み溺れる「太陽の娘」を救い出して元の場所に運ぶという。この「夜間に運ぶ経路」は世界観によって様々であり「世界の果ての海を船で運ぶ(ラトヴィア)」ということもあれば「世界の裏側の地の底の国(≒死者の国)を運ぶ(エジプト)」とする場合もある。(「世界の果ての海」と「死者の国の入り口」は近しい場所にあり、意味はほぼ同じ)
アシュヴィン双神などは「思慮のごとき速さ」で「光」のように太陽を運ぶとされており、光り輝く「黄金の馬車」を操ると言われていた。日々同じように運行を繰り返すさまは「疲れ知らず」と評された。この「神の双子」の働きは乗り物に乗るものであるとされ、馬との強い関係から、乗馬が行われた紀元前3500年頃には発生したと類推されている。実際に北欧など紀元前1900年頃の「黄金の馬車に乗った太陽を曳く白馬」の遺物が出土している。

この原型を元に各地の「神の双子」は機能を増やしていく。太陽の娘の救い手から「人間の救い手」となり、「海難救護(航海神)」「旅の救護(旅の神)」「病気救護(医神)」「戦争からの救護(軍神)」となり「人間と親密な神(場合によっては下等な神)」として広く崇拝された。
「天国と死者の国との間の運行」もしくは(学者によっては)原始的な「人類の双子の神聖視(片方を超常の霊の子供とみなした)」ことから、アシュヴィン双神などの一部の「神の双子」はかなり古くから「死しては蘇るもの」「人間と神とのペア」である神と思われていたことも見受けられる。

ギリシャのディオスクロイは根本的な「太陽を運ぶ神」としての性質は失ったが、「女神(ヘレネ等)を救う神」「航海神」「軍神」などの性質は残しており、様々な困難から人々を助ける神であると思われていた。

なお、学者らは「神の双子」の類型として、ギリシャ神話内でも例えばアンフィオンとゼトゥス、イダスとリュンケウス、テセウスとペイトリウス等のキャラクターもこの類型であると想定しているが、最もメジャーなのは間違いなくカストロとポルクスの双子だったことだろう。

fateにおける「古き双神」「光の神」「騎馬あるいは馬そのものの姿を取る神」とはこのようなヨーロッパ史が始まる以前から崇拝されたと思しき原初の神であったと思われる。

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