古代ギリシャにおけるアルゴノーツ物語の概略と船員の推移――および「古参/後付」のメンバーを絞りきれるかについての雑記

※本稿はあくまで一部のゲームの設定の深堀りを目的としたものですが、単純にギリシャ神話におけるアルゴノーツ文献の整理用としてもまとめています。

先日、ネットサーフィンをしていて気になる記述を見た。

fateにおけるアルゴノーツのメンバーについて、「古参キャラ」と「後付キャラ」でイアソンへの対応が違うのでは、ということらしい。
この話自体は別に公式設定というわけではないが、ファンの考察の一つとして楽しんでみると面白い話である。
ただ一つだけひっかかったのは、そもそも前提条件となる「後付」とはなんぞやという話である。そういった話が残されているのだろうか。

残っていれば面白いのでぜひとも知識として記憶しておきたい。そう考えて検索してみたのだが、ネットでは例のごとく裏付けとなる情報が取れなかった。

一応、fateのゲームである『fate/Grand Order』内でアルゴー船ゆかりの者としてカウントされているのは、下記のメンバーである。

イアソン/ディオスクロイ/アタランテ/ケイローン/パリス(アポロン)/
カイニス/ネモ(トリトン)/メディア/キルケー/アスクレピオス/ヘラクレス

また、まだ登場はしていないが、テセウスはアルゴノーツの一員としてセリフのみ出てきている。

投稿をいくつか見てみると、この中でヘラクレス、ディオスクロイが「古参」で、アタランテ、カイニス、アスクレピオスあたりが「後付」メンバーとなるらしい。

彼らの言うところの「古参」「後付」の基準とは一体何なのか。そういったものをどのように絞り切るのか。
今回はせっかくなのでアルゴノーツの物語の成立推移を改めて整理すると同時に、各人物の登場時期の推移や、このネット知識がどの程度正鵠を得ているものなのかを含めて調べてみることにした。

アルゴノーツの物語の成立推移

※以前にも調べた内容になるので、詳細はこちらも参照ください。

アルゴノーツ(アルゴナウタイ)の冒険は、ギリシャに伝わる伝承の一つであり、トロイア戦争ものやカリュドーンの猪狩りなどと並んで、古代ギリシャ成立よりも前に知られている古い物語である。

最初にこの「アルゴノーツもの」の発生推移を時系列順にまとめてみることにしよう。

ネットで軽く調べたところによると、現在はまだ成立起源までは確定していないようだ。
ただしイアソンの出身地とされるイオルコスに残るミケーネ文明の痕跡からも、おそらくアルゴノーツものの直接の起源は紀元前12-3世紀頃までは遡れるのではないかとされている、と書かれているサイトはあった。

ただその頃の文献はまだ見つかっておらず、現在残っているアルゴー船に関する記述の最古のものは紀元前8世紀のホメロス『オデュッセイア』(12.69)にある次の記述である。

いくつもの船の中で、この道を通行できた船はアイエテス(注:コルキス)を発ったアルゴーのみだった。大波が直ちに巨大な岩に打ち寄せたが、イアソンを愛するヘラはこれを導いた。
ホメロス『オデュッセイア』(12.69-)
※注は筆者。また以降の引用も独自に和訳をしているものがあり、クリエイティブ・コモンズの表示に従います(CC BY-SA 3.0)

他にもこの時代の作品としては、ヘシオドス(『神統記』『女性列伝』等。紀元前7世紀)が、ケイローンとイアソンの関係や、イアソンが航海でどこを通ったかなどについても断片的に記録をしている。
さらに同時期の作者不明の作家たちが複数おり、黄金の羊とメディアとイアソンの関係※を書いていたようだが、他の後世の作品で一部の引用された情報が残されているだけで、ほとんどの文献は散逸している状況である。

※参考:イアソンとメディアの関係性もこの時期に残っているのはほとんどが断片的な状況であり全貌は読み取れないようだ。例えば『オイカリアーの陥落』(紀元前7世紀?)では、メディアと息子たちは生き別れとなり、息子らは政敵に謀殺された後、彼女自身が息子らを殺したとして罪をなすりつけられたという部分のみ残されている。この場合のメディアが邪悪な存在とされていたのかも未知数である。(今後の確認としていきたい)

なお、この後、シモニデス、ソフォクレス、アイスキュロスといった名だたる作家が「アルゴノーツもの」について創作し言及しているようで、当時からかなり人気のあった題材だったことがうかがえる。ただしこれらの殆どが散逸しており、内容は不明となっている。

イアソン、メディア以外の船員メンバーの名前が出てくる文献は、紀元前5世紀のピンダロスの『ピュティア祝勝歌4』(170-)が最初である。

 イアソンはそして数多の場所に伝令を飛ばし、航海を伝えた。
 そして直ちにゼウスの三人の息子たちがやってきた。戦いに飽くことなき男たち、アルクメネとレーダーを母に持つ息子たち(注:ヘラクレスとディオスクロイ)が。
 次に大地を揺るがすほどの二人の高き髪の男たちが来た。一人はピュロスから。もうひとりはタイナロスの岬から。ともに高貴な名声を持つエウペモス、広きを支配するペリクリュメノスである。
 次にアポロンからは竪琴奏者が遣わされた、歌の父として高く評価されたオルフェウスである。
 黄金の杖のヘルメスは、若さをあふれる2人の息子達、エキオンとエウリュトスをこの衰えることのない労苦(注:アルゴーの旅)に送りました。
…風の王である父ボレアスは、ゼーテスとカライスを紫色の翼を迅速かつ直ちに背負わせた。
 …選ばれた船員たちがイオルコスにやってきた時、イアソンは彼ら全員を見て称賛した。
そして、預言者モプソスは鳥と聖なる術によって占いをして、心地よき旅路は始まった。
ピンダロス『ピュティア祝勝歌4』(注内は筆者補足)

ここで現れている人物は、ヘラクレス、ディオスクロイの二人、エウペモスとペリクリュメノス、オルフェウス、エキオンとエウリュトス、ゼーテスとカライス、モプソスの11名である。

また同時代の作品としてヘロドトスの『歴史』も残っており、こちらはトリトンが協力者としてアルゴノーツを助けたことが言及されている。

トリトンが現れ、イアソンに三脚を渡し、彼らに正しい道を示したという話があります。
ヘロドトス『歴史』4.179

また余談だが、ヘラクレスが水を汲みに来ておいていかれた話はこの時代から知られていたらしく、同時代の複数の文献で言及されていることは面白い。

マグネシア湾には、イアソンと仲間たちが黄金羊皮を求めてアイア(注:暁の女神の国=コルキス)に向かって航海していたときに、ヘラクレスが水を汲みに来て置き去りにされたと言われている場所があります。
ヘロドトス『歴史』7.193

その他にもメディアの裏切りの魔女としての性質を決定づけたエウリピデスの戯曲『メディア』もこれらの時代の作品だが、この作品はアルゴーの旅ではなく、帰還後のイアソンの没落とメディアの所業に絞って書かれた作品のため、メンバーの詳しい情報は残っていない。

この時代のアルゴノーツのメンバーについて残っている作品は、ほぼピンダロスの『ピュティア祝勝歌4』のみであると言っても良い。

これを見れば、確かにディオスクロイ、ヘラクレスが古い時代から登場していることがわかる。そしてこれはおそらく船乗りとしてより、戦士としての扱いであろう。※

※こう書いていますが、下記も参考ください。
 ピンダロス自身は『ピュティア祝勝歌5』でカストロを「黄金の馬車に乗る騎手」(太陽神ヘリオスの象徴)と表現しています。ヘラクレス自身も黄金の壺の船(太陽の象徴)の乗り手でもあり、太陽神としての性質も持ちます。 他の搭乗員はポセイドンの子孫(エウペモス、ペリクリュメノス)、ヘルメスの子(旅人の神)、ボレアスの子(風神)と考えると、すべてが船に携われる神々たちの子供となりますので、戦士というより良き航海を願って太陽神もしくは天空神の子としての性質を想定されていると見ても良いかもしれません。他の記事で書いているように、インド=ヨーロッパ系の太陽神は船神としての側面も強く持っています。
(なお、この場合オルフェウスがよくわからないのですが……)


『アルゴナウティカ』の登場(大規模なメンバーリストの登場)

さて、次に出てくるのが、最も有名なロドスのアポロニーオスによる『アルゴナウティカ』(紀元前3世紀)である。
この『アルゴナウティカ』は全文が現存する最古の「アルゴノーツもの」の叙事詩であると言われており、後の時代に特に影響を与えた作品とも言える。
メンバーリストも登場し、総勢55名の乗組員が語られる。

アカストス/アドメートス/アイタリデース/アムピダマス/アンフィオン/アンカイオス/アンカイオス/アレイウス/アルゴス/アステリオン/アステリオス/アウゲイアス/ブーテース/カライス/カンサス/カストロ/ケーペウス/クリュティオス/コロナス/エキオン/エルギヌス/エリボテス/エリトゥス/エウペーモス/エウリダマス/エウリュティオン/ヘラクレス/ヒュラース/イダス/イドモーン/イーピクロス/イーピクロス/イーピトス/イーピトス/ラオコーン/ラーオドコス/リュンケウス/メレアグロス/メノイティオス/モプソス/ノープリウス/オイレウス/オルフェウス/パライモーン/ペレウス/ペリクリュメノス/ファレラス/フィリアス/ポルクス/ポリュペーモス/タラオス/テラモン/ティーピュス/ゼーテス
『アルゴナウティカ』第一巻 1~227までの人物

その後はアルゴノーツを言及した作品は多く残されている。
同時代のものに『アレクサンドラ』(リュコブローン紀元前3世紀)があり、その後の時代も一例を上げれば、セネカ、大プリニウス、タキトゥスなどがアルゴノーツの冒険について言及している。

この時期、乗組員のリストのバリエーションも多く見られるようになる。
挙げていくと『ビブリオテーケー・ヒストリカ』(シケリアのディオドロス紀元前1世紀)、『アルゴナウティカ』(ワレリウス・フラックス紀元1世紀)、『ビブリオテーケー』(偽アポロドーロス紀元1世紀)、『ファブラエ』(偽ヒュギヌス2世紀)、『アルゴナウティカ・オルフィカ』(成立年代未定紀元6世紀頃?)などである。
これらのメンバーリストは一定ではなく、文献により差が出ている。

これらのバリエーションは英語Wikipediaが詳しいので、下記にリンクを貼っておくことにする。パターン別にリストが掲載されているので是非参考にしていただきたい。(※ディオドロスのみ情報はない)

このリストを見れば大まかな情報を整理できる。
例えば、アタランテであれば偽アポロドーロス(リストにはないがディオドロスも言及)が、アスクレピオスであれば偽ヒュギヌスのみが、カイニスやテセウスについてはその両方が言及していることがわかる。
更にアポロニーオスは彼ら四名を搭乗員として言及していないことがわかる。

アルゴノーツの物語の成立推移まとめ

今までの情報を図にまとめてみよう。

画像1

自作のため、汚いのはお目溢しいただきたい。

改めて順を追うと、次のとおりである。

・「アルゴノーツの冒険」はホメロス以前から知られた伝承であり、最古の情報はホメロス自身の言及がある。
・紀元前7世紀~の作家が多く取り上げていたがほとんどが散逸している。
・メンバーが確認できる最古のものはおそらく『ピュティア祝勝歌4』が最初。(11名)
・更に2世紀ほど後に『アルゴナウティカ』が作られ、おおよそのメンバーリストができる。(55名)
・その後は大体1世紀間隔で、著名な作家による「アルゴノーツ」のメンバーリストが作られているが、この内容はまちまちである。

このようにまとめられるだろう。

これらの情報を見ると、今回の考察の目的である「ネットにおけるアルゴノーツの後付メンバー/古参メンバー」というのは、おそらく『ピュティア祝勝歌4』もしくは『アルゴナウティカ(アポロニーオス)』のいずれかを典拠にしているものだろうと想定できる。

『ピュティア祝勝歌4』はヘラクレス、ディオスクロイが登場しているため、確かに情報源としては他と比べて古い。だがその一方で「アルゴノーツのメンバー11名以外は後付である」といったような主張も聞かないことから、おそらく多くの場合、想定されているのは『アルゴナウティカ』のほうではなかろうか。(もちろん人によって異なる可能性はある)

次からは、「ネットにおけるアルゴノーツの後付メンバー/古参メンバー」の典拠をアポロニーオスの『アルゴナウティカ』に依るものだと仮定して、考察を進めるものとしたい。

考察① アタランテとテラモンの存在

細かい話を見てみよう。
まず注目したいのは、『ビブリオテーケー・ヒストリカ』と『アルゴナウティカ』自身の中で登場するアタランテとテラモンである。

ネット上において、アタランテは特に「後付」された搭乗員として語られる回数の多いキャラクターだった。確かに彼女自身はカリュドーンの猪狩りにおける主役の人物の一人である。例えばそれがそのままアルゴノーツの一員であるというのもどうかという疑念から船員としての設定も後で付与されたものではないかという考えであればわからなくはない。

更に『アルゴナウティカ』においては、彼女はイアソンに同行を求めるも拒否されている。

イアソンは右手に遠い槍を持っていた。アタランテがマエナルス(注:山の名でアタランテの父とされることがある)でのもてなしの贈り物として喜んで彼に渡したものである。彼女はこの探求を熱心に続けたいと思ったためであるが、イアソン自身が彼女の愛のために激しい争いが起きることを恐れたので、それを防いだ。
『アルゴナウティカ』1. 768

女性を乗せることで奪い合いが起きるのではないかと危惧し、イアソンはアタランテを船に載せなかったというのが『アルゴナウティカ』で描かれている情報である。

また、大アイアスの父であり、アキレウスの父ペレウスの友人としても有名なテラモンもアルゴノーツの一人であり、『アルゴナウティカ』においては彼も乗船をしていることを追記しておく。

次に一世紀ほど後の『ビブリオテーケー・ヒストリカ』を見てみよう。こちらでは次のように書かれている。

イアソンは今、必要なもののすべてを揃えた彼の船を進水させ、彼と一緒に行きたいと望んでいた人々の数の中から、最も優れた4人と50人を選んだ。その中で最も注目に値するのは、カストロとポルクス、ヘラクレスとテラモン、オルフェウス、テスピオスの息子であるスコイネウスの娘アタランテ。
最後にイアソン自身がコルキスへの遠征隊の長であり船長であった。
『ビブリオテーケー・ヒストリカ』 

ディオスクロイ、ヘラクレス、オルフェウスは『ピュティアの祝勝歌4』にて歌われている人物である。

一方でテラモンとアタランテはそうではない。
なぜテラモンが急に現れたのかの詳細は追えていないが、彼は少なくとも『アルゴナウティカ』と『ビブリオテーケー・ヒストリカ』では共通認識として船員の一人であったことがわかる。
だが、アタランテは事情が異なる。『アルゴナウティカ』ではわざわざ拒否される描写までされており、逆に『ビブリオテーケー・ヒストリカ』では中心人物の一人とまで書かれている。
つまり『アルゴナウティカ』の意向に逆らう形で『ビブリオテーケー・ヒストリカ』が書かれていることがわかる。

これは単純に『ビブリオテーケー・ヒストリカ』の創作なのだろうか。

そうとはいいきれないだろう。
『アルゴナウティカ』には妙な描写がある。もう一度振り返っていただきたい。

イアソンは右手に遠い槍を持っていた。アタランテがマエナルスでのもてなしの贈り物として喜んで彼に渡したものである。彼女はこの探求を熱心に続けたいと思ったためであるが、イアソン自身が彼女の愛のために激しい争いが起きることを恐れたので、それを防いだ。
『アルゴナウティカ』1. 768

もしアタランテが最初から不要の存在なのであれば、そもそも『アルゴナウティカ』で同行を断る描写をすること自体必要ではない。そもそも最初から登場人物として書かなければいいだけの話である。

ではなぜわざわざアタランテを拒絶するシーンを書く必要があったのか。

推測になるが、思うに当時の『アルゴナウティカ』の読者の中には、アタランテがアルゴー船の主要な乗組員だと想定している人物が少なからずおり、船員でないことを断る必要があったのではなかろうか。
一方で『ビブリオテーケー・ヒストリカ』や『ビブリオテーケー』では同じ想定に基づき、アタランテを船員として採用したと考えるほうがスムーズである。
となると『ピュティア祝勝歌4』よりは後の時代かもしれないが、『アルゴナウティカ』成立までにアタランテの名前は浮上してきていたのではないか。

あくまで仮説になるが、上記の描写を鑑みるにアタランテの存在を簡単に「後付」だと切り捨てることはできないはずである。

以上のように見てみると、『アルゴナウティカ』が当時から不可侵の扱いを受けていたとは考えにくい。
むしろ、『アルゴナウティカ』の時代にはある程度アルゴー船の乗組員として一般的に想定されるものがあり、それをアポロニーオスが取捨選択したと考えるほうが説明はしやすいのではなかろうか。

※ペリアスの葬送競技会の壺絵について
文章まとめてしまったあとだったので、このように追記です。

イアソンが船旅に出る原因となったペリアスは死後に葬送競技が行われており、この競技会はアルゴノーツの冒険の一環として知られている。
後で確認したところ、この中にアタランテが書かれている壺があるようである。

本件については、後述する『ビブリオテーケー』内でも情報として書かれており、アキレウスの父ペレウスとアタランテが、ペリアスの葬送競技会で戦い、これに勝利したことが述べられている。

(ややこしいが、ペリアス…イアソンの祖国の王でイアソンにアルゴノーツの冒険を指示した人物、ペレウス…アキレウスの父でアルゴノーツの一人、である)

さらに彼女(注:アタランテ)は頭目らと一緒にカリュドーンの猪狩りに参加しました。そして、ペリアスに敬意を表して開催された競技会では、彼女はペレウスと格闘して勝利を収めています。
『ビブリオテーケー』3.9.2

このことは、この絵が局所的に知られたものではなく、紀元前6世紀から1世紀までの間、継続して知られていた内容であったことがわかる。

また、fate世界においては『Fate/Apocrypha』にて、アキレウスがアタランテを敬愛する理由として彼女が父ペレウスを投げ飛ばしたエピソードが語られるが、おそらくこの物語を下敷きにしたものではなかろうか。(ギリシャ神話において他にアタランテとペレウスが関わるエピソードがない)

先述の壺絵は紀元前550年のものと書かれているので、上に述べたピンダロスの『ピュティア祝勝歌4』よりも古い。やはりアタランテの参加を『アルゴナウティカ』より後に発生した「後付」と考えるのは無理があるように思える。

考察② 『ビブリオテーケー』と『ファブラエ』

『アルゴナウティカ』を基準として、それ以降の作品を「後付」であると言い切るためには、例えばホメロスに見られるように、これ以降の作品はすべからく『アルゴナウティカ』の影響下にあった、と考える必要がある。

確かに『アルゴナウティカ』が現在のアルゴノーツものの普及に与えた影響は大きい。例えばローマ時代の代表的な作家の一人であるウェルギリウスの著作『アイネイアス』に影響を与えただろうことは近年の研究で明らかになっている。
しかしメンバーの決定にどこまでの影響を与えていたのだろうか。

余談だが次のような情報もある。

Wikipediaのロドスのアポロニーオスの評価については以下のように書かれている。もっとも、注釈されている箇所が大変少なく果たして信用に足るものかどうかは判断し難いが、参考程度に引用する。

アポローニオス作の叙事詩『アルゴナウティカ』に関する意見は時代とともに変わっている。古代の一部の批評家はこれを可もなく不可もない二流の作品だと考えていた※。一方、近年の批評家たちは詩に対する関心とその特性の認識のルネサンス(復興)と見ていた。多くの学術書が定期的に出版されていて、たとえばウェルギリウスのような後世の詩人たちへの影響も今では認められている。叙事詩の歴史を扱った、現代の著作のいくつかは、判で押したように、アポローニオスに相当の関心を払っている。

Wikipedhia記事『ロドスのアポローニオス』
※Athenaeus Deipnosophistae 7.19; Aelian On the nature of animals 15.23.

ここで明確にわかるのは、アポロニーオスが『アルゴナウティカ』を発表した当時の文化人の内で、少なくとも文筆家のアテナイオスはあまり評価していなかったという点である。(『食卓の賢人たち』(=Deipnosophistae)7.19)

傍証にしかならないが、上記の知見が正しいものだった場合、当時は現在ほど『アルゴナウティカ』の影響は高いものではないことになる。この場合、本作品にて乗船しないメンバー=後の作者らによる後付だと言い切るのは難しくなるのではなかろうか。(『アルゴナウティカ』自体を重要視していなかった可能性が出てくる)

同様に『ビブリオテーケー』『ファブラエ』といった作品の特徴も考慮しなければならない。

偽アポロドーロスの書いたとされる『ビブリオテーケー』は複数の説を並列して採用することで知られ、本書を扱った邦訳の『ギリシャ神話』(高津春繁訳)では巻頭にこのように書かれている。

これ(注:ヘレニズム時代の神話)に反してアポロドーロスの伝える神話伝説は…真の意味での古典時代ギリシアの伝承を真面目に伝えている。著者は神話の伝承に対して極めて僅かの例外を除けば、全然批判せず、また異る伝承間の比較や研究も行わない。…これはおそらく典拠となった参考書や悲劇が異る筋を持っていたからであって、…一方において著者が忠実に原典の筋を伝えていることの間接証明となるのであって、我々は原典の失われている多くの悲劇の筋に関してアポロドーロスをほとんど無条件に信用しても良いということを示している。…特記したいのは、アポロドーロスは常に書物にのみ拠っている、ことにそれも悲劇とか叙事詩とかその他の標準的な著書に拠っていて、民間の伝承を自ら採集したりする人ではないことである。
…アポロドーロスの拠ったところは常に古典期のまたはそれ以前の最上の作家であり、彼はそれ以後の権威をあまり重んじていないのである。これは引用せられている作家名の表を作れば直ちに認め得ることであって、…ローマの伝説の如きは考慮の外にあることはあえて怪しむにたりない。

『ギリシャ神話』(高津春繁訳)p6-8(注、太字部分は筆者)

また『ファブラエ』についても毛並みは異なるが、似たような無批判に依る複数文献の採集された形跡が見える。
これらの作品は、その無批判さが功を奏し、他の文献には登場しないような今日では散逸したエピソードが収集されていることも多く、そうした方面からの評価は高い。

なおこちらも余談になるが、引用で使われている「古典期」とは、紀元前5世紀~4世紀頃の、ギリシャにおける悲劇・喜劇の爛熟期のことを指す。『アルゴナウティカ』が描かれたのはその後の紀元前3~2世紀であり、こちらは「ヘレニズム期」と呼ばれる。また参考だが、ギリシャ文学自体は紀元前8世紀以降から多くの作者の手によって作られており、ホメロスを始めて多数の作品が世に伝えられた。

残念ながらこれらの多くの作品は散逸してしまっており、現在では名前以外が残されていないものも多い。一方でヘレニズム・ローマ時代にはアレキサンドリアの大図書館が有り、こうした紀元前8世紀以降の書物が多くの残存していたものと推測される。我々が現存しない作品の一部の情報を推測できるのは、この時代の研究者たちが残したメモ(スコリア:断片)が残されているからだとも言えるのである。

さて話を戻そう。

『ビブリオテーケー』の作者である偽アポロドーロスもまた紀元1世紀頃の生まれであると推定されておりローマ時代の人物であることはほぼ間違いない。だが先程の説明によると彼はローマ、ヘレニズム時代の作品を引用せず、古典期以前の紀元前8世紀~4世紀の作品を引用していたことがわかる。

つまり『ビブリオテーケー』においては、少なくともこの研究者の意見に従えば、紀元前3世紀頃の『アルゴナウティカ』を参照してリストを作った可能性は低く、それ以前の現存していない情報を考慮に入れてリストを作った可能性が高いということになる。

これらの作品の背景を合わせて考えると、『ビブリオテーケー』や『ファブラエ』のアルゴノーツ船員リストが『アルゴナウティカ』をベースに創作されたものと考えるよりも、当時知られていた伝統的なバリエーションの一つを採用していると考えたほうが妥当であろう。

確かにその引用元となる作品が残されていない今、『ビブリオテーケー』や『ファブラエ』で書かれたバリエーションが確実に『アルゴナウティカ』以前からあったものだと言い切ることは難しい。
だが、逆に言えば『ビブリオテーケー』や『ファブラエ』で書かれたバリエーションが『アルゴナウティカ』以降の時代に作られた後付である、と一方的に断言することもまた、極めて難しいことなのではなかろうか。

結論 アルゴノーツの後付メンバーを定めることはできるか

さて、以上のようにアルゴノーツものの変遷を簡単に追い、それに付随して巷で言われているようにアルゴノーツには後付メンバーと古参のメンバーに分けられるかどうかの考察を行ってみた。

結論から言えば、現状では明確に分けることが難しいのではないか、というのが個人的な見解である。

繰り返しになるが、前提となる条件はいくつもある。

①まずはアルゴノーツものの起源が完全に未知であること。
先程述べたとおり、現在の研究においては、おそらくアルゴノーツものの起源はイオルコスに残るミケーネ文明の痕跡からも紀元前12-3世紀頃までは遡れるのではないかとされているが、このタイミングでどういう物語だったかは何一つわかっていない。

②次にアルゴー船についての物語の初出は『オデュッセイア』になるが、この時期のメンバーリストが存在しないことである。
イアソン、メディア、ケイローンの名前は出るが、それ以外の情報はほとんどなく、そもそも書物自体がほとんど散逸している。

③更にアポロニーオスの『アルゴナウティカ』以降の文献でもメンバーの取り扱いにも揺れがあることだ。
『アルゴナウティカ』の内容を絶対とし、それ以降のバリエーションにすべて『アルゴナウティカ』のメンバーが含まれているのならば話はわかりやすいが、どうもそうではなく、『アルゴナウティカ』に現れず他の作品で採用されているメンバーも少なくない。
加えて他のバリエーションを記載している作者の経歴から鑑みるに、単に作者の意図でメンバーを追加した、という可能性も想定しにくい。

④一方で『ピュティア祝勝歌4』に出てくるメンバーは厳守されており、これこそを古参である、と定義するのは②の条件に目を瞑ればできなくはないように思う。
ただしその後、『アルゴナウティカ』ができるまでの間の変遷は不明で、先程述べたように、どうやらアタランテやテラモンは『アルゴナウティカ』以前のタイミングでリストに加わったのではないかという疑念もあり、それぞれのタイミングでの聴衆のメンバーリストを想定することは難しい。

以上を考えると、何を持って「後付」であると結論付けられるのかは疑問が残る。おそらく学者らにとっても、どの英雄が古く、どの英雄が時代が下ってから加えられたのかを判断するのは難しいはずだ。

おそらく説明できる範囲は下記に絞られるのではないだろうか。
①『ピュティア祝勝歌4』(BC462年)に登場するメンバーは他よりも古い可能性が高い
②それ以外のメンバーはそれ以降に参加したメンバーの可能性がやや高い
③ただしアタランテはもしかしたら『ピュティア祝勝歌4』並か、準古参くらいの立ち位置だったかもしれない(※追記:BC550年の絵が残っているため結構古そうである)
④『ビブリオテーケー』のリストは『ピュティア祝勝歌4』と似た時期の情報を採用している可能性も高いものの、明確なところはわからない

これ以上はなんとも難しいだろう。

つまり、おそらくは「古参」「後付」については、そこまで客観的な評価ができる尺度ではないのだろう、というのが今回の答えとなるのではなかろうか。

アルゴノーツの冒険は、古代ギリシャ人にとってもはるか昔の大いなる冒険譚であり、英雄たちの旅路には思いを膨らませたことだろう。そしてそれらの旅路に華を添えるべく、彼らの伝説的な祖先たちの名前を数多く連ねていき、その結果いろいろなバリエーションができたのだろうことだけは想像に難くない。

今回は以上です。


引用文献について:
引用文献について一部独自の和訳をしておりますが、正確性を保証するものでは有りません。またクリエイティブ・コモンズの表記があるものについてはそちらの指定に従うものとします。

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