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と鹿

北海道の鹿は大きい。

2020年秋木質バイオマスの話を伺いに利尻島へ。朝一番の船で向かうために稚内で前泊。その稚内の国道で巨大な鹿が横たわっていた。

四半世紀近くドラマのセットのような神楽坂で暮らしていたわたしは鹿の大きさと鹿が当たり前に町中を闊歩する光景に少し驚いた。

コロナ禍と海が荒れて利尻島へは行けなかった。予定を変更した。その途中で寄った稚内の少し南にあるサロベツ原野。道産子の血が騒いだのか、理由は分からないがテンションが上がった。

2022年、棲家を変えるタイミングで西多摩に引越した。サロベツ原野の残像がそこを選ばせた。

引越し後落ち着いた頃合いを見て、ロードバイクで山王峠に向かった。

飯能はかつて仕事で通った場所だった。とはいえ駅南口から5分ほどのお客様のところとの往復だけで市全体が分かっていたわけではない。

山王峠にも鹿が横たわっていた。

ここは飯能で稚内ではない。
かつてインプットされていた飯能駅周辺のイメージとのギャップにいささか困惑したが、これが飯能との鮮烈な再会だった。

それから1年と少しが経過した。
はんのう森林みらい塾。ひらがなと漢字のバランスからセンスの良さを感じた。

申込から勝手にドラマチックだったが、毎回個人的ドラマがあった。10月2日目の朝、久しぶりにキツめのギックリ腰に等々。

講師、スタッフ、塾生ひとりひとりがかくも魅力的なことはなかなかないのではないか。核となる人の思いの強さによることは間違いない。そこに呼び寄せられた。
核は人だけではないのだろう。
そう、山であり木であり、ヒトではないものことを含んだ飯能なのだろう。

みらい塾最後の場所はジビエール。

鹿ではじまり、鹿で終わったわたしのみらい塾。

若者とは言えないが、余所者であり、間違いなく馬鹿者である自分が飯能でできることもあるだろう。

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