歩かなければ向かうところ敵なし


目的に向かって歩くことには救いの要素がある

根拠はないけどそんなことを思う

根拠はないのに説明があるのだからおかしな話だけど

なんでもいい

ダイエットのために努力しますとか

欲しいカバンのためにお金貯めますとか


もっと繊細なところ(僕が言いたいところ)でいうと


子供が事故に遭って悲しいけど国を訴えますとか

父親が死んで悲しいけど葬式をしますとか


さっきのポジティブに目標に向かうこととは違う


やらなければいけないこと

なにかやることがあること

でも心の救いというものが存在すると思うのです

人生を正面から足を止めて受け止めるのはきっと危険で

少しでも動いていなければいけない


山で重いものを持つ歩荷の人は絶えず動いていないと負荷が膝にかかって壊れてしまうそうで
 
少しでも重さを分散するために

辛くても足を動かし続けるしかないらしい

無事でいたければ足は止められない

そんな歩荷にもし目的地がなければそれは地獄だろう

いつにも増してまとまりがないけど

そんなことを思う

いつも思うわけじゃないけど

たまに思う


今の僕には

食べたいものも

欲しいものも

やりたいことも

いきたいところも

ない


なんにもない

プレゼントもいらない

良い女もいらない

(それはちょっといるかもしれないけど)

昔ほど求めてない


どこにも行く宛てがない

こんなに行き場のない気持ちになるのはティーンエイジャーの時以来で

行き先のない心が弱っていくのを感じる


僕には冒頭の「救いの要素」がない

僕が歩荷なら行き先がない

僕が被害者なら拳を振り下ろす先がない


足を止めてしまったものは

もう一度歩き出すのに大きなエネルギーが必要で

今晩の僕には到底そんなこと出来そうにない


ただ泣いているのも辛いので

負のエネルギーを雑に文字に並べてみた


出来にはもちろん不満足である

でもエネルギーの変換はできた

ほんの少し目的に向かって歩いて救済されたので

このほんの少しの救われた気持ちを拾い上げて

眠ることとします


(次は頑張ります)

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