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『FF11のコミュニケーション』について20年前の当時を振り返りながら...

18年ぶりにFF11に復帰したので
今回はヴァナ内でのコミュニケーションというものについて、20年前当時のことを思い出しながら書きたくなった。

なんかコミュニケーションがどうのだの
プライバシーに携わる気がするものを
ヴァナから離れた外側から書きたくない、という気持ちもあるんだけれど
文章にしてしまうことで、おもしろかったものを
そのままにしないで壊されてしまうっていうのが不安なんだけれど

18年ぶり...という『人間の世代』が代わる年月をまたいでからの復帰だったので
はじめの投稿

で書いたみたいに
ヴァナで18年ぶりにコミュニケーションをとったときにぷるぷると震えるものがあって
なんせ、とうに感覚が思い出せなくなってしまっている年月に、
そしていろいろなことを思いだしたので、記事に掘り起こしたくなってしまった。
本当に個人的な日記で
単なる思い起こしのようなものです。

新規復帰初日の日に人と話して、
赤い文字のTELLが返ってきたら
なんかもうすぐに返事を返して、その場で他のこともできずに身動きがとれなくなって...って、
その時にふと思い出した、いろいろなことをしながら、PT組みながら、片手間にフレとチャットしたりとか
どうやってそんなことをやっていたんだ?って前に記事で書いたけど

とりあえず書いておくとなんと11日目にして
20年前の知っている人を見つけることができました。

20年前の当時から相も変わらずにずっと毎日プレイをしているという話を聞いて
すっかりと変わり果ててしまったこのヴァナの中で
なんというか20年前から変わらない人のように感じるというか感動を覚える気持ちになったのだけれど
ひとり...ひとりと人が減っていくヴァナで20年
一体どんな気持ちで過ごしてきたのだろうかという気持ちになるというか

初日の記事では、/bowって打った時に、手が勝手にうごくことに
すごく感動を覚えたと書いたけれど

ただなんというかその人と会話していて
すごくゆっくりゆっくりとぽつりぽつりと
忘れた頃に返答が返ってきたりする感じのスタイルを見て
「あぁ、この感覚がヴァナだ」と...感動を覚えた

あんまりこういうことを書くのもあれなんだけれど...思い出した気がするなと
その時にはっとするものがあった
なんかこうあんまりどんどん話すとかそういう感じではなかったかもしれないなと
変な話、18年ぶり復帰です、という話をしてしまうと
そこから「ヴァナの外側」から話をしているみたいな
なんだかこれはヴァナにいる感じではない、というフラスレシーションを感じてしまうものがあったりしたんだけれど

わからないけれど、その人と出会う前までヴァナの中で人と話をしていて
「なんだかこれはヴァナで話している感覚ではない...」
と昔と少しコミュニケーションの取り方がちがうようなものを感じたりもすることもあって
そこに昔のヴァナとの「ずれ」みたいなものを感じてしまうことがけっこうあったんだよね
なんだろう?地脈を下ろしてここで冒険者をしている感じではないというか...

それに今、ソロでできるようになって、
何もかもがかんたんにどんどん進むようになってしまって
どんどん追い立てられるように次へ次へと飛んで行くスタイルが
人のコミュニケーションの取り方を変えてしまったのだろうかと
20年も長く続いている中で、やり方やコミュニケーションにおいてまでも、『世代分かれ』というものが生まれていたりするのだろうかというか。

もしかして初期を知らない人はコミュニケーションのとりかたが違うんだろうかとちょっと思ってしまったんだ。

妙な違和感に、ちょうどフラストレーションを感じてきたところに
昔の知ってる人の同じコミュニケーションを見て
なんというか説明のできない感動を覚えた

そうだ、いろいろなことを思い出してきた
なんかヴァナでしか見かけないなって思うのは
「こんばんは」「こんにちは」という五文字を全部打つと
固い人だと認定されてしまうため
「ばんはー」「ちわー」と崩す、という...そうだ....謎のそんなルールがあった…!
昔は、ばんはー、ちはーって言っていたんだ、自分も。
今はまだその感覚が取り戻せずに「こんにちはー」と言ってしまっているけれど

「ちわー」っていう挨拶を今のヴァナ...まだ2か月だけれど、で初めて聞いたという感動を覚えた。

だんだん思い出してきた気がした
チャットっていう行為自体がひさびさだったので
今その時その時でしてることをしながら
どうやって返答するかとか
それとも返事なんかできなくてそのままスルーするのかとか

「FF11はゲームはオマケでただ他人とコミュニケーションをとるためのゲーム」
という誰かが言ったらしい言葉が個人的にツボに入った名言だったのだけど

だけどFF11をプレイしていない人に「コミュニケーションをとったり雑談をしたりするのがメインになっちゃうゲーム」っていうと
もしやもっと違うイメージを抱いてしまうんではないんだろうかと

思い出したのはむしろ無言だったかもしれない。
『会話』じゃなくて
ポリゴン越しのキャラクターで表情なんかわからないはずなのに
無言で『視線合わせる』っていうのが多かったかもしれない
それができるんだっていうことがとにかく不思議だった。

むしろなんというか...
思い出したんだけれど
シカトとか多くなったりして
「え?今のシカト?」みたいな
シーンってなんかなっちゃったりとか
なんだろう
シカトは多かったかな....というか
なんというかもっとこう...シビアというか
だけどだからこそ
「チャットフィルター」なるものがあるけれど
むしろ当時も今もかぜんぜんそんなもの必要になることあるの?って感じで
自分の個人的には、対人関係のトラブルとかいうほどのことも何かあった覚えもないし
でもなんかこう人が
怒ってんのかな?アレ?みたいな
シーンってなんかなっちゃって
鬱になる...っていう

ただシカトに深い意味はなかったりして
例えばPT組んでて戦闘中だったり
さまざまなことをすることに追われる中で、返せない、とか

LSでの会話だとエリチェンしてると会話が入ってこない、
回線落ちてたから聞き逃したとか、
離席していた、寝落ちしていた、さまざまな理由があったり
もしくは理由もなく、むしろ、タイミングが合うときしか話をしないとか
まあもしくは本当に嫌われてるとか怒ってるとか
本当に感じ悪いとか
うん、わからなくて鬱になるっていう

そして対人恐怖症にもなり疲れ果てひとりになりたくもなるゲームだという...
...ってやりたくないなそれという突っ込みが入ってきそうなところなんだけれど

いや、無言。で視線を合わせて行く...っていう
画面越しで表情が読めないはずなのに
ふしぎなことに無言で表情を読んで
視線を合わせていく...っていうのが強かったかもしれない

現実じゃないとできないはずのことを
ふしぎなことにできるようになっていくみたいなのがあったような気がする

(ちなみに自分はケルベロスサーバーなので
 蹴鯖は大人のサーバーって言われてて、みんな落ち着いてるとも冷たいとも書かれていたその書かれてた特徴と当てはまる部分はあるのかもしれない)

シカトが多い人ほどむしろ他者との協調性を大事にしてる人が多いかもしれないし
人に寄るし、どうかは知らないけれど
個人的にはそういえば え?シカト?って思った人ほどいきなりすごい親切みたいなことも多い気もするし
ようするに無言から読み取れることは何もないので
チャットフィルターの必要性を感じたことないというか
むしろもっと言ってくれよみんな、
心の声拡張期が欲しいよという気持ちになったけれど

ツイッターとか見てると
合わない人にすぐに意見言って噛みついたり
言い返したりそんなことであふれているのを見ていると
ヴァナの中では比較的にそういうなんか
もめたりする会話を
個人的にかもしれないけれどぜんぜん見たりしなかったような気がするんだよね
みんな、やりあったりして、後味がわるくなって、居心地が悪くなりたくないから
もし感覚が合わない人や気分が悪い人がいても、もめて言い合いになるというよりは
逆にいえばシカトですませるっていうのが多かったのかしら。
シーンっていう音が聞こえてくる感じがしたよね

なんかいろいろギスギスしてたり感じ悪かったり
いやなこととかたくさんあったはずなのに
今思い出そうとしても思い出せなくて忘れてしまっていて
人にいやだなって感じたら『脳内ブロック』でその時のことに日数を置いて
忘れるようにしてたという何かがあった気がする
で、何がいやだったかも気が付けばわからなくなってるっていうやさしい世界?だったような気さえする?

(なんかドロドロしてる気がしてたんだけど...
 いや、こういうこと書くのも…どうなの?って思うんだけれど…)

っていうか人の会話なんて、
ざんねんながら聞いてないっていうこともあって

思ったんだけれどLSの会話やPTの会話が
エリチェン中だと入ってこなくなるっていうのが特に
この仕様をなんとか直したりできなかったのかなっていう気持ちになるんだけれど

もしかしたらつぶやいた先にはそこには誰もいないのかもしれないし
聞いてないのかもしれないけれど、
だからこそ、ひとことひとことを「その場だけのこと」っていうあまり会話や言論に執着心を持たないっていう
ある意味健全な気持ちで「その場だけの会話」をするっていう
対人関係はとても大切だけど
そこに執着心はないみたいな妙なタフなスタイルになってくるというか
むしろ最近の、ツイッターとか見てると
感覚やセンスみたいなものが
頭がやられてるんじゃないのって感じがしてきて
FF11っていうヴァナの世界は、20年経ってもやっぱり『現実感』というヤツが強い気がする。

イマドキだと、あとはLINEとか、
既読無視が怖くて…とかいうけど
どうしてもシカトする・されるはあって
「いざとなったらひとり」という心の強さのようなものを思い起こすというか
他人が絶対に必要で、きゃっきゃっと群れることは楽しいし
だけどひとりといえばひとりで
ある意味人付き合いの真理かもしれないというか
人がいないと何ごとも成り立たないという対人関係の大切さから
孤高の気持ちも強く芯に持ちながら
目の前の、たったひとりだけの自分だけの冒険というものが大切なんだという気持ちにも気が付かされるいう
だんだん言ってることがよくわからなくなってきたけれどある意味人生の真理を学ぶようなとても奥深いゲームなのだという

「ゲームばっかりやってると現実感がわからなくなる」
という言葉があるけれど
FF11にはむしろ、現実感を学ぶような何かがあった。

だけど昔と今とでは
どんどんソロでできるようになっていったことで
やっぱりコミュニケーションをとることが少なくなっているのだろうか...という疑問。

昔は何もかも人と一緒じゃないと協力しないと何もできない中で
ただのポリゴンにすぎないキャラクター越しに
自然となぜか「アイコンタクト」のようなものをお互いに自然に作るようにプレイしあう習慣があった。

そこにあるのはただの「キャラクター」で
相手の表情なんか見えないはずなのに
ふしぎなことに「ビビビ」で伝わる瞬間があって、「アイコンタクト」を交わしているような間合いが不思議と生まれる瞬間があった。

それが、復帰してからヴァナ内で会話をしていて思ったのは
なんだか20年間というこの歳月を通して、
要素が追加されに追加されて
その情報を追うことや振り回されることに忙しいのか
プレイヤーが自分がひとりで向き合っている『情報』を、他のプレイヤーにただただ、押し付けているだけっていうように感じてくるものがあったので
ちょっとはじめの10日間くらい、嫌だなって気持ちになってしまったんだよね。
いや、それとも昔からそれは変わらないけれど、サクサク進んで次から次へとやることが早くなる中で
より情報感だけが強くなってるように感じるだけなのかしら...。

昔はレベル上げも、アイテムを手に入れることも何ひとつが自分ひとりではできない中で
他者との『視線合わせ』が常に行われていた。
それが『視線合わせ』のような間合いを感じない人が増えたかもしれないとちょっと疑問を抱いちゃったんだよね。

初期の頃は、初期の頃は、といっても、人によってさまざまな経験があるわけだけれど
自分は初期の頃
まさかの初日にLSに入ることになって
今思い返せば
人生の対人関係の運をすべてFF11に振り切ってしまったんじゃないかってくらいに
FF11では初日から瞬きすらもひとりになる瞬間がないようなライフだった。

1か月の頃にはヴァナデール全体を巻き込んでの勝手に始まっていったタルタルのイベントを
まわりからどんどん人が集まって自然的に生まれたものだけど自分がそこで「やりましょう!」って半年くらいに渡って始めたりなんかして
タロンギ時代には、まさかの思い返せば30過ぎても人生の中で同い年の友達なんかいない中で
小学生なんか別にいないヴァナ世界で唯一同じく幼稚園からパソコンやってる同い年のフレにまさにタロンギ時代に知り合えるとか対人関係の運がよかった。

今は、あれだ、「うはwwwwwwwwwwwwおkwwwwwwwwwww」とかいう人がいなくなったよね(?)
どうかはわからないけれど

ヴァナデールが過疎化する中で
今ですっかりLSだけの、村社会かできているという話も聞いたので
それともそういう中でずっと昔のノリのところもあるのかしら

昔の当時、LSでのある日の会話の日記から引用すると、当時なんか....

セルビナバターが儲かるという話をLSでしていて
とある人が
A「セルビナバター...捨ててるw」
私「えw」
私「なんでw」
A「めんどいw」
H「うはwww」
H「捨てるならくれよwwww」
A「めんどいwwwwww」
H「うはwwwwwwwwおkwwwwwwwwww」

こんな会話してたな~と....なつかしい。

当時のこと、だんだんと思い出してきたな、
PT組みながら片手にフレとチャットとかどうやってたんだそれって、うん...だから...

チャットフィルターの必要を感じたことがないと書いたけれど
ある意味一番仲の良いフレにチャットフィルターが必要だという

なんか離席してたら
気が付いたらこっちなんにも返してないのに
ずっと赤文字で埋め尽くされているという
なんか一番仲良いフレが、独り言をの吐け口としてこっちを使っているっていうね

だから...PT組んでるときとか
今PT中って伝えたか伝えてないか
伝えたとしても「返事は返せない」くらいの気持ちで
向こうはずっと送ってくるっていうね

だからPT中とかに返事したりもしてて
ふつうにあっ...ヤベ...ってなったりとか

うん...つまり...だから...
そういうことですよ...

あっ、いつもそんな臼プレイをしていたわけじゃないからね?!

自分の名誉のためにいっておくと
一応いつも人とコミュニケーションとって人のことを優先していたので
またお願いしますとPTで言われたあとウィンダスに帰ってきてるのに
本当にわざわざ探し出して組みませんかってTELLもらったりとかするとうれしかったよね

ところで基本的に、自分の個人的にはだけど、
LSやフレの人とPTを組むことはほとんどなかったな

だからたまにLSの人やフレとPT組むことなんかあると嬉しかったし
その分ちょっと緊張もあった。

PTはもっぱら野良で、その毎日のPTの愚痴なんかをLSやフレに吐き出したりしてた
PT組んだりなんかするとLS内で「PT誘われた~いってきま~」「いてら~」とLSは、それを話したりするような場所だった。

自分は白魔導士だったので、特にストレスがたまるジョブというヤツなので
そうしてLSやフレに愚痴を聞いてもらうのだ(?)
おまけにいえばタルタルなので
MPが多くて防御力が弱いという特徴から、PTがピンチになったときはまっさきに自分が狙われて、まっさきに死ぬのは自分という
いわゆる「自己犠牲」的な、組んだPTがいい加減だった場合、その代償がぜんぶ自分に来るということさえある立ち位置だったので
愚痴といってもそこまでは言った覚えはないのだけれど
仲のいいフレからはなぜかよく「毒舌だなw」と返ってきたな

ジュノ以降のPTを組むプレイヤーたちの姿はもっぱら仕事をしている様子そのもののようだったので
小学生ながら、「お仕事するって、ああ、こういう感覚なのかな...」とよく学んだものだった。
まるで仕事の愚痴をLSやフレに聞いてもらっているような感覚があった。小学生ながら。
「だから、それは、仕事だろ、オィィィ!それは仕事だろぉ!!!」って小学生ながら突っ込みを感じる部分があった。

(仕事みたいでやりたくなくなってくるゲー...あっ)

ちなみに自分よりも先に1日早く父親がプレイしていて
白魔導士をやると同時に父親のプレイする画面を見ていたのだけれど
父親のジョブは戦士からそしてナイトだった。

父親がエルヴァーンのナイトで自分がタルタルの白魔導士だったので
お互いに命を預け・預けられるジョブというヤツで
だからこその「エモいやりとり」がPTで生まれることは多かった。

見ていて、お互いすごく参考になっていたと思うし
ナイトである父親と白魔導士という自分のジョブを、誇らしげに思っていた。

父親に「白魔導士なんて俺絶対やってられないよ。よくやれるな」と言われたけれど

お互いどう前衛・後衛が動いて欲しいかをお互いの画面見て学んでいたから
エルのナイト、タル白って適切な種族でジョブを選んでいるっていうこともあるけれど
中身の経験値の方が多くなっていたし、PTにはよく誘われたと思う。
ただまあ昔はというか
なんというかそんな大げさなことじゃなく
2002年の当時はオンラインゲームっていうものがどういうものなのかまだよくわからず
ただFF11というファイナルファンタジーシリーズのナンバリングだからプレイしてるという人も少なからずいて
そこまでヴァナの世界に地脈を下ろしているわけじゃなく
少なからずプレイスタイルの鈍い人も、多くいて
そんな中で確実にヴァナの世界に地脈を下ろした
「ヴァナの住人」なのだという感覚でやっていると
同じくヴァナの住人として地脈を下ろしている人間同士
なんだかみんな知り合いか知り合いの知り合いみたいな気持ちになってくるみたいなところがあって
フレンドとか100人近くになっていた

LSとかは、今のLSってコンテンツに参加するように作ったりみたいなそんな感じなのか
昔は「ネタ作り」みたいな感じで
フレが無限にLSを作ったりして付き合いで入ったりで8個持ってることになったりしてて

だけど会話がすごいことになるときがあって
会話がLSでもPTでもフレとも会話して...とか
最終的に7刀流でチャットする日になったときのこととか日記に書いてあった

なんか会話してる人がどんどん増えに増えて
「すみませんこちらナシ黒のPTなのですがよかったら...」
また増えた...だと...?って
最終的に離席してたフレが「ただー」って返ってきた瞬間に7刀流になって本人に「うぎゃーーーー」って返したとか。

チャットフィルターの必要性を感じたことはないけれど
「姿を隠す」にしているにも関わらず見つけ出してTELLをくれるフレが2人はいたな。

うん...姿を隠すにしているのに TELLを「くれる」っていうね...。うん...。

常にギャグみたいなものが繰り広げられていたな。
笑いあり涙ありの。
それがヴァナデールライフだったな。
いまではすっかり、プレイヤー同士のギャグ要素満載な会話とかなさそうだよなって思うんだけれど。

でもまあ、当時は自分は瞬きすらもひとりになることがなかったせいで
「FF11に、ストーリー...?内容...?そんなものなんてあったか...?」状態だったので
ひとりでプレイができて、ストーリー見れるっていうのは、それはそれで
「なんだって?!」って驚きがあるのはわかる。
むしろ、めちゃくちゃわかる。
FF11が...あの...FF11が...?!...ひとりでできる..だと?!っていう
それはそれでおどろきがすごいのも...むしろすごくわかるんだけれど

昔はとにかく、ひとりでできることなんてひとつもなかった。

レベルが10になる頃にはPTを組まないと行けなくて
特に自分は白魔導士のタルタルという極端にひとりではできないものだったので
レベル4でレベル7の戦士を捕まえてPTを組み、
レベル6で6人フルPTを組む、という経験をしていて
とにかく経験が早かった
経験が早い分に、
レベル18になる前に人にサポートジョブのアイテムを先にとってもらったりもしてしまっていて
いろいろと早く進むようになっていた。

プロゲーマーだからうまくやれるとかいうよりかは
むしろ
自分強いんだぜとオラついたりなんだり自分ひとりの世界で酔いしれたりなんてしてる人は
そんな人間は進めることができなくて
『他人との協調性がある人』のみが進めることができるというゲームで
なんというのかとても奥が深いゲームだった

90年代のウルティマオンラインっていうのが
初のオンラインゲームとかだったとよく聞くんだけれど
PKっていう他のプレイヤーを殺してアイテムを奪うことができるみたいな
だけどFF11はそういう
奪い合うことはできなくて
FF11は、むしろ他人のためにしかあてはめられないピースみたいなのがたくさんあって
それを他人と協調しあうことでしかうまくやっていけないゲームで
なんというか奥が深く、とても徳の深いゲームだったと思うんだよな

今となっては20年分の要素が追加されに追加されて情報過多なゲームと化しているけれど
初期はむしろ情報なんかなんもなくて、なにをするゲームなのかもわからず、
目的がないまま、何もわからないまんま、ただただ、目の前のプレイヤーと視線を合わせるっていうことに集中するゲームと化していたと思う。

死んで、レベルダウンしても、他のプレイヤーを助けることができたのならそれでいい、っていうエモさがあった。

昔はワープする手段なんかなかったから、上級者でも、三国からジュノへ、チョコボにのって移動したりていた。
そうすると、初心者が強いモンスターに絡まれて逃げているところを目撃することがあって
またチョコボに乗りなおさないといけなくなるけれど
乗りなおすっていっても、、今あるマウントみたいにはできないし、
そこまで向かうまでにすごく時間かかってしまうんだけれど、それでも、降りて、戦って、助けたりとか、
そうしてそこにある人とのつながりがエモかった。

飛空艇はあるけれど、15分置きだったか、乗り逃したら、15分待たないといけないというのが
逆にリアルで、暇つぶしにフレやLSの人たちと会話する時間が始まったりするんだ。
(で、また乗り逃すっていうね)

PT組んだときの移動手段は、もっぱらテレポの他にチョコボや徒歩で
すごく時間がかかって走って狩場に向かっていたんだけど
ふしぎなことにそうして走ってる時間に
「今回のこのPTはどういう雰囲気だろうか?」
っていう「視線合わせの時間」が生まれていたと思うんだよね

というか、大抵は他のプレイヤーとの「視線合わせの時間」に費やされる
そうしてやっと連携をとり、自分よりずっと強いモンスターを6人で倒すのだと
1回1回の戦闘がめちゃくちゃエモかった。

移動するのに1時間、往復で2時間、だからPTを組むとしたら3時間~6時間は欲しい、
一日に使える最大限の時間を使って、やっと他人とPTを組んで、やっとレベル上げという行為ができて
ひとりじゃ戦えない敵と戦うために、ひとりでは向かうことができない狩場に1時間かけて向かって、
今日この日という一日を費やす覚悟が半端なく必要で

もし自分や、誰か一人がミスをしたら、
みんな死んでしまったりして、何時間もかけて移動して、何時間もかけた経験値がぜんぶパーになってしまうという
現実に人に迷惑をかけるっていう緊張感が半端なかった。

毎日毎日がどういう風に何をしていくのかが
他人とのピースにあてはめられるように行われていくから

ちなみに自分がFF11をやめたきっかけはバンドだったのだけれど
ある意味バンドに近い感覚があるとさえ言えるかもしれない(笑)
音楽の前にやっていたものは初期のFF11だったんだとさえむしろ誇らしげに言えるかもしれない(笑)

PT組んだときの毎回毎回が「どうなっていくかがわからない」っていうその感覚が
プレイしてた時はしんどかったはずが、なぜか思い出すとそれが楽しかった。

誰かがミスしたときに、むしろそれをどうカバーするかが、めちゃくちゃエモいことになったりして(ライヴ感)
なんかみんなが熟練じゃなかったときこそ面白いっていう(バンド感)

そういう果てしのないくらい感覚のやわらかい世界が
時代によるものか
なんか情報過多なものをひとりでプレイして、価値観の形成が自分ひとりになって、
それをこう、こっちに投げつけるの?っていう
固くなってる人が多くなってる気がして
でもまあそれでも
まだまだかつての面白さを大切にしている人だって、たくさんいるんだぞって、あえて言いたいと思う。

まあかつてのPTで
鍛えられるような
他人との協調性が
今のFF11にはなくなってしまったのだろうか
どうなんだろうか?

一般的なRPGではストーリーの進行に沿っていくだけで
何も頭を使わずに、モンスターが倒せて、アイテムが手に入って、お金がどんどん稼げて
余るほどにあるお金で装備品や回復アイテムを買う。それがあたりまえだけれど
FF11は、まずひとりでモンスターなんか倒せない。
お金なんか稼げやしない、HPを回復するアイテムなんてそんな高価ものは買えないよと
装備品が買えずに、金欠で冒険が中断するというあまりのリアリティ。
強いモンスターがうようよしている中で移動すらままならず、誰かに連れて行ってもらう。
ストーリーの進行なんて、ゲーム内のことは「オマケ」なので
自分がやりたいと思っていたことと半分以上が意思と違うところで
毎日のやることが決まってしまうような部分さえあったと思うし
どんな人と出会うかによって、やることが変わって、
まさしく冒険者同士で、ストーリーを作り出して、ストーリーが変わる
「これがオンラインゲームなんだ」って
そこにあったのはゲームじゃなかったし
「まさかここまでとは思わない」というようなものだった。

「ひとりでできることなんか何もないんだ」
という現実を思い知らされるゲームで

それが今ひとりでプレイできるようになってしまったということで
2002年...もはや20年を超える年月が経った世の中で
かつてどれだけ画期的なものが存在していたか
だからこそこうして書きたくなった

だけどもともと人と一緒にやるゲームだった
こんな歴史のあるゲームだから
今のヴァナデールだって捨てたものじゃないんだと思ってる。

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