嗚咽文学

Tinderで気に入ってたイケメンが、返事を返してこなくなった。結婚しているかどうかを聞かれて、「しそびれている」と本当のことを言ったからだ。
Tinderのような、男女関係にいっときの楽しみを求める人が集う場所に、それ以外を期待する方が間違っている。そんなことはわかってる。だけど、もうちょっといいやりかたがあったんじゃないかと後悔している。
結婚していることにしたほうが、相手も安心したんじゃないか。気軽に会って、なんなら楽しく会話して、夜の方もお手合わせ願えたかもしれない。

いやまてよ。わたしは知り合った男性に、自分のステイタスを偽らなければ敬遠されてしまう存在になったのか。40になるって、そういうことなのか。いや、もっと前からそうだったのか。いったい、いつから?

もとより、「ふつうこうするべき」に疎い人間である。そんなこと言ってたら、独立も移住も起業もできなかったと思う。男に選ばれるように人生を選んで、28歳で恋愛結婚市場で売り抜ける道を、わたしは自ら捨てたのだ。因果関係を理解していなかった。だから彼は離れていった。自分のしたいことをして輝いているわたしを好きでいてくれると信じていた。それは虚しい願いだった。そもそも、身を固めるなんて、結婚なんて、したくなかったのだ。

そう、大声で叫びたい。

「ふつう」に捉われずに選んだ過去を、今更「ふつう」の文脈に照らし合わせて後悔しても意味はない。「ふつう」を選ばずにきたのだから、このまま突っ走るしかない。一般論に、負けない、心を殺されない。私に必要なのは、そういう強さだ。

私は今この文章を、海の見えるひろびろとした部屋で書いている。自分が好きな家具を買い揃えたこの部屋で。これは間違いなく、わたしが自分の力で手に入れた生活だ。まだまだ、やりたいことのアイデアがたくさんある。ひとつでも多く、実現したい。今わたしは、仕事仲間を得ようとしている。これから、たくさんのことを一緒に経験し、実現していく仲間だ。

だけど、とてもさみしい。家にひとりでいるのが、とても。

ふと、「オーラを高めると『運命の人』を引き寄せる」なんていう本を買ってしまったりする。私は何を求めているのだろうか。

夫。お互いの人生を応援しあえるパートナー。お互いがやろうとすることを、それとなく気にかけて、興味を持って、サポートし合うバディ。食べ物の趣味が合う。映画や音楽の趣味が合う。自由にワクワクしながら、生きようよ。そういう"人生のモード"を共有できる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?