とある人とのセックスがあれほど気持ちよかった理由

まったく気持ち良くないセックスをする男がいる。
モテていても、数をこなしていても、ただ性欲を処理するだけのセックスをする男は、驚くほど気持ちの良くないセックスをする。

女は最中、なぜこれほどに気持ち良くないのかを冷めた心で観察する。
全身にぶつけられている欲にチカラがない。
この女を自分のものにしておこうとするチカラがないのだ。
通りすがりで、一回分しか入っていないケチな小分け包装の欲。

私という人間に豊かな親愛の情があればこうはならない、と思う。一回じゃ伝えきれないほどの愛があれば。

さて、あの人は。私は38歳にして、人生で最高のセックスをする男と懇ろになった。初めて事に至った日、あらかじめ「ついに今日」と予感させる運びも、彼が定宿にしているビジネスホテルという何気ない場所も、はじまり方も、最高だった。1度で終わらずに、しばらく恋人同士のように過ごした日々も。ひと夏の恋と知りながら、お互いの熱に頭から爪先までたっぷりと浸かりきった。短い間に数えきれないほど体を重ねたけれど、1度として絶頂に達しなかったことはなかった。

なぜあれほどまでに気持ちよかったのか、と思う。ただ、私が彼をものすごく好きだったからだと言ってしまえばそれまでなのだけれど。

それだけではないチカラは、彼岸に奪い去られたあの感覚は、彼という一人の人間の、一体どこから湧き出ていたのだろうか。

懇ろになってしばらくしてから、お互いにひと目見た時から求めていたと確かめた。3年の間、私たちは視姦し合っていたのだ。欲が発酵していたから、あれほど強かったのだろうか。

人間としての生命力の強さだとも思う。彼も同じものを私に感じていたのかもしれない。ある日送られてきた写真の女優を見て「生命から直接匂い立つような色気!」と叫んだら、「おまえだよ」と言われた。

生命力の共鳴。波長がどうしようもなく合って、共鳴してしまったことのチカラだったのだろうか。

ならば生命力とはなんだろうか。彼と過ごしていて、それは日常でも彼岸でも、幾度となく体力・知力・胆力の強さを感じた。ここまで優位に生き抜いてきた強い個体。それでいて消えない品性。微かに残る柔らかなナイーブさ。全てが合わさった匂いに巻かれて、私は朦朧としていた。

それらは、語気に、仕草に、目力に、ありありと迸っていた。

あれほどに共鳴したのだとすれば、私にも彼のような色気があるのだろうか。体力・知力・胆力があるのだろうか。世間を優美にしたたかに逞しく生き抜きながらも品性があり、愛すべきナイーブさがあるのだろうか。

きっと、あるのだ。だからあれは、本物の恋だった。

心に宿った本物の恋と、なにもかもを彼岸に持っていかれたセックスは、こうして心の中で発酵し続け、時が経つほどに味わい深くなって人生を支えてくれる。ヴィンテージワインみたいだった、彼のように。


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