思考も気分も選べるということ

次々に私の興味を惹くことが外の世界から現れて、私を夢中にさせる、そういう季節が終わった。

はっきりと終わりを感じたのは、42歳と4ヶ月、6月のことだった。その4ヶ月前の誕生日にも、感じていた。終わりと、虚無と、虚無に入り込んだ重く湿った悲しみを。

落ち窪んだ孤独の深淵から見上げる空はとても狭くて、驚いた私は溺れるものが藁を掴むような気持ちでさまざまな講座に手を出した。そして、わかったことがある。

もう、外の世界から私の興味を惹くことは現れることはない。
私の内側から、それを創り出すしか生きるすべはない。

果たして、内側から何かを創り出すために、私の内側に何があるかを見つめる作業が始まった。

そこにあったのは、果てしない自己嫌悪やありのままで愛されることへの渇望や、嫉妬や、自己不信や、そんな汚れたガラクタたちだった。黒い汚れ。それを私はずっとずっと、放置してきたのだ。
まずは片付けなければならない、絶望的な量のガラクタを。

今これを書き始めているのは、ガラクタの片付けの目処がたったからなのかもしれない。
視界をガラクタで埋め尽くされていた間は、直面している事態がどのようなものなのか、メタ認知して言語化することすら困難だった。

無意識の自己嫌悪や自己不信や不足感や欠乏感に苛まれている間は、思考も感情も気分も、黒い無意識のやりたい放題にさせていた。そうするしかないのだと思ってきた。

黒い無意識のやりたい放題のままに行動することを認めることが、ありのままの自分を認めることだと勘違いしてきた。それで、生まれてきた怒りをぶちまけるような行動をいくつかとった後、ようやく、それではさらにガラクタが増えるだけだとわかった。必要なプロセスだったと思う。

怒りをぶちまけ、黒い無意識に目を向け、放置してきたことに気づいてようやく、放置せずに意識的に「扱う」ことを知った。

扱う。自分の一部として大切に扱う。外に出すときは出し方を考える。
それをしたらいいのだと思う。
そうやって、ガラクタを一つ一つ片付けていった先に、広い空が見える。

42歳の6月のあの日から、2年が経った。
ただただ「それまでとは何かが違う」「何か大切なものが失われた」違和感と喪失感に驚き苛まれていた時間を経て、今の私は、内側から何かを創り出すことに手が届くようになったかもしれない。少しは。

顕著だったのは、藁をもつかむ気持ちで参加した起業塾の、最後の日。これからいよいよ起業をしようというその時に、心の深いところで「就職しようかな」と思っていた。「パートナー探しをしなければ」とも思った。あまりにも自信がなかったからだ。これまで10年以上、フリーランスで食べてきた自信なんて、脆くて儚いものだった。これから多くの人に、「わたし」が前に出て、物事を伝え、訴え、あらゆる形の協力を引き出さなければならないのに、私には自信がなさすぎた。9月のことだった。

極論、外の世界から与えられる刺激に反応し続けた40年あまりの間、私の内側では自信というものがまるで育ってこなかった。どんなにやっても、睡眠時間を削って仕事をしても、あちこち飛び回っても、本当の自信は育っていない。

本当の自信は、自分で決めたことを自分で執行し、その結果を受け止めることでしか育たない。そのことに、ようやく気がついた。

そして、自分で決めたことをことを自分で執行するために必要なのが、自分を正しく扱うことなのだ。

ものごとをどう見るか、起きたことをどう認識するかに自覚的であること。その上で、黒い無意識のやりたい放題にさせずに、選ぶこと。

朝、憂鬱な気分で目覚める。私は朝が弱いので、たいてい憂鬱だ。
そこでまず、朝が弱い自分を責めない。自分を責めれば、ただでさえ落ち込んだ気分がさらに落ち込んでいくだけだ。
かといって、無理やりポジティブを持ち出さない。まだ頭が起きていないのだから。1日の中で刻々と変化する気分を把握すれば、朝の気分の悪さは一過性のものだとわかる。だから、朝をなるべくやり過ごすようにして、頭の中を駆け巡る「やるべきなのにやっていないこと」をノートに書き出す。コーヒーを淹れる。多少すっきりとする。床を拭く。すっきりする。音楽を聴く。

行動のリストを一つ一つこなしてみる。

講座のおかげで、脳は機能が落ちるとネガティブを探すパトロールをし始めると知った。
だから、脳が展開するネガティブに打ちのめされたり無視したりする前に、脳の機能を上げることに集中する。小さな行動を積み重ねる。
そうやって気分を選んでいるうちに、思考が整ってくる。

あとは、黒い無意識から主導権を取り戻した自分がなんとかしてくれる。

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