あと20年。

人生100年時代というけれど、60歳ぐらいになったら、もういつ死んでもおかしくない気分になるのじゃないかと思う。

人間は、いつまで生きるかわからないから、将来の不安とかが出てくるわけで、60歳で死ぬと思えば、私の場合あと20年。そう思った瞬間に、何かとてつもない真理にたどり着いたような気持ちになり、何かがふっと、深く大きく、楽になった。

経済的に親元を離れて、自分でやっていかなきゃならなくなって20年。わたしは知らず知らずのうちにずっと、この先一体どうやって生きていけばいいのかわからない、どうすればいい感じに、貧乏に陥らずに生きながらえることができるのか、という漠然とした将来への不安に心がどっぷり浸かっていたみたいだ。

それがあまりにも当たり前になっていて、よく聞く「先の見えない生きづらい時代」という定型句にもピンとこなかった。生きづらい生きづらいっていうけど、いったいどういうこと?と。ピンとこなかったのは、それがわたしにとってデフォルトだったからだ。

それでも20年、なんとかやってきた。そして、あと20年、これまでと同じ期間、やっていければ、わたしの人生は終わる。それならなんとかなりそうじゃないか。漠然とした将来への不安が、明確な頑張る期間に変わった。

そしてきっと、そこまでいければ、そこから「もうあと20年」ってなっても、へっちゃらなんじゃないかと思う。ああ、大丈夫でしょって。

心がどっぷり浸かっていた不安は、安心の土台になった。そうしたら、違う世界が見えてきた。どうせなら、楽しく過ごそう。生きるとか重いことじゃなくて、ただ「よくあろう」「よく過ごそう」と。

今日も、過ごしてる。いつまで続くかわからない、人生の中の1日を。

今の、過ごしている。これからの時間の中で、一番若い一瞬を。

わたしにとっての「よくある」「よく過ごす」こととは、生み出すこと。

未来のために、必要なモノゴトを。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?