もう寝そべることのできない畳の上で

途方もなく暑い、夏があった。

あの夏に、あの部屋で起きたすべてのことを、
わたしは生涯、心に抱えて生きていく。

それだけは、決めている。

うだるような湿った海風が染み込んだ畳があった。
痛いほどくっきりと分かれた、生と死があった。
肌と心がいつも火照っていた。
毎日が、冒険だった。

朝が来て、太陽が昇り、私たちを照らし、
夕方オレンジ色の影をつくったら、次は夜がおりてくる。
ただ繰り返す。雨がふる。音を聞く。雨に打たれる。湿った砂の上を歩く。
その間ずっと、波の音がしていた。
時に風に煽られた水の粒が、畳の上までやってきた。
潮の濃い匂いがした。血のような、命の匂いだった。

1回、また1回と、海に入るたびに、
人生が塗り替えられていくことを確かに感じていた。

10代の終わりに脳や肌、全身の細胞を通して起きた変容は、
DNAを書き換えてしまったかのように、
その後もずっと私の人生をかたちづくっている。

ただ生きるために生まれて来たのに、
人間は何かと忙しい。
精神は、幸せのドラマや、不幸のドラマを求めて彷徨う。
海とのまぐあいは、そのドグマからわたしを解放した。

時は流れ、全ては変わっていく。
潮風やわたしたちの汗をたっぷり吸い込んだあの畳はもうないし、
ベースキャンプだったお店も建て替えで景色が変わった。
確かにあった笑顔も筋肉もどこか遠い都会へと吸い込まれていった。

あの日、
「海に入ると、感情が豊かになるよね。」
そう呟いたときに、恋が始まった。
わたしの、写真には映らない美しさに気づいた人からの申し出によって。
その恋もまた、どこか都会へと吸い込まれていった。
わたしたちは、わたしたちの関係性の中に、都会での日常にどうしたってこぼれ落ちていく
あの日々的な何かたちを必死で閉じ込めようとしていたのかもしれない。
でもそれは、1回、また1回と海に入るたびに人生が塗り替えられていったのと同じように、
1日、また1日と都会の社会で過ごすうちに薄れていった。
あっけなく。まるで何もなかったかのように。

必死に守っていたものがとうとう消えた頃、その恋も終わった。

あれはなんだったのか。
あの、わたしたちが守ろうとしていたものは。

わたしは、もうなんだかわからなくなってしまったそれらとまだ一緒にいる。
もう元には戻らないと知りながら。

だからいいんだ、という人がいる。
若い熱情だから。いっときで通り過ぎるから美しいんだと。
その儚さこそが青春なのだ、と。

でも、わたしはその先が見たい。たったひとりでも。
わたしという、海でDNAを書き換えられた一人の人間が、
その頃に全身を浸していたあの幸福感の正体を。
通り過ぎたあとも、なるべくあの幸福感に忠実に、
ごまかさないで、本質に降りていったらどうなるのかを。

もう一度あの場所にめぐり合うことができるのか、それはわからない。
もう巡り会えないのだろうとどこかで思ってしまっている。
けれど、巡り会えると信じたい。巡り会えると信じて生きていきたい。

その場所はきっと、もっと豊かになっているんだ。
大切なものはそのままに、誰かを包めるような、もっと豊かで大きなものに。

わたしはずっと守っている。
力が足りなくて自分のことしか守れないけれど、
あの頃に見つけた大切なものを、自分の真ん中にしっかり守っている。
それは時にあまりにも軽くて心もとないし、時に不用意に重い。

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