わたしが結婚できない理由

私の母は、幼稚舎から慶応で成績が非常によかったので、当時女子学生が3人しかいなかった(!)慶應義塾大学の経済学部に内部進学しました。

ですが、女の子だからという理由で大正生まれの祖父から就職を反対され、家事手伝いとなって24歳のときに私の父とお見合い結婚をしました。

「女の子が会社勤めなんかしたらロクなことがない」と祖父は言ったそうです。当時は当たり前のように起きていたのであろう、最も身近な家族から受けた性差別です。

それがきっと悔しかったからでしょうか。

母は私に、一度たりとも「結婚しなさい」と言ったことはありません。

「女の子らしく」とか「そんなんじゃお嫁に行けない」といったジェンダープレッシャーをかけたこともありません。

そしてわたしは、その通りに、あまり自分を女性だと意識することなく育ちました。結果として「男性を立てる」という、お酌に象徴される行動習慣も思考回路が皆無の女になりました。

母は「女の子らしく」ではなく、「できる人間であれ」というプレッシャーで私を育てました。母が理想とした女性像は、「才色兼備」です。それはおそらく、海洋博のコンパニオンに選ばれるほどの美貌と慶応の経済というブランド学歴を併せ持っていた、若き母そのものでした。

実際に勉強が非常によくできた私は、その理想像を疑うこともなく育ちました。ただし、わたしは母ほどの美貌は持ち合わせていません。それは、母もよくわかっていたと思います。そのため、「才色兼備」の「色」は宙に浮いたまま、ひとまずできたほうの、偏差値基準の人間観の中で10代中盤まで私の人格形成が行われました。

ここまでですでに、私が結婚などできないことは自明のように思います。ところが、コトはそれだけではすみません。もうひとつ、大きな男性疎外要因が両親の関係性です。

わたしはずっと、母から父の文句を聞きながら育ちました。子どもは、親に対して無償の愛を持っています。無償の愛の対象である母の味方をするということは、母と同じ様に父を嫌うということです。父のいいところではなく悪いところに注目し、あげつらね、父を嫌う理由をたくさん見つけるということです。それはまた、嫌っている相手から好かれるわけがない。つまり、男性から愛されるわけなどないという意識を定着させていくことと同義でした。

嫌っている相手から好かれるわけがない。嫌っている相手が喜ぶことをする理由はひとつもない。それに、女性だから男を立てるなんてもってのほか。だってわたしのほうがデキるんだから。デキることが一番大事でしょう?デキるわたしがなぜ、デキない男を立てなきゃいけないの?嫌いなのに。

男を好きになるには、わたしよりデキることが絶対に必要。デフォルトは、男嫌い。わたしより圧倒的にデキる部分がある時にだけ、好きになる可能性が出てくる。それで好きになっても、デキないところを発見するとすぐに冷めてしまう。

そういうふうになりました。


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