もう少しここにいてみようと思う

毎日死にたいと思っていた頃がある。

今でもよく、ある。

朝起きて、「ああ、死にたい」「生きるのが面倒くさい」と、虚ろな目で天井を見上げ、何もする気の起きない自堕落な自分を呪い、嫌悪し、卑下し、寝返りを打ってその感情をごまかす。

わたしのような、結婚がほぼ無理ゲーと化し、心から好きで信頼できる彼氏も友達もおらず、仕事も才能もなんとか存在できているレベルのアラフォー女にとって、この世は本当に生きづらい。

生きているといろいろなことが起きるが、そのどれもにもう既視感しかなく、何が起きてもだいたい結果は決まっている。何か想像を絶するような嬉しいことや爆発的にいいことは起こらない。慣れ親しんだ、イケてない自分の範疇の、だいたい想像がつくモノゴトしかもう、起こらない。

それなのに、ただ寝て起きて食べてクソしているだけでお金はかかるし消耗する。まるで生きている意味がない。はやく死にたい。

幸せというかたちのないふわふわした場所にいける電車に私はとっくに、乗り遅れた。そんな電車があると、なんとなく聞いてはいたけれど、なんだかとっても混雑していて切符を手に入れるだけで大変そうな話だった。だからスルーした。見て見ないふりをしてきた。いや、本当は少しは乗ろうとしてみたけれど、群衆の勢いに気圧されてすごすご退散してきたんだ。

その電車に乗れたかもしれない時期に、わたしはずっと死にたいと思っていた。そしてある日、いいかげんにしろよ、と自分に凄んでみせた。どろどろの思考が渦巻いていたドツボの底がとうとう抜けて、「死のうと思えばいつでも死ねるし、死ぬぐらいならなんでもできる」と、スコンと思い至った。

それ以来、死にたいと思うたびに、「死のうと思えばいつでも死ねるし、死ぬぐらいならなんでもできる」という魔法の言葉を自分にかけることで、希死念慮を一瞬で晴らすことができるようになった。

「死のうと思えばいつでも死ねるし、死ぬぐらいならなんでもできる」

「死のうと思えばいつでも死ねるし、死ぬぐらいならなんでもできる」

「死のうと思えばいつでも死ねるし、死ぬぐらいならなんでもできる」

それは、もう少し優しい言い方をするならば、「もう少しここにいてみようと思う」ってことなんだ。

もう少し待ってみよう。どこにいても誰と何をしていても、すぐに嫌になってここではないどこかへ行きたくなるけれど、もう少しここにいてみよう。

からだという不恰好で手間のかかる着ぐるみを着て地上に生まれてきた。もうとっくに嫌になっていて、はやくここではないどこかへ行きたいけれど、もう少しここにいてみよう。

何もする気が起きなくても、世界中のみんながわたしなんか置いてけぼりにしているようでも、もう少しここにいてみよう。

何か、ワクワクすることが起きる。そのタイミングを、誰かが、何かが、見計らっているのかもしれないから。



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