スリケンとは 〜ジツとカラテの狭間〜

ニンジャの持つ特異な能力として、スリケンの生成がある。

スリケンとは、ニンジャが生成する伝説の投擲武器であり、スリケン生成はほぼ全てのニンジャの持つ能力である。

これはゲームのデフォルトの遠距離攻撃手段などにインスパイアされたものであろうが、果たしてそれだけなのだろうか。

"「Wassyoi!」息を吹き返したニンジャスレイヤーは、ドラゴン・ゲンドーソーとともにアースクエイクの周囲を猛烈な速度で回転した。あまりの速さに残像が生まれる。スピードはエネルギーを、そしてエネルギーはスリケンを生み出してゆく。ニンジャスレイヤーの手にスリケンが戻った。"

ニンジャはしばしば虚空から武器や装束を生み出し、利用する。これは単なる見栄えのするギミックではなく、これら武器や装束は紛れもなく彼らニンジャの一部であるということを意味している。

我々人類はなぜ他の動物に比べて優れているか。これは言語や文字を通じて自らの経験を他者に伝えることができるとともに、自分が作成した道具を利用することにある。さらにこれら道具を他者に移譲することで、自分が積み上げてきた現実への影響力、つまりはカラテを他者に移譲することができるのだ。

例えば人間が刀を鍛え上げる時は地面に埋まっていた鉱石から鉄を抽出し、数々の手順を踏んで精製する。しかし、この刀を振るう人間は必ずしも刀鍛冶である必要はないのだ。これがカラテの他者の移譲である。

また、武器や服というのは自分の所属を表明するものでもある。民族衣装などを見ればわかるだろうが特異なコミュニティには特異なファッションが存在する。制服やサラリマンスーツを見ても、服とはしばしば実用性を超えて自らの所属を周囲に主張する道具なのである。

では、武器や装束を自分で精製するとはどういうことか。それは彼らニンジャがそれらコミュニティを自分の内に内在させているということなのである。この事実だけでも、「ニンジャとは多くの人間を繋ぎ合わせた存在である」という推論に繋げることができるだろう。

さらに、スリケンに見られる、投擲という攻撃手段は人類にのみ見られる行動であり、自らの一部を飛ばしての遠距離攻撃というのは、一部の毒蛇や虫の毒液噴射や、イソギンチャクの刺胞などにしか見られない。

つまりはスリケンを生成し、投擲する、というのは自らの一部を切り離して射出することで攻撃する、という人類から進化した存在であるニンジャにのみ許された行動なのである。


以前、公式マガジンは"カラテは内在する力であり、ジツは周囲との共感の力である”と触れられた。

では、スリケンはカラテなのかジツなのか?

"ニンジャは地水火風の精霊と繋がり、これを操る。つまり、己のカラテや周辺の環境要素を利用して、装束やメンポ、スリケンなどを作れるんだ。これは出来るニンジャと出来ないニンジャがいるんだけどな。ニンジャがスリケンや弓矢を弾切れせずに使えるのは、そういう事。" 

この言説によればスリケンは周囲との接続により精製されるものであり、そういう点ではジツと呼べるものだろう。しかし、自分から切り離すためにはまず自分の一部に取り入れる必要がある。

そこで思い浮かぶのがアナイアレイターだ。マスター・スリケンであるフマー・ニンジャのソウルをコントロールできなかった彼はスリケンを鉄条網として扱っていた。なぜあのような形状になったかと考えると、それは自分から生み出したスリケンを切り離すことができなかったからだと考えられる。

つまりアナイアレイターはスリケンをジツとして扱うことができず、内在したカラテとしてのみ使うことができたのだろう。

なので彼がネヴァーダイズで最後に放った巨大スリケンが彼が初めてスリケンを自分から切り離すことに成功した瞬間であり、”スリケン・ジツ”だったのである。

ジェノサイドは振り返り、慌てて倒れ込みながら呟いた。「何だ……そりゃあ」市民を隔てていた鉄条網がゾゾゾと音を立ててアナイアレイターのもとへ帰っていく。アナイアレイターの片腕の先へ。彼の手のひらの上には……ゴウランガ……あまりにも巨大な、一枚のスリケンがあった。「スリケン・ジツだ」


スシッ!スシヲ、クダサイ!