モータルとスリケン 〜コトダマ空間へのアクセスポイント〜

前回、スリケンを含む装束などの生成物はニンジャの一部である、という話をした。それでは、リボルバー・アンド・ヌンチャクのシェリフやネヴァーダイズでのシノブなどのスリケンを所持していたモータルにはどういう意味があるのだろう。

それを知るためには、ニンジャスレイヤー以外の作品におけるスリケン(もとい手裏剣)の扱いを知る必要がある。

具体的にはニューロマンサー及び指輪物語である。

星型が指を離れ、銀色に一閃して、壁面スクリーンの表面に突き刺さる。スクリーンが目醒め、でたらめな模様が隅から隅へと弱々しくまたたく。まるで苦痛の原因を振りほどこうとしているようだ。「おまえなんか、必要ない」とケイスは言った。【ニューロマンサー】

ニューロマンサーにおける手裏剣とは武器ではない。ケイスは物理的な攻撃手段を持たないハッカーであり、手裏剣を投げても敵を傷つけることは出来ない。彼にとって手裏剣とは非現実への憧れの象徴であり、幻想へのアクセスポイントなのだ。だから彼が冒険を終えて日常に戻る時に「おまえなんか、必要ない」と言って投げ捨てるのである。

この精神はニンジャスレイヤーにも受け継がれている。

スリケン/手裏剣とサイバーパンクは、切っても切り離せない関係を持っている。「ニューロマンサー」においても、手裏剣は非常に重要かつセンチメンタルなアイテムとして用いられた。あなたはモリィがケイスに贈った手裏剣を覚えておいでだろうか。私はあのシーンを思う時、情感が溢れ、少し泣きそうになる。手裏剣には、恐らく近未来世界における人の生き方を規定する無意識のエレメントが象徴されているのだ。【シュリケン・アンリーシュド】 

願わくは、このクソッタレの現実をズタズタに切り裂きたまえと投げ放った、あのスリケン。追い詰められ八方塞がりとなった彼女が、ヤバレカバレで投擲した、あのスリケン。シノブにはあれが、このオールド・オーボンの夜に、アノヨから弟が投げ寄越してくれた武器だったのだろうとしか思えなかった。誰に何を言われようと、彼女はその考えを曲げるつもりはなかった。なぜならシノブが、そう決めたのだ。そしてあの鋼鉄の星は、未だ自分の胸の中で熱を放っているのが解った。おそらくは、その記憶が続く限り、永遠に。シノブは弟と皆に礼を言い、立ち上がり、踵を返して、強い笑顔で涙を拭った。【第3部最終章「ニンジャスレイヤー・ネヴァーダイズ」トランスジェネシス】

モータルにとって、スリケンは武器にはなり得ない。けれども、ニンジャの一部であるスリケンは、確かにそこにファンタジーであるニンジャが存在していた、という証になる。そして、それを持っているということは非現実と現実が接続され、自分がわずかなりともその力を扱えるということであるのだ。

こういった、「そこにかつてあった幻想への憧れ、それへの接続」というものを扱ったものに指輪物語がある。

指輪物語において、エルフや力の指輪、玻璃瓶とはかつてあった輝かしい時代を思い起こさせるものの、いずれは消えていく光の残滓であり、そこへ接続することで勇気を奮い起こさせるものの、次第に自分も現実の存在ではなくなってしまうのである。だからフロドは故郷のホビット庄を捨て、最後に灰色港から西へ旅立たざるを得なかったのだ。

玻璃瓶がエアレンディルの光、つまりは金星の光を集めたものであるということとスリケンが「鋼鉄の星」であるという一致は偶然ではないだろう。

しばらくの間それは、重苦しく地を匍う靄を押し分けて射し込む一番星のようにかすかにおぼろげな光を放ちました。しかしその力が満ちてくるにつれて、またフロドの心に望みが育つにつれて、それは輝き始め、銀の焔と燃えました。あたかもエアレンディルその人がその額に最後のシルマリルを輝かせながら、天つ御空の沈日の径から下ってきたかのように、眩い光のそれは小さな芯でした。暗闇がそこから退くにつれ、まるで空気が明るい水晶の球と変わり、その中心に光が輝くかのようでした。そして光をかざす手は白い火にきらめきました。【指輪物語】

このように、スリケン、あるいはニンジャの一部を手にするということは自分も非現実、つまりはニンジャに近づくということであり、そこから力を得るということである。そしてそれは必ずしも悪いことではないのだ。これはネヴァーダイズにおけるシェリフやシノブ=サンの姿勢を見ればわかる。

けれどもニンジャと誤った姿勢で接続すればどうなるか、ということはスガモプリズンのシゲオ、あるいはカツ・ワンソーの一部である妖刀ベッピンを手にして暴走してしまったハガネ・ニンジャを見ればわかるだろう。

「ウワハハハ!ウワハハハハハハハハハ!俺はニンジャだ!ニンジャだぞ!」シゲオは他の囚人から剥ぎ取ったオレンジ色の服を頭巾状に巻きつけ、散弾銃を棍棒めいて野蛮に振り回す。彼の両目の瞳孔は開き、危険な底なしの狂気を提示する!「「「ニンジャ!アイエエエエエ!」」」逃げ惑う囚人たち! 【アンエクスペクテッド・ゲスト】

ニンジャを幻想、と言い換えれば我々人間は幻想、つまりフィクション、創作物にどう向き合うべきか、というボンド&モーゼズの考えを読み取ることができる。フィクションに呑まれることなく、必要な力だけを引き出して自分自身の手綱を握るというバランスこそが重要なのだ。

『これが最後のインストラクションだ、ケンジ・フジキド。ニンジャ・ソウルに呑まれるなかれ。手綱を握るのはおまえ自身、ほれ、このように。イヤーッ!』『グワーッ!』ニンジャ・ソウルの苦悶の叫びが脳内でこだました。やがて静寂が訪れた。【メナス・オブ・ダークニンジャ】

スシッ!スシヲ、クダサイ!