カラテ量保存則、その拡散と化石資源、エメツ

ニンジャスレイヤーは4部に入り、(正確には3部終盤から)様々な新たな設定が明らかになってきた。コトダマ空間とインターネットに潜む様々な秘密、そして4部になり加わった新要素、エメツである。


これらは単に物語の解像度を上げる新要素、つまり作者の都合によって付け足された専門用語、ジャーゴンに過ぎないのだろうか?

自分はそうではなく、ニンジャスレイヤーの物語が進むにつれて必然的に生まれたものだと考える。


これ以降の話の大前提として、自分は一つの仮定をしたい。それはニンジャスレイヤーにおけるカラテとは、精神、情報から物質に影響を与える力であり、その総量は人類の総人口によって決定される、というものである。

また一人一人の人間が持つカラテには大差が無く、急激に増大したり減少することは無い。これを仮に「カラテ量保存則」と名付けよう。

ではなぜ作中のニンジャは人間には無い強大なカラテを持っているのか?それは作中においてニンジャはモータルのミームを集めて誕生する存在である、とされているようにニンジャはある特定のコミュニティの人間がもつカラテを集積した時に生まれる存在だからである。

最もわかりやすい例がデスドレインとカンゼンタイであり、彼らは人間を喰らうことでどんどん強大になっていく。これはモータルの持つカラテを彼らが吸収しているからであり、これは「カラテ量保存則」と一致している。

オムラにおけるモーターガッタイやモーターオムラもこの例であり、オムラ社員の文字通り血と汗から作られた彼らはオムラ社員のカラテを吸収し、ほとんどニンジャと呼べる存在になっていたのである。(これはネコネコカワイイやユンコにも言えることだろう)

ニンジャソウル憑依者に関していうと、彼らは平安時代のニンジャが爆発四散した時に、彼らのカラテが消滅する代わりにキンカクテンプルに蓄えられたものだと考えられる。つまり、ソウル憑依者は太古にモータルによって生産されたカラテ資源を消費し、あたかもどこからともなく強大な力を得たように錯覚しているのである。


そして問題はエメツへと移ってくる。現在連載しているデジ・プラーグにおいてエゾテリズム=サンが多数のモータルを生贄にすることでエメツを生産している。これだけでも人間からエメツが生産されていることが明らかなのだが、なぜ物質的な資源としてこれが作中に登場したのか。

これは「誰にとっても価値がある」「現実に影響を与える」という要素を兼ね備えた存在を想定すると、どうしても化石資源になってしまうからである。

四部において忍殺の世界は広がり、ニンジャはどこにでもいる普遍的な存在になった。この時、作中の大前提としてカラテ、現実への影響力を「誰にでも扱える要素」にする必要があったのである。誰にとっても価値がある存在、と考えるとまず思いつくのはカネであるが、これは実は国家あるいはそれに類するシステムに依存している存在であり、現実に直接影響を持っているわけでは無い。忍殺風に言えば純コトダマ存在である。

だからかつて存在していたモータルからそれに付随する情報を消去し、現実への影響力という点のみを抽出するとどうしても化石資源、という形になる。それがニンジャスレイヤー4部におけるエメツ、という存在なのだろう。

エメツは化石資源である以上、有限である。作中ではほぼ無限に湧き出てくる、とされているが、おそらくそれは勘違いであり、過去のモータルが生産したカラテを消費しているに過ぎない。

ただしニンジャスレイヤーにおいてそういった資源の枯渇まで扱うかどうかは、これからニンジャスレイヤーというコンテンツ自体がどれだけ存続するかにも依存してくるだろう。(そしておそらく、「モータル」にウキヨといった非ホモ・サピエンス存在が加わるかにも依存する)

じゃあそもそもなんでカラテ量保存則が設定されたのか、というのは推測に推測を重ねることになってしまうのだが、一つはバトルものにおいて必ず避けられないインフレを防ぐためであろう。

「ニンジャは文明に寄生する存在である」という記述もカラテ量保存則を想定すればどういう意味であったかわかる。要はニンジャはカラテ食物連鎖における高次消費者であって生産者(光合成によってカロリーを生産する植物)ではないのだ。

つまりニンジャの総カラテ量は人類の総人口=文明の発展度合いに依存するものであるため、文明に寄生する存在、といってもまあ間違いでは無い。

さらには分裂した世界を繋ぎ止める役割をも果たす。本来十分な土地があり距離が離れたコミュニティが互いに無関心であれば、そもそも関わる必要がないのだ。そうなった場合は居心地はいいだろうが新たな物語も生まれない。それを防ぐためには、全く異なるコミュニティ同士の共通な関心ごとが必要となる。つまりは埋蔵資源だ。

そして情報、物語の複雑化を防ぐためでもあるだろう。カラテを他者に受け渡すためにはクラン、コミュニティを発展させる必要がある、つまりコミュニティが持つ歴史、物語を打ち切らずに延々と続ける必要がある。これはあらゆる長編作品が持つ欠点であり、一部のコアなファン以外は話についていけなくなるのだ。しかし、一度カラテがエメツになってしまえば全部の要素を覚えている必要はない。どれだけの長編作品もただの数字となる。様々な設定をリセットし、現実への影響力のみを抽出したときに残る存在、それがエメツである。


スシッ!スシヲ、クダサイ!