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アイアムザトリガー

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 空がこんなに青いとは。気球にのってどこまでも。切手のないおくりもの。モルダウ。と書かれた黒板に黒い革靴が飛んできた。パァン! とものすごい音がして、佐野はチョークを持っていた手で頭を覆った。
「んなもんロージアに決まってんだろ!」
 教室の前に躍り出た久保島が佐野を睨みつけながら言った。学ランの背中には「SLAVE」の刺繍がある。LUNA SEAのファンクラブの名前である。
「よく考えろよ、このアマ。高校生活に三回しかねえ合唱コンクールでダセえ曲歌ってらんねえんだよ!」
 教室は静まり返っている。あんまりだわ、と佐野は思った。決して積極的でないクラスメートたちから一時間かけて候補曲を絞り出し、どうにか多数決を取ろうとした矢先の革靴パァンである。学級委員長なんて安請け合いするんじゃなかった。恐怖で足がすくみ今にも泣き出しそうになりながら、震える声を絞り出す。
「久保島くん、落ち着いて。ロージアは名曲だけど、これは合唱コンクールの選曲だから……」
「だからこそだろ!」
「ピアノと合唱だけでロージアを再現するのは……」
「ああ?」
 凄まれながら黒板に目をやる。モルダウの「ダ」のところに革靴が突き刺さっている。つまさきの尖った久保島の革靴。
「クラスメートの希望を叶えるのが学級委員長の役目だろ。吹奏楽部のやつらだっているんだからよ、どうにかしろよ」
「……小杉さん、内山さん、磯部さん、あなたたちの演奏でどうにかなるかな?」
 吹奏楽部でコントラバスを担当している小杉が青い顔をして言った。
「ベースのパートは練習すればどうにかなると思うけど……でも……」
「でもなんだコラ」
「私がJになるってことだよね……?」
「だコラ、Jじゃ不満だってのか」
「不満じゃない、不満じゃないけど」
「ベースはJに決まってんだよバカ野郎」
「うん、それはわかってるよ、わかってる」
「じゃあなんだよ」
「私がJだとして、そしたらあのギターソロ前の台詞パートも私がやらなきゃならないってこと?」
 久保島は意表をつかれた顔になった。
「あの『By the time I knew I was born』から始まる例のあれも私がやるのかな? 男子の声の方がよくない?」
 ロージアはギターソロ前の間奏にベーシストのJが英語で独白する台詞のパートがある。ライブでもハイライトとして盛り上がりを見せるロージア特有のパートである。
「小杉ィ、てめえ……」
「ヒッ…………」
「……頭いいな」
 恐怖心から解放された小杉はその場に尻もちをつきそうになった。その時、教室のうしろから真っ青に髪を染めた男がゆらゆらと教壇に近づいてきた。
「確かにあれは男子の声の方がいいだろ。おれがやってやるよ」
 学ランの背中に「TRUE BLUE」と刺繍が入っている。LUNA SEAの四枚目のシングルのタイトルである。
「倉科」
「倉科くん……」
「安心しろよ委員長。声質の問題もあるが、あの英語の長台詞はどう考えてもお前らには荷が重い……その点、おれは英検五級持ってるからな」
 右手をパーの形にして「五」を表現しながら倉科が言った。
「そうか……悪ぃな倉科。だが、おめえなら安心だ」
「ノープロブレムだ、兄弟」
 拳と拳を合わせて見つめ合っている久保島と倉科に割り込むように、今度は小太鼓の内山が口を開いた。
「私も気になることが……」
「なんだてめえ。ゴチャゴチャうるせえぞ、真矢コラ」
「真矢……? え、私……?」
「真矢じゃ不満なのかテメエ、太鼓は真矢だろ」
「不満じゃないです……ごめんなさい、でも」
「いちいち突っ掛かってくんじゃねえ、殺すぞ」
「殺さないで……ただ『この世界』の部分はどうしたらいいのかなって……」
「ああ?」
「あの……一番のAメロの最後の『この世界』の部分は囁くように歌われてるよね? 合唱コンクールだと不利かなって……」
「…………」
 ロージアの一番のAメロに「夢のないこの世界」という歌詞があり、「この世界」の部分はカヒミカリィのようなウィスパーボイスで歌われている。合唱コンクールの評価軸のひとつに「高校生らしい溌剌さ」があり、声の大小は時に勝敗を左右する。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
「内山ァ……」
「殺さないで…………」
「……頭いいな」
 内山は涙目になりながら久保島と小杉を交互に見やった。小杉は「よかったね、よかったね(殺されなくて)」という気持ちを込めて内山を見つめてウンウン頷いていた。その時、教室の中央から声があがった。
「確かに一番のAメロの『この世界』はスタジオ音源だと囁くような歌い方だ……だが、ライブ音源はどうだ?」
 学ランの右腕に「NEVER」左腕に「SOLD OUT」と刺繍を入れた男が立ち上がって言った。「NEVER SOLD OUT」はLUNA SEAが東京国際展示場で行った収容人数無制限(チケットが「決して売り切れない」)のライブタイトルである。
「慈統」
「慈統くん……」
「ライブの時のRYUICHIはしっかり声を張って『この世界』を歌ってるよな……合唱コンクールはライブみたいなもんだ……『この世界』もライブ音源と同じく声を張っちまえばいいんじゃねえか?」
 慈統は教壇にあがり黒板に突き刺さった靴を引っこ抜いて久保島に放り投げた。この人ずっと片足が靴下のまま怒ってたんだ……と佐野、小杉、内山はその時になって気づいた。
「慈統、おめえがいてくれてよかったよ。まったく大したアイディアマンだな、お前は」
「まあな。喧嘩も合唱コンクールもアイディアが大事だからな」
 慈統の肩につかまりながら靴を履き、つまさきをトントンしているとバイオリンの磯部が恐る恐る手を挙げた。
「私もひとつ気になることが……」
「INORANは黙ってろ!」
「え、INORAN?」
「おめえがSUGIZOさんなわけねえだろ! バイオリンだからって油断すんなコラ!」
「ご、ごめんなさい、油断してました……INORANでいいです……」
「その言い方も語弊あんだろ!」
「すみません、INORANで嬉しいです……」
「落ち着けよ、久保島。INORANの話も聞いてみようぜ」
 郷ひろみのような動きで学ランの裏地(色は青)を素早く見せたり隠したりしながら倉科が言った。磯部は恐る恐る口を開いた。
「……曲の最後でサビが二回繰り返されるところ、一回目のサビの最後『花びらのように』と二回目のサビの最初『揺れて揺れて』がカブるよね? あそこはどうしたら……」
「磯部ェ……」
「…………」
「……頭いいな」
 磯部は恐怖のあまり少量の小便を漏らしていたが、誰にも気づかれないようにそれをスカートで隠していた。教室のシャッターカーテンに指を差し込んで、隙間から外を眺めながら慈統が言った。
「それも『この世界』の問題と同じだな……ライブでは『花びらのように』の歌詞を『花びらなのか』に変えて歌うことで速やかに『揺れて揺れて』に繋いでいる。それでいいんじゃねえか?」
 でも、と磯部が異を唱えた。
「確かにそうだけど、あれはRYUICHIの歌唱力だから成せるわざっていうか……『花びらなのか』と『揺れて揺れて』の間には全然間隔がないよね? 素人の私たちにあの息継ぎは難しくないかな……?」
「てめえ、慈統のアイディアにケチつけようってのか!」
 磯部を威嚇しようと久保島が靴を脱ぎかけたところで、それを遮る声があった。
「落ち着けよ、久保島。INORANが言ってることはもっともだ。おれたちに RYUICHIと同じ歌い方は無理だ」
 声のする方から男が一人歩いてきた。学ランの胸に「RAYLA」の刺繍がある。LUNA SEAがまだLUNACYと名乗っていた時代のRYUICHIの古い名義である。
「石動」
「石動くん……」
「石動、何か考えがあるのか?」
 石動は磯部にハンカチを放り投げ、そして言った。
「お前らよく考えろよ。これはライブじゃねえ、合唱コンクールだ。クラスをふたつのグループに分けて『花びらのように』と『揺れて揺れて』を手分けして歌えばいいだけだろ」
「!」
 石動のハンカチに小便を染み込ませながら磯部が答えた。
「確かにそれならいけそう……」
「グループAは『悲しいほど鮮やかな花びらのように』の『に~~』で伸ばして『揺れて揺れて』は歌わずその間に息を吸って『心が』から再接続、グループBは『悲しいほど鮮やかな』で切って『花びらのように』は歌わずゆっくり息を吸って『揺れて揺れて』から入ればいい」
「おお……」
「おお…………」
 全員の不安そうだった顔がみるみる晴れやかになった。
「石動ィ……」
「石動ィ!」
「石動ッッ!」
 久保島、倉科、慈統は石動に勢いよく抱きつき、そのまま四人はスクラムを組んでくるくる回った。小杉、内山、磯部は何か安堵するような気持ちでそれを眺めていた。委員長の佐野は黒板に書かれた文字を全て消し、白いチョークで「ロージア」と書いて丸で囲った。チャイムが鳴り、給食の匂いが漂ってきた。

*数日後*

「アッ、プィッ、キュッ、マアー」
「アムザトリーガー」
「アッ、プィッ、キュッ、マアーー」

校門の外から校舎を見上げながら、土屋が広瀬に話しかけた。
「おいなんだ、この不気味な歌は」
「ロージアっす」
「あ?」
「ロージアっす」
「ロージア?」
「知らないんすか?」
 土屋の頬にはマジックで「B-T」と書かれている。言わずと知れたBUCK-TICKの今井寿の頬に刻まれた文字である。毎朝、鏡越しに左右の逆転を意識しながらそれを書き込んでいる。
「土屋さん、BUCK-TICKしか聴かないから知らないんでしょ? LUNA SEAっすよ、LUNA SEA」
「知らねえな、そんなバンド。それより久保島ってやつはどこにいる?」
 西校に久保島という生意気なやつがいる。その噂を聞いて土屋は広瀬をつれて西校までやってきたのである。もちろん久保島をシメるためである。
「あそこの頭悪そうな三人組に聞いてみますか」
 駐輪場にたむろしている倉科、慈統、石動を見つけた広瀬が言った。
「なんだ、あいつらの学ラン」
「なんか書いてありますね。TRUE BLUE? NEVER SOLD……なに?」
「頭おかしいのか」
 土屋と広瀬に最初に気づいたのは石動だった。学ランのボタンのデザインが違うことで他校の生徒だとすぐにわかった。
「おい、なんだお前ら。人の学校に勝手に入ってくんじゃねえよ」
 どこか自分たちと同じ匂いがする、と石動は思った。土屋が言った。
「久保島ってやつを探してるんだけどよ。お前ら知らねえか?」
「お前らがどこの誰だか知らねえけどよ、久保島はいま練習中なんだよ。そっとしといてやってくれや」
「ああ? 何の練習だそりゃ」
「ロージアだよ、聞こえるだろ」
 歌声の方を指差して倉科が言った。
「合唱コンクールがあってな……いま久保島を怪我させるわけにいかねえんだわ」
「合唱コンクールだあ? おめえらバカなのか?」
「バカはてめえだろ、なんだそのB-Tって」
「ああ? BUCK-TICKナメてんのか? おめえらこそなんだその学ランは、RAYLA? 矢沢あいの読み過ぎかてめえパラダイスキスかコラ」
「あ?」
「ああ?」
 倉科が立ち上がって青い裏地を孔雀のように広げる。慈統はアイディアを練り始める。
「やっちまうぞ、てめえ」
「やられんのはてめえらの方なんだよ、おい広瀬」
「ウッス」
 そう言うと広瀬は両手の人差し指を突き立てて左右のこめかみに当てた。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 石動が広瀬を見下ろしながら言った。
「なんだこいつ、ドラゴンボールかよ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
 やがて広瀬の髪が小刻みに震えだし逆立ちながら長く伸びた。見上げるほどの高さになったそれはBUCK-TICKのドラマー、ヤガミトールの髪型を髣髴とさせた。
「な、なんて髪型だ……」
「こんな髪型のやつに勝てるわけねえ……」
 倉科は腰を抜かし、慈統は開いた口が塞がらず、石動はうんこを漏らしていた。
「行け、広瀬」
「久保島の前にまずは貴様らから血祭にあげてくれるわ。死ねい!」
 広瀬の髪が三又に分かれ、それぞれが稲妻のように倉科、慈統、石動に襲いかかった。その時。
 パァン!
 とものすごい音がした。鼻水を垂らした三人が音の方を見上げると、土屋の額に黒い革靴が突き刺さっていた。
「久保島!」
「久保島ァ!」
「てめえらどこ校だ? ダチに手ぇ出したら容赦しねえぞ!」
 久保島が音楽室の窓から飛び降りるのが見えた。佐野、小杉、内山、磯部が心配そうに見下ろしていた。
「貴様が久保島か! オレは土屋のようにはいかんぞ!」
 広瀬は土屋の死体に髪の毛を突き刺して養分を吸った。パンパンに肥大した筋肉が学ランを突き破り、上半身裸になって象のように巨大化した。残った革靴を手に久保島が広瀬に飛びかかると、戦闘開始を告げるイントロがシャンシャンデデッデーーと鳴り響いた。

https://www.youtube.com/watch?v=DRLkiX-NZzE


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