見出し画像

「池田清彦原論」で学んだこと

ここでは #エッセンシャルマネジメントスクール  とは何かとか、その中の単科コースである池田清彦原論とは何かについての説明をしようとは思わない(それらについて知りたい方は、ホームページをご確認ください)ので、そのあたりの説明は全て割愛しますが、2020年10月の約1ヶ月にわたって開講された「池田清彦原論」に参加して、私が何を学んだのか、その概略を書き残しておこうと思います。

1 私の学びの目的

上では「説明しない」と書きましたが、あまりにも何も書かないのもなんなので、少しだけ。「池田清彦原論」の目的は、「池田先生の根底に流れるものを「原論」として理解、その「あり方」を学ぶ」こととされていました。

私はたまたま今年の5月の連休中に、池田清彦さんの『生物にとって時間とは何か』を読んで、「これはすごいものを見てしまった」と衝撃を受けていたので、この機会に、池田先生がどのような構造を脳内に持って、どのように世の中を見ているのかを学び、その学びを自分なりに言葉で整理し、さらにそれを今後の自分にどのように生かしていくかを具体的に整理したいと考えたのでした。

2 講義概要と私の学びの概要

講義はまず事前課題図書を読んで、そのまとめを「スクールタクト」上に提出したのち、zoomで全4回、池田先生ご本人のお話とそれに対する参加者の質疑応答がなされる形で進んだのですが、「zoomでありがたいお話を頂戴しました」で終わることなく、毎講義終了後1週間以内にそこから得たリフレクション(最終回終了後には修了レポートも)を「スクールタクト」上に提出し、さらにそれを元にして、参加者同士がスクールタクト上で意見を交わし合い学びを深めるという一連の流れで進みました。

池田先生のお話は多岐にわたる内容だったので、以下はあくまで私の中に強く残った学びの概要ということになりますが、それぞれの回における私的概要は次のとおりです。

【第1回講義】

第1回の講義では「理論をつくるとはどういうことか」について学びました。そのポイントは次のとおり。
① 使える(意味のある)理論は、自分に立ち現れている現象をうまく説明できる理路を、自分の頭で構築することによって生まれる。
② これを生み出すには、現象を虚心に観察し、そこから帰納をし、構造を言語化するというプロセスが必要。
③ そのプロセスは人間の持つ「ざっくり力(同一性の構築)」の発揮に他ならない。

【第2回講義】

第2回の講義では「恣意性(自由に思うままにあること)の権利を侵害しない」ことの重要性を学びました。重要なポイントは次の2つ。
① 私は他人の恣意性を侵害しない限り、自由にいていい。
② また、他人に自分の恣意性を侵害される筋合いもないので、そこからはきちんと逃げることが肝要(間違っても我慢する義務はない)。

【第3回講義】

第3回の講義では「分散的なあり方」の重要性について学びました。
たった一つのシステムに適応せねばと思い込むことなく、そして、一人でもなんとか生きられるような才能、努力、矜恃をこっそり育もう(金銭的セーフティネットは持ちつつ、お金と関わらないところで理論やアートを育むとか)ということを思った回でした。

【第4回講義】

第4回の講義では、①自分の知覚の限界を謙虚に認識した上で、②自分の頭で考えて自分で試行錯誤して納得し、思うに任せない現実と折り合いをつけながら、③先人が積み重ねてきた「表現の世界」から「宝」を発掘し、その叡智を自分の頭にインストールすることの大切さを学びました。