見出し画像

矢崎弾5灯台

矢崎弾の本名は、神蔵芳太郎である。その実家は佐渡の両津港からバスで十分ほどの場所にあり、実家の近くに「矢崎彈」と刻まれた墓石のならぶ神蔵家の墓地がある。
矢崎弾というペンネームの由来は、イギリスの17世紀の詩人ジョン・ダン(John Danne)からつけられたとするのが定説になっている。「矢崎」の方は、同居人矢崎貞子からつけられたと松田さんは推定する。ペンネームのはじまりと思われる『三田文学』に書きはじめた1932年に矢崎は二十六才になっているから、そのときすでに貞子をパートナーとしていても不思議ではない。
しかしなぜ結婚せずペンネームに彼女の名を刻印したのか。山本藤枝さん(2(注5)参照)の話では、貞子の家には別の姓を掲げる表札があり、貞子はその人物の妾だったらしい。一緒にお話をうかがっていた山本和夫さんがその話を否定した記憶が私にはない。もし貞子が囲われていたことは事実で、たとえば神蔵芳太郎の世話をしていたとすれば、結婚のかわりに名前をともにした可能性が考えられる。
それにしても異様なのはやはり「彈」の方だろう。石川達三がかれの思い出を語るとき、フィクションの人物ではない、とことわりを入れるのも無理はない(注1)。
ジョン・ダンは1631年に没した詩人であり宗教家である。”「誰がために鐘は鳴る(for whom the bell tolls)」および「なんぴとも一島嶼にてはあらず(no man is an island)」というフレーズで知られている ” (ウィキペディア ジョン・ダンの記事)(注2)。
この英国詩人にはよく知られた特徴的なふたつの顔がある。ひとつが自由恋愛に生き性的な暗喩を用いるエロティックな詩人、もうひとつはイングランド国教会の司祭である。矢崎弾が前者に共感するのは当然と思われる。後者についても、かれがどのように考えていたかはわからないが、佐渡両津港のすぐそばに生家のある北一輝(1883-1937)が初恋の女性に聖書を贈ったと言われており、キリスト教は矢崎の手の届くところにあったはずである。
しかし松田さんは、ジョン・ダンが日本に紹介されるのは1934年(昭和9年)で矢崎の『三田文学』デビュー(1932年)が先ではないか、初めからジョン・ダンを意識してその名にしたかどうかは不明、としている。ジョン・ダンは、T.S. エリオットの「形而上詩人」(1921)などで20世紀に脚光をあびた(滝沢博 2009)。このエリオットによって矢崎はジョン・ダンの詩に触れたのかもしれない。だが、矢崎の英文学への関心の度合いはよくわからない。かれの卒論は「高山樗牛論』、当時を回想した文章でも英文学を語ることはなく、その後かれの評論の中でそうした英語圏の作家への言及はあまりないように思う。ペンネームの定説には、今のところ案外に信憑性がないのだ。

松田さんの『矢崎弾とその時代』にはないが、私は当初からペンネームの由来は佐渡の地名ではないかと思っている。佐渡の北端には弾(はじけ)崎があり、少し南下した場所が矢崎である。内海府線のバスに乗って1時間以上したところから浜へ降りていくと矢崎神社があり、私は過去2回ほどここを訪れた。しかし弾崎を訪れたことは一度しかない。灯台があることは知っていたが遠くから眺めただけだ。この灯台は、各地を転々とする灯台員夫婦を主人公にした木下惠介『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)の第二部冒頭の舞台になり観光の名所となっている。
主人公たちは弾崎で1941年12月8日、いわゆる太平洋戦争、米英蘭との開戦(注3)を迎える。映画は佐渡おけさが流れ、開戦のバンザイ三唱、「露営の歌」が流れ、若者の喧嘩のシーンになる。その若者が上司にあたる主人公に喧嘩をしたことを叱責され、理由を尋ねられると、喧嘩の理由は非国民だと言われたこと、「兵役逃れのために灯台員になったと言われた」と答える。それを聞き主人公も怒って二人で喧嘩に向かうのだが、最初はいさめていた妻が、「しっかりやってらっしゃい!」と声を上げ、主人公も「オッケー!」と答える(しかし喧嘩の相手は宴会の最中で、主人公はお酒をすすめられて酔いつぶれてしまう)。
この弾崎灯台は、1919年建設された。1915年12月に、北海道へ向かう松島丸という船が弾崎沖の岩場に乗り上げ30人以上の犠牲者が出た。そのために造られた灯台だという(注4)。映画が12月開戦時の舞台にここを選んだのは、それを踏まえてのものだと思われる。
私は矢崎のペンネームにふさわしいエピソードだと思う。

(注1)「私は遠い昔の記憶を辿りながら矢崎の事を書き残して置きたい。架空の人物ではない。」「矢崎弾の話」(石川達三1979)
(注2)翻訳は、壺齋散人「English Poetry and Literature」の「ジョン・ダン:詩の翻訳と解説」で読むことができる(”誰がために鐘が鳴る” https://poetry.hix05.com/Donne/donne13.bell.html)。
(注3)字幕には「十二月八日/帝国米英に/宣戦を布告」
(注4)「地理の部屋と佐渡島」https://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/e/69d3b77c49b999903c38a35542e24a68/?st=1

石川達三『小の虫・大の虫』 1979年 新潮社
滝沢博「エリオットのダン評価はなぜ変わったか ーー多様から統一へーー」2009年『高岡法科大学紀要』第20号
松田實「佐渡出身の文芸評論家 矢崎弾について」『佐渡郷土文化』73号 1993年
高橋正平『ジョン・ダン研究』 2017年 三恵社
浮田典良他『日本地名百科事典』 1998年 小学館

※写真は松竹株式会社https://www.shochiku.co.jp/cinema/database/03102/より


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?