先が見えない辛い10年間を乗り越えて待っていたことは、想像できなかった新しい自分その①

今日は自分の20代のころの10年間を文章にしてみようと思い投稿してみました。話が超長くなるのでとりあえず第一弾としてアップします。

私は小さい頃から演奏家になるのが夢でした。

大学入るまでは自分で言うのもなんですが、

自分が描く道へと割と順調にきていたと思っています。有名な先生に師事し、コンクールに受賞し、とにかくその先生についていけば確実に演奏家の道へいけると私もそう、周りも期待してくれて全力でサポートしてくれていた。だから、私はその道を信じて進んできたのです。

大学を入ってからも弾き続きこのままどんどんコンクールにチャレンジしたり、色んな楽器の方とコネクションを作って演奏会沢山やっていきたいなあ、と夢と期待に満ち溢れていましたが、まさかの大学に入ってから大きな挫折をします。

大学に入ってからはレッスンで求められることが大きくかわり、厳しいレッスンに堪えるので精一杯、以前は厳しいレッスンでも成長を感じられたが、停滞期に入り、一向にピアノが上達しない、そんな中周りがどんどんコンクールや留学にチャレンジしていっているのに、自分はコンクールすら受けさせてもらえず、(成績は上位に入っていたのにも関わらず)そういった環境に精神的にも体力的にも苦しく、ピアノを続ける意味を完全に見失ってしまいました。せっかくのチャンスを潰されて意味がないから大学を辞めて、先生を変えたい、なんなら違う道でやっていくために大学も普通大学へ行こうかと何度も思ったことか、、。だけど、やっぱりピアノ以外にやりたいことがないのに辞めることは親にも元々習っていたピアノの先生にも大反対され、途中病気で入退院をしながらもなんとか卒業まで頑張ることにしました。

完全に心も体力も死んでいましたが、卒業の最後の最後くらいは先生に認められたくて

卒業演奏会は2番の成績、修了演奏会はトリをかざらせていただくことになりました。

しかし、すぐにわずかながらにあった希望や夢も完全に消えました。それは先生からの最後のレッスンでの

決定的な一言、

「今のあなたの演奏では1円もとれません。指導者も向いていない、あなたみたいな人が指導者になってほしくない」

実は私、先生に内緒で大学在学中にヤマハのグレードを一気にとっておいたのです。

このまま卒業しても本当に何も残らなくなってしまうから。演奏家は難しくてもせめてヤマハの指導者の資格はとっておいて今まで勉強してきた意味を作りたい。でも、そのことがバレて全力で否定してきた。

一体、今まで頑張ってきたことって何だったんだろう、

なんでことごとく先生は可能性を潰してくるんだろう。

最初は厳しくすればするほど、反発精神で乗り越えてくれるだろうと言う先生の期待の裏返しかなと思って頑張って耐えていましたが、もう完全にそう思えなくなりました。

私はピアノは向いていないから本気でやっちゃだめな人なんだな。

もう頑張ることが馬鹿馬鹿しい。馬鹿みたいだけど、所詮私は趣味や遊びのピアノレベルだったのか。そこまで言われたならすごく残念だけど、諦めて、普通の人と同じように一般企業に勤める道を選ぼう。

これが、私の卒業時の気持ちでした。

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