技術と表現の先にあるもの

こんばんは😃

コンクールがあり、ロシアピアニズムのブログが滞っていましたが、今日からブログを再開します❗️

今日記載することは、ロシアピアニズムとは関係のない記事なのですが、これからピアノを演奏する上で、私の演奏は決定的にこれが欠けているものだと思ったので、赤裸々に記載します。

先日受けたコンクールの外国人の方の講評で素敵なことが書かれていたので共有します。

愛とはなぜ存在するのか❓

触れることもできないし、目にも見えないけれどいつもどこかに存在している。いつも我々の上にあり、我々がコントロールすることができないものである。

それをもっと感じて、もっと演奏に取り入れることで更に良い演奏になります。

存在しない「何か」を感じる。

技術と表現は確かに大事ですが、それだけでは何も感じない。ただ音楽に身を委ねる、そこにただ花が咲いているだけで良い。

現実的にはいこれはこんな音楽です。一応曲のこと一生懸命勉強はしました。こういった技術、表現を使えば正解でしょう。私は何も感じません。他人事です。(これ、赤裸々な自分の演奏です)これでは何も伝わらないんだな、、って痛感😅💦💦深く深く作曲家の世界に入り込まないと、、なあ。

来年身につけたい課題です。これが自然にできるようになるとまた世界が変わるんだろうと思っています😃

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