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彌生の人生…③

彌生です… 今回は私と夫との出会いについて書いて行きたいと思います… 私は何回も自分は「成金お嬢」と書いていますが「お嬢」だから「清純」だった訳ではありません… 先ず、バイトした事すら無いのにいきなり、当時のアパレルの頂点にいる会社に入社したんです、モテない訳がありません、クラブやディスコに行けばその派手なファッションですから、男たちは寄って来ますし、私はまだバージンだったのですが、それが嫌で嫌で、会社の人と飲みに行っても、その手の話しはサッパリわからないので「ちょっと

    • 真っ赤な女教師…

      第一章 奇妙な女教師 彌生です… あれは1971年の秋… 社会科の教師が突然妊娠して産休に入り、その女教師はやって来ました… 髪はボサボサ、肩に頭垢が溜まり真っ白になり、何故か膝丈のタイトスカートに何故か「冷え性」なのか、膝丈のズロースを履いていて、子供心に「この人、変な人だなぁ〜〜」と思いました… よし!!!!皆んな聞け!!!!私は吉田だ!!!!🫵 妙に男っぽい喋り方でますます「変な人だ」と私は思いましたが… 教科書は机にしまえ!!!!わかったな!!!! な

      • デパス中毒だった私…

        第1章 パニック障害の始まり… 彌生です… 私が初めてパニック障害になったのは29歳の時です… その頃は青山の骨董通りにあるブティックに勤めていて、店長が超変わったババアで、いや?あちらから観たら私が変わっていたのでしょう… 船橋の自宅から2時間かけて通っているババアで「大変ですね、近くにマンション借りたらどうですか?」と言うと ワタクシ!!!!一人暮らしなんかする人間じゃありません!!!!嫁入り前の娘がふしだらな💢💢💢💢😳😳😳😳😳そんな凄い家柄なのに販売員ですか?

        • 彌生の人生…②

          第一章 バブル期のデザイナーブランド彌生です… さて、バイトすらした事が無い成金お嬢の私… 何故、数あるデザイナーブランドで「BIGI」を選んだのか?それはテレビでショーケンの「傷だらけの天使」を観て衝撃🫨を受けたからです… 番組の最後のエンドロールに出てくる「株式会社ビギ」の文字… 衣装デザイナー 菊池武夫?誰?この服って何処で買えるの?いろいろ調べ(スマホも無いあの時代どうやって調べたんだろう?) 菊池武夫さんと妻の稲葉賀恵さんが作ったブランドで原宿のあるビルに

        彌生の人生…③

          彌生の人生…①

          第一章 始まり 彌生です… 令和3年3月23日母は永眠しました… 私と母の戦いもこれで終わりました… YouTubeにも投稿していますが… 私は昭和32年に北海道の牧場のお嬢様だった「洋子」という名の母と中国から引き揚げて来た「勝夫」という名の父との間に生まれました… 父は母の牧場の使用人でしたので物凄い反対にあったと聞いております。 母はなんせ牧場の娘、戦時中でも飢える事も無く普通に白米を食べて、おはぎまで食べて紅茶に蜂蜜を入れて飲むというあの飢えた戦時中の人

          彌生の人生…①