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雑記 952 別れ

H.S.は、クワイヤのピアニストだった。

もう20年も前のこと、私はチャコって言うの、チャコと呼んで、と言われて、いきなり、チャコ、と言えず、かなりの期間、チャコさん、チャコちゃんさん、と言っていた。
ある時、怒ったように、チャコって呼んでくれなきゃ嫌だ、と言われ、恐る恐る、チャコ、と呼ぶようになった。
あちらは、私を、ごく自然に、お姉さん、と呼ぶ。
どう言う物語が彼女の心にあったのだろう。
その方式で、彼女のお母さんのことは、ママと呼んで、旦那さんのことは、ニイくんと呼ぶ。そして、訪問した時には「ただいまーー」と元気よく叫んで玄関から入る。よその家なのに。「お帰りーー」と返事が来る。家族のように心休まる友人だった。

9月5日に、スマホを握っていたら、どういう具合か、その「チャコちゃんさん」に電話をかけてしまった。
「用はないの、間違った。ごめんね」と謝ると、
「一昨日位から絶不調で、今日の眼医者はキャンセルした」と言う。
「お大事にね、無理しないで。」
これが彼女の声を聞いた最後。

その夏は彼女には色々なことがあり、特に白内障の手術を2回に分けてして、術後2週間は禁酒とのことで、つまり、1ヶ月ほど、アルコールが飲めず、不自由していた。

間違い電話の3日後、 
「繁です。チャコくんは肺血腫で緊急入院しまして、現在重体状態です」
と連絡が来て、あまり突然のことにうろたえた。

まず一番に、彼女の小学校からの同級生、神奈川フィルハーモニーのYさんに知らせなくちゃと、チャコから聞いていた連絡先にメールを出したけれど、ひとつはエラーで帰ってきてしまった。あとは届いたかどうか分からない。
と、クワイヤのマネージャーのMさんから、Yさんから電話があった、と連絡があり、よかった。Yさんは、私の名前はご存知なく、知らない人からのメールなので、どうしたら良いか迷われたのではないだろうか。

そして翌朝、
「頑張っていたんですが、意識は回復せず次第に血圧が下がって7時38分臨終でした。」
「あっという間でした。」

何故。
どうして。
突然死。
救急車ではなく、自宅の車で、病院に行った。
玄関で、車椅子を看護婦さんが持ってきた。
車椅子に移ったら、意識を失い、それっきり、意識は戻らなかった。

その場にいられたら、行かないで、と言いたかった。
まだ一緒にいよう、と抱きしめたかった。

でも、全ては、神様がお決めになること。


彼女とはよく旅行に行った。
2024年は春になったら軽井沢に行こう、と約束していた。


「さぁ、練習しなくちゃ」

私は何度もその台詞を聞いた。
伴奏者と言っても、色々。
フリーランスでやっていて、楽譜を見ると、たちまち手がその通りに動いてしまい、チャッチャッと弾ける人もいる。
チャコはそういうタイプではなく、地道に練習して、合唱団に参加するタイプだった。
「気の利かないヤツだ」
と心ない言葉を投げつけた指揮者もいた。
「私は違うの」「そういうの、得意じゃないの」と悲しそうに彼女は言い、毎回、コツコツと音を拾って、紡ぎ、クワイヤにやって来た。
金沢文庫に引っ越した時、前の家から、ピアノの音がうるさいと苦情が来て、弾く時間も制限されていた。
三浦に引っ越してからは、代々木オリンピックセンターを練習場所とするクワイヤは、より遠くなり、喘息に悩まされている身には辛いものがあったろう。

彼女の出す音は誠実で、歌に静かに寄り添い、私たちはどれだけその恩恵に浴したことか。
チャコ色の優しい音色がある。

失ってからその価値を知る、というのが世の常。
もっともっと一緒に演奏したかったよ、チャコ。
今年のクリスマスコンサートは5年ぶりにチャペルでの演奏が出来るんだよ。
戻っておいで。

この世で共にあったことへの感謝を、チャコに捧げます。

(クワイヤ機関誌の新学期の特集で、亡くなったメンバーを偲ぶ特集をするので、お願いします、と言われて、散々迷って、断った。けれど、私以外に彼女のことを書ける人はいない、と言うことで、結局、この重荷を引き受けることにした。本当はまだ信じたくない。認めたくない。出来れば、時を巻き戻したい。)

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