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嫁VS姑&小姑100年戦争No.42

本編39~姑のそら恐ろしさ続編~私はアレルギー体質で、飲めない薬がたくさんある。でも食べ物では出たことがなかったので気付いてなかったが、今から思えば◯を続けて食べた時にお腹をよく壊していた。

大姑が生きていた頃はドクダミやゲンノショウコを干したものをもらい煎じて飲んでいた。
大姑が亡くなった後、築山にたくさんあったドクダミを少しもらって、うちの敷地に植えておこうと姑にお願いしていた。

ある日、築山のドクダミが全部引き抜かれていたので、わあ、干してくれるんだあと喜んでいたが、甘かった。
さすが意地悪な姑は、引き抜いてそのまま捨てたのであった。心底、根性が悪い。

そんな姑にも、私は盆暮れや、母の日、敬老の日、誕生日とプレゼントをしたり、食事に連れて行ったりしていた。

大姑が亡くなる3年前から、近くの街へ和食処を出していた義妹夫婦の店へは必ず連れて行っていた。
飲み物別の5000円コースをおごっても、ただの一度も礼を言わない姑であったが、
代わりに姑が言ったこと~「近所の◯◯のおばあさんは、魚に当たって入院して、その入院中に飲んだ薬が又、合わんで死んじゃったんじゃと。」と話した。で、思い当たった。思い出したのだ。

いつぞや姑に、大姑が干していたゲンノショウコが残ってないか聞いた時に、「これは何にでもよう聞く薬じゃ。」と言って、箱のない中身だけの銀紙で包まれた薬をくれたが、その時下痢をしていた私はそれを何日も飲み、余計ひどくなって倒れ、救急車で運ばれたことがあったのだ。

夜遅かったが、レントゲンを撮ると、腸が水浸しになっていると診断された。病院側もあまりアレルギー患者は入院させたくないのか、「点滴代わりとして、ポカリスエットを飲むなら、入院しなくてもいいですよ、明日改めて診察に来て下さい。」といわれ帰宅出来たが、後で姑がくれた富山置き薬の外箱をネットで調べたら、それは下剤だった。~つづく~