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時を超えた人々の営みの形跡を残して『志賀の里』を歩く
11月15日「時を超えた人々の営みの形跡を残して『志賀の里』を歩く」というテーマで、まち歩きをしました。
ガイドは、名古屋歴史ナビの会の伊藤喜雄さんです。
今回も、非常に詳細な資料を用意してくださり、嬉しいです。
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今回歩いた一帯は、弥生時代・古墳時代の遺跡群で、環濠(集落の周りの濠)、方形周溝墓、船形木棺、
水田跡、パレススタイル土器などが見つかっています。
志賀公園の池を作った時に大量の土器が出土し、貴重な遺跡であることが明らかになったそうです。
また、志賀公園に隣接する、URの団地がある場所では、帆立貝型古墳(前方後円墳の前方部の長さが短いもの)が見つかったそうです。
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志賀公園内には平手政秀の屋敷跡があります。
平手政秀といえば、織田信長のもり役で、信長の行状が変わらないことを諫めるために死を選んだように言われますが、
これには疑問点があるそうで、異なる説を紹介してくださいました。
参加者の皆さんが、特に興味深く聞き入っていました。
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志賀公園にラジオ塔があると聞いて、ラジオの電波塔の跡かと思ったのですが、違っていました。
みんなでそこに集まってラジオを聞くための施設だったそうです。
ガイドの伊藤さんは、今はラジオは非常時にしか活用されない場合が多いとおっしゃっておられましたが、
ラジオ好きの私としては、ラジオ塔はかなり興味深かったです。
松葉公園や中村公園にも残っているらしいので、確かめに行きたいと思いました。
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レポート: 三宅由美子 写真: Julia
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