4/27「いつも通り見逃した」流れ星について

信号待ち流れ星に驚く声 いつも通り見逃したどうしていつも
だけど今日はそれでもうれしかったよ 誰かが見たのなら素敵なことだ

Marry Christmas/BUMP OF CHICKEN

そんな風に思えたらよかったなと、何度も思うこの頃です。
こう歌えるのはきっと藤原基央くらいではないかな。誰かが見たのなら素敵なことだ、なんていえますか皆さん。

4/26、自分が海外のアーティストの中では断トツで好きなバンドTHE 1975のジャパンツアー初日の横浜ぴあアリーナ(東京公演は追加公演なのに一番最初だった謎)公演へ行ってきた。

THE 1975を好きになったのは2018年末くらい。ちょうど3rdの「A Brief Inquiry Into Online Relationships」が出たころ、受験勉強の傍ら同アルバムを聞いてとんでもない衝撃を受けた。

高校生の頃から、Oasisやweezer、radioheadをはじめとした往年の洋楽を聞くことはあった。
でもそれは、好きな邦楽バンドが憧れたバンドを聞いてみるといったところから出ず、好きではあるが熱狂したことはなかった。
そんな自分が、片っ端からライブ映像をあさり、必死に歌詞を読んで日本語に直し、そのフロントマンの振る舞いすべてに憧れたのは初めてだった。
映画「Sing Street」、Galileo Galileiなどの影響で70s~80sリバイバルはちょうど自分の興味の向くところでもあった。
そんなバンドが来日すると聞いて、2019年のサマーソニックには大学一年生の心もとないバイト代をはたいて参加した。あれはまさに夢のようだった。
そしてコロナ禍でのサマーソニック中止、2022年ヘッドライナーとしてカムバックした彼らを見られなかった(油断していたらチケットが売り切れちゃった)自分にとって、まさに待望の来日公演だったというわけだ。

来る5th「Being Funny in a Foreign Language」は昨今のインディーフォークの流れにのって、4thの「Road kill」などにみられるようなアコースティックで肉体的なバンドサウンドに回帰した作品だった。
自分の好みにもぶっささり、「Part of the Band」がリリースされたときには、さながら映画のオープニングで街をうろつく主人公の気持ちで、爆音リピートを繰り返した。

「50歳じゃない」と彼は言い切る。「でも、19歳でもない。そうなりたいわけでもない。30代だからね。大人になりたかったんだ」

NMEでのインタビュー https://nme-jp.com/feature/122010/

「Sorry If you're living and you're 17」といって始まるそのアルバムは、4thのまさに「カオス」なインターネット世界から、もう一度シンプルな生活に戻る彼の素の自分、大人になっていく自分を映したような作品だった。

だから、26日の公演は自分にとって違和感のあるものではなかった。

来日に向けて、「At their very best」ツアーの映像は見ず、先日の東京公演(あるの知ってたらそっち申し込んでたよ)の様子もできるだけ目に入れずにいた。
だから、座席もスタンド三階で、さすがに彼らの音楽の前で踊らずにはいられなくとも、大暴れはしない。そんなライブで別に何の問題もなく、Mattyの弾き語りによる「Be my mistake」もしみじみ聞けて、大満足のライブだったのだ。
なるほど、彼らは今回、落ち着いた大人のライブをしに来たんだ!と。サマソニ2019の「I like America~」でのどをぶち壊すように叫び、「Love it if we made it」で踊り、酒をがぶ飲みしてステージにぶっ倒れたあのMattyはもういないのだと。そう納得してライブを楽しんだ。

だが、途中、謎の中断を挟んでから始まった「the Sound」の中盤、お決まりの「Fucking Jump!!」のところで、なぜかMattyは「One,Two,Three,Jump!」と、お得意のファッキンを言わなかった。たしかに30代の大人はファッキンといわないのかもしれない。でもそれだけはお決まりだったはずだった。
それだけがなんでだ?と引っ掛かったまま、心の中ではファッキンなジャンプをし続ける俺と右隣のおっちゃん、左隣のおばはん。足腰が弱いのか座ったまま体を揺らす前の列のおばはんも、きっと心の中ではファッキンだったはずだ。

そんななか終幕した4/26日の公演は、どうやらTwitterの有識者たちによると「アレ」だったらしいのだ。
ライブは生もの。その日のアーティストの気分やオーディエンスの雰囲気一つで大きく変わるのだ、とよくわからない音楽ライターが、東京公演から今日の横浜2日目まどの三日間を全通したうえでそう語る。ラブリーサマーちゃんが歓喜しニットを脱いでタンクトップになり始める。Mattyの真似で足と地球の絵文字を名前に添えたファンアカウントが、それぞれの口で昨日の何倍もよかった!!おかえりmattyと口をそろえている。
そう、なぜか、4/26横浜初日に参加した我々だけが、彼とファッキンジャンプできなかったのだ。そして何やらオープニングの演出も違っており、大名曲「I always wanna die(sometimes)」も、他公演ではやっていた。

そして俺は家でひとり、「ああ、いつも通り見逃した」と意気消沈して、twitterのアプリを消し、noteに愚痴をつづる羽目になった。

おもえばそんな日々だったように思う。

2015年、BUMP OF CHICKENの20周年記念ライブは、チケットを当てることができなかった。家で2ちゃんねるを見ながら、バトルクライやロストマンなんかのレポートをみて「見逃した」と打ちひしがれた。その前の武道館で、「ray」を初披露したときも、「ハロワ、コロニー発売記念特別ライブ」も行けなかった。「aurora ark」ツアーの東京ドームファイナルの熱気も味わえず、ツアー「be there」初日も、二日目の「HAPPY」「プレゼント」「透明飛行船」などを聞けなかったことが悔しいことに目をそらしてきた。

コロナ禍でつまらなくなった大学生活は壊れ、20歳の自分は引きこもってゲームをすることしかできなかった。成人式は開催されず、「いった人」にも「いかなかった人」にもなれず宙に浮かんでその話題には一生加われない世代として取り残されてしまった。

こんな「もしタイミングが違ったら」、「もし生まれる場所が違ったら」見えていたかもしれない流れ星が、ずっと自分の背後に流れ続けているんだ。

インターネットの海をのぞけば、自分より若いひとたちが、器用にツイッターを使いこなして、音楽やら絵やら漫画やらでたくさんの人を魅了していた。2015年、宅録を初めてニコニコ動画に投稿したギター動画が伸びなかったのは、タイミングが悪かったからだと思った。
もっと早く生まれていれば、ボカロが飽和してニコニコがオワコンになる前に投稿できていれば、未来は違っただろうか。

高校生の頃から下北のライブハウスに出演していれば違ったか?千葉の中途半端な都会に生まれるのではなく、東京の高校に通っていたらそうなっていたのか。大学も都内だったら?軽音サークルなんかで遊んでないで、コロナ禍にも負けずに一人で東京に行ってライブしていたら?
そもそも音楽なんか始めなければよかったか?
志向はどんどん極端になっていく。見逃した流れ星に取りつかれて、ありもしない「可能性」についてたらたらずっと考えてしまう。

ツイッターは優秀で恵まれた人をどんどん目の前に提示して、だんだん自分がひたすらうまくいっていないような気にさせる。
14歳の人気ボカロPやら、2、3歳年下の新進気鋭のバンドマンやら、そんなものツイッターがなければ出会うこともないし知ることもないわけだ。地元で俺よりギターを弾ける奴がいないように、別になんてことはない。俺は俺の世界だけ見ればそんなに不幸でも不孝でもないはずだった。

4/26のライブでは、他の公演ではやらなかった「All I need to hear」を演奏したし、それは自分が一番聞きたかった曲だ。BUMPは自分が行った日にだけ、アンコールで「ホリデイ」を演奏してくれた。なにもアンラッキーじゃないんだ。他人と比べなければ、なんてことはない。ただの普通の毎日があるだけ。

インターネットは見えなくていいものを見えるようにしてしまう。そんなに沢山のものを見なくたって、全然生きていけるはずなんだ。

それじゃ、みんなでツイッターをやめませんか?
いいかな、いくよ、せーの!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?