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金や社会的地位の維持の為にし続けた労働で、得る生活レベルは実は低いんじゃないですか?

 様々な人間を見ていてつくづく感じるのですが、高年収や社会的地位の維持の為にし続けた労働で、得る生活レベルは低いのではないかと思えます。

 世間様的な価値観で言うと、金は稼げば稼ぐほど豊かに幸福になれるとバイアスが掛かっていますが、労働形態にもよりますけれど雇用される場合、その事業へ労働力提供のコミット具合も生活レベルと幸福度に大きく関係していると思います。

 日本も他の諸国と同様に階級社会ですし、特に日本人は階級意識が非常に強い民族だと感じますので、支配層によるもっとも母数の多い労働層の団結を防ぐべく、正規非正規と階層を分けています。これにより価値観を同じとした団結を防げるわけです。また日本型雇用は特別でして、能力の無い人間ほど正規雇用で雇用されると、実はたいして興味のない、実は欠片も頑張る気が無い事業主の事業にコミットを要求されてしまいます。

 フルタイム労働が日常的になると時間も奪われますし、週5日働いているとよほどフィジカルが強い人間で無ければ、現実問題何も出来ないでしょう。

 この世は生存者バイアスが蔓延っていますので、そうしたフルタイム労働をしつつ合間に恋愛市場で競争し恋愛をして、子育てもして、資格勉強もして、キャリアアップもして、と言うのが当たり前、出来ないのは怠惰でいい訳、努力不足と言う理屈を、それを出来た人間が広めているだけです。

 生存者バイアスの下には多くの白骨死体が横たわっています。証拠に日本は急激に出生数が低下していますよね。こんな事を言っても何がって訳じゃありませんが、元から色々と無理ゲーが過ぎるのです。

 そして欠片も興味を持てないフルタイム労働は、生活の質を確実に下げるでしょう。もちろんフルタイム労働で、自炊をする気力も体力も無いですから外食がメインになり、そして近くのスーパーに行けば、庶民のドラッグや娯楽であるアルコールやお菓子などが平然と売られている訳です。それは大抵の庶民は豊かになれませんよね。

 収入や社会的地位を上げれば上げるほど、よほど自己規律を持って自分を管理、そしてストレスを解消する為の対策などをしないと、労働によるストレスで見栄の為の消費や、継続的な労働を行う為の消費や散財や、アルコール依存で何年も働いているのに、これだけ高収入なのに実は全く貯金が無いと言う人はけっこういると思います。

 この世は労働者ほど消費させられるようになり、余裕を喪わさせられ、労働をすればするほど自己管理が出来なければ逆に貧乏になり、手軽に消費して幸福になろうとすればするほど、依存度が深まり搾取が進行し不幸になるように出来ています。

 何かをする気力や体力が無くなれば余裕が無くなり、労働のパフォーマンスは下がるでしょうし、生活の質も実は低下しています。消費が加速すればするほど、労働から抜けられなくなり、労働への依存度と生殺与奪権を事業主に握られる可能性が高まる様になっているのですよね。

 これらの事象が悪いとは言いませんが、元々世の中そんなものなのだなと思えば苦しさは若干減るかもしれませんね。まぁ何の救いにもなりませんが。

 しかし生活レベルって造語、夢のマイホームと言う言葉と同様に、いかにもメディアが大衆を扇動する為に造った言葉だなぁと思います笑。その実は、金を稼げば稼ぐほど生活レベルが上がり、豊かになれると洗脳したいんでしょう。電通あたりが考えたんでしょうかね。これらの造語を目にすると、弱者男性と言う日本人が無意識に使用する差別用語と同様に、マーケティングの重要性を実感しますよ。

 日本人は日本と言う災害国で生き残る為に、不安遺伝子が非常に強く発達した民族ですので、自己の価値観を薄弱とさせその他大勢と同調する様に教育され平均化されてきました。それも悪いとは言いませんが、同調圧力の恩恵で自分の価値観が無くなり、ただ大企業に入り、ただ労働して、ただ消費して、ただ子供を造っていれば幸せと言う人が増えたのだと考えています。

 ですが結果として、自由に生きて大金を稼いだり、自分勝手に好き勝手やってずるい生き方をしている、と傍からは見える人間達に憧れ、嫉妬し、そして時間を奪われ、自分のことを考える時間を実質奪われてしまう人も増えた様な気がします。

 自分が何を優先するのか、どう在りたいのかなど考えるのは自己責任をより強めるので、そうしたくない気持ちやそんな無駄な事をしたくないと言う気持ちも凄く分かるのですが、これも結果として多くの人が自分の事を考える時間を奪われてしまっていると言う事にも繋がっていますので、大抵の一般大衆は他人の価値観を排除しない限り、永遠に自分なりの幸福にたどり着けず、自分の人生に満足できないのだなというところです。