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そんなくだらない事をやっている内に時間切れが来る

 それなりに生きてしまっていると、少しずつ見知った人間が亡くなった等の声を聞く。まだ若い人もいた。子供もいる奴もいた。

 日本はそれなりの間、国内でまともな戦争が無いので自分のすぐ身近で死を感じる事が少ない。むしろほとんどないと言ってもいい。

 でも厳然たる事実として、墓場があると言う事は皆、すべからくいずれ時間切れが来ると言う事。それはもしかしたら明日かもしれないし、明後日かもしれないし、3年後、5年後、10年後、はたまた100年以上経過しても、もしかしたら来ないかもしれない。それは誰にも分からない。

 ただ皆、自分がいつまでも死なないんじゃないかと思っている。だから本気になれない人が多いのかもしれない。ここで言う本気とは、自分が後悔しない、自分が望む人生を送る為に、本気になれているのかと言う意味でだけど。

 ネットにつないで動画を観たり、noteのサーバー内でも廻ったりしていると、失礼だが、心底クソどうでもいい事で言い争ったり(当人達にとっては大事なのかもしれないけれど)、一円にもならない、どこぞのメディアが造り上げたPV稼ぎのための造語について、マウントを取ったり取られたりで更に言い争ったり、イライラしたりしている人間が本当に多い。

 そんなクソどうでもいい事で言い争ったりしている内に、大体の人に時間切れが訪れる。

 しかしそうなるのも仕方がないのかもしれない。およそ9割の人が道から外れて自分の人生の為に行動して、自分の人生の責任を取るのを実は恐れているし、何か挑戦して失敗して馬鹿にされ笑われるのを恐れているし、社会の生産性に寄与しない個体(空白期間が長い)を排除する土壌が形成されているから、それを理由に動きたくても動けないのだろう。

 そしてそもそも自分の様に労働自体に向いていない個体もいるが、そんな事は誰も聞いちゃくれない。労働に向いていない個体は、産まれたのが運の尽きと言われるくらいだ。

 あと極めつけが金の問題がある。現世は金が全てじゃないが金が無いとほぼほぼ何も出来ないので、その時点で元から富裕層と生まれが貧困層とでは圧倒的な時間格差が発生する。こうした現実を知ってしまう事により、無気力になる人間も多いのかもしれない。だとしても時間と言うものは、誰一人として待ってはくれないのが無慈悲。現実に疲れてネットに逃げ込んでしまう人間も、社会は誰一人として救ってはくれない。

 もう自分の身は、自分で守らなければいけない時代になっているのにも関わらず、ネット上のあらゆるプラットフォームで日夜PV稼ぎの為にコンテンツが無尽蔵に生産され続け、そして時間を奪い続け、自制できない人間の目に見えない命の砂時計は消費されていく。本当に残酷な世界だねぇ。そら子供なんて産まれませんわ。ここら辺は個々人の感覚の違いなので理解してもらわなくても構わないが、やはり人間は死ぬのだなと改めて思う。

 闘いを避けていてもなんだかんだ、どこかの土壌で戦わざるを得ない。人間は産まれても生きていても、まぁ地獄なのだなと。