自由に生きていそうな人間はその他大勢から弾圧される

 一見自由に生きていそうな人間には、その他大勢の人達から弾圧される傾向にある。たとえば会社員を辞めて、やりたい事をやる、、、とか、自分で仕事を起こすとか、、、や、セミリタイヤした、、、か、または、自分の意思で進むべき方向へ一直線に走っている人は、特にその他大勢の人間から目の敵にされる。

 目の敵にされると言っても、当人のアピールもあるが、目に付くと言った方がいいのかもしれないですね。

 そうした人間に対してチクチク、もう「普通の」生活や「普通の」会社員、「普通の」人生に戻れないですよ~と遠回しに言う人も散見されるのですが、最近そんな事を言ってしまう人達の気持ちがようやく分かった気がします。

 要は組織に所属せず、抑圧されず、自由を拘束されず、我慢を強要されず、と言った人達が羨ましくて嫉妬しているのだと思います。見方を変えれば、自分が出来なかった夢や願望を叶えている人達が、嫉妬や羨望を通り越して憎いレベル。

 実際は当人にしか分からない苦しみがごまんとあると思うし、日本人は元々農耕民族なので、周りと同調できない疎外感や孤独は人一倍大きいと思います。ですが、そんな事は所詮他人事なのでその他大勢には分からないんですよね。そんな事は知らない、とりあえず叩かせろと。で、叶うなら資産を失ったり、路頭に迷ってホームレスになるか餓死したり、食い詰めてそこらへんの人間を金目当てに襲って捕まりでもすれば、嫉妬する人達のいい酒の肴になります。

 かくいう自分もそうした人達の一部でした。言語化しにくいですが、嫉妬の中身を分解して突き詰めて見ると、自分には出来そうにもない、出来ないと思っている、夢をなんらかの形で叶えた人達が羨ましいだけなんですよね。

 圧倒的高スぺでFIREした三菱サラリーマンが発言していましたが、出来ない理由より出来る理由を考えろと、身も蓋も無い金言はまま、万人にとって真実だと思います。嫉妬していても、他人にチクチク言って執着していても、自分の人生は何も変わらない。

 どうすれば自分の願望に近づいていけるのかを考えて、一歩踏み出し始めた人間から、その夢が叶うにしろ叶わないにしろ、いつ死んでも悔いのない人生を送れるのだと感じています。言うは易し行うは難しなんて免罪符付きですが。

 と言っても、私も人間なので、こどおじやこどおばで実家に寄生し生活費を圧倒的に抑えている人間や、親からの財産を引き継ぎ、資産形成に必要な初期種銭をそれなりに確保し、且つ住む家に困らず生きている人間をちらっとでも見かけると、強烈な嫉妬のあまり、世の中やっぱりどうしようもなく理不尽だなと思ったりもね、しますよね。なんだかんだ最低限の銭は必要だから。

 まぁこんな事こそ言っても仕方がない。そんな人間達に嫉妬して、時間を費やすくらいなら、自分の目的に向かって、自分の責任で進む方がまだ健康的でしょう。

 でも大半の人間が毎月の定期的な所得を失って、会話が出来るコミニティも失って、自分の願望を叶える為に自分の責任で前に進むなんてしたくないんですよねぇ。何故なら自分の人生に責任なんて取りたくないから。

 だから大半の人間が自由を願っている様で、実際は自由を拘束されたがって大きな権力に縋っていたいし、他人に自分の生き方を指示されたいと根底では願っていると思います。その方が楽ですから。何も考えなくていいですからね。

 また、日本人や日本の社会が、その既存の枠からはみ出た人間に異常に冷たく排他的で寛容でないのは、上述した、自由に、拘束されず、我慢を強要されず、抑圧されずに生きて、大きな社会の流れや同調圧力に逆らっている人が、心底憎いからです。心底憎いからこそ排他的になり、不寛容になり、再復帰を妨げ邪魔をする社会構造を造っていると、個人的には思います。

 この社会に適応出来ている人間は、雇用されている事が当然、フルタイム労働が当然な思考なので、現実問題心底心地がいいでしょう。口では会社の悪口を言っていますが、その根底では、拘束されてフルタイムで働かないといけない理由を造って貰いたがっていますから。

 自由な時間なんて、フルタイム労働社会に適応できている人間には、実際いらないんですよ。そんな事をされてしまったら、自分の内面に嫌でも向き合わないといけないし、自由な時間が出来たら出来たで、働くことしか知らなかったから、その膨大な余暇が当人を殺すと思います。

 だから自分の事を考えない様に、自分の願望と向き合わない様に、自分から拘束され、自分から会社の資産になり、滅私を強要されている様で現実は自分から滅私奉公をしに行っている。でもそれが一番幸福だと思います。

 釈迦がこの世は一切皆苦と言う言葉を残しましたが、膨大な余暇に苦しめられる時間を過ごすより、他人に指示して貰い、給料が高くても低くても、ただただ目の前の仕事をこなす方が、余計な事を考えなくて幸福度が逆に高そうです。

 ただそれで幸福ではない人間は、何かしら既存の枠からはみ出さないと、不幸を抱えたまま生きていくことになりますが。どちらにせよ、どんな生き方にもリスクは付いて回るのが、凡人の人生の常です。いやしかし、無駄に疑問を持ってしまう人間は損しますね。

 それで金があれば、この無駄な思考にも意味がありそうですが、そうでない人がきっと多いでしょうから。自分もそう、単純な側でありたかったですよ