幸福になりたい人間がネットを見てはいけない理由

 今はネットを開けば無尽蔵に、顔も良く知らない人間が発信している情報に溢れている。色々な生き方、色々な稼ぎ方、色々な情報が溢れている。ここで勘違いしてはいけないのが、ネットでそういった人間達の情報を見たところで、自分が納得する生き方やら何やらの正解はどこにもないということだ。

 この正解と言うのが日本の教育の悪い点で、減点方式での教育をするので、白か黒か、失敗か成功かと言う思考に自然と陥りがちになり、自発的な希望や願望の達成を目指して行動しづらくなる。

 失敗しない様に。誰だって失敗はしたくない。何故なら失敗したら社会的にも金銭的にもなかなか再起のチャンスを与えられにくい、硬直した社会になっているのなら猶更のこと。

 誰もネットで調べた情報に、知った情報を元に行動した人間の人生に責任なんて取れはしない。他人だからな。にもかかわらず多くの人間がネットで答えを探している。誰かが、自分に合った答えを言ってくれるのを、誰かが自分の答えを教えてくれるのを待ち望んでいる。

 でもどこにも答えはない。当たり前だが自分で決めていないからだ。生きづらい人間ほど、ネットで答えを探すが、まぁどこにもない。唯一分かっていることが、男なんて誰も助けてくれないし、この世のあらゆる問題は9割が金が有れば解決する。金が掛かり過ぎる国では、自尊心も人権ですら金で買える。これ自体は終わっている価値観だと思うが、もう仕方がないよね。何より終わっているのが、金の事ばかり言っている日本人が、金の量や年収でしか他人を見ない自分の価値観が、終わっていると気付いていないことだが。

 やっぱり幸福になりたいのなら、自分の心に従っていきるべきなのかなと。人間て歳をとればとるほど、自分を偽るのが上手になっていくから、だから余計に苦しむんだよね。心で望んでいる事と、現実の自分が取っている行動が逆だと余計にさ。

 実際問題、金やら何やらの事で、容易に自分の心に従う様な行動を取りにくいのは分かっている。そもそも労働者に勝手な行動をさせない為に、資本家や支配層が労働力を搾取する為に、人間社会が造られているから、自分の心が望まない行動を取らされるのは、これも仕方のない事だと思うよ。

 死ぬ時に後悔したくないのなら、ネットで情報収集するんじゃなくて、自分で考えて目標や叶えたい生き方に向かって行動していくのが、一番の幸せなのかもしれないですね。

 今まで落としてきた分の幸福を拾い集めて、拾い集めて行く過程で幸せを感じられたら、たとえその時点でお金が満足に無くても、あなたはあなたの人生の勝ち組だと思います。他人はあなたの人生の答えなんてのは、間違っても持っていない。だから準備して、出来るなら自分の心のままに生きてみると良いのではないでしょうか。