犯人が誰か本気でわからない、ミステリ史上最大の大傑作『Yの悲劇』の「動機」について語りたい

(この記事はネタバレ(犯人バレ)無しで進行していきます。しかし、ところどころ本筋に触れる箇所はあるため、まっさらな状態で作品を読みたい方はご注意ください)

これまで、さまざまなミステリ小説を読んできた。

日本で言えば「十角館の殺人」でお馴染みの綾辻先生、「すべてがFになる」でお馴染みの森先生。浅見光彦が活躍するシリーズの内田先生の作品なんかも読んだことがある。

海外で言えば、大御所のコナン・ドイル、アラン・ポー、「そして誰もいなくなった」や「オリエント急行殺人事件」でお馴染みのアガサ・クリスティなどなど。

古今東西のミステリをそれなりに嗜んできたと自負している私だが、これまで読んできたミステリ小説の中で、群を抜いて「これはやられた!」と頭のネジでは飽き足らず舌を巻いた作品がある。

そう、それがエラリー・クイーンの記した「Yの悲劇」である。

おそらく、今この記事をお読みになっているミステリファンの方からすれば「何を今さら」と白眼になっておられることだろう。

エラリー・クイーンの「Yの悲劇」といえば、ミステリ界でも屈指の名作として名高いことでお茶の間でも有名だ。

知らない方のために解説を加えさせていただくが、「Yの悲劇」はエラリー・クイーンの「悲劇四部作」における第2作目である。
それまで、エラリー・クイーンは自身と同じ名前の「エラリー・クイーン」という探偵を作中に登場させ、エラリーの父という設定である「リチャード・クイーン」と共に事件を解決する…という構成をとっていた。

そこに、Xの悲劇・Yの悲劇・Zの悲劇・レーン最後の事件という四部作で構成される「悲劇四部作」と呼ばれる作品を発表する(ちなみに、悲劇四部作で探偵を務めるのは「ドルリー・レーン」という年老いた俳優である)。

その悲劇四部作における2作目が「Yの悲劇」なわけだが、この「Yの悲劇」がとてつもない破壊力を秘めた傑作なのである。

私は正直言って、「犯人当て」にはかなり強い方だと自負している側面がある。
そのトリックこそ全貌を掴めるわけではないにせよ、「この場合の犯人はおそらくこの人だろう」とおおよその検討がついてしまうのだ。

例を挙げると、この記事を執筆している現段階で読み終えた綾辻先生の「時計館の殺人」という「第45回日本推理作家協会賞」を受賞した名作がある。

全体的にふんわりとホラーテイストがありつつ本格ミステリで楽しめたが、上下巻の上巻が終わった段階で、「犯人は多分、あの人かなぁ…?」と、嫌な当て方ではあるが「作者からすれば『この人が犯人なら意外だろう』という人」を個人的にうっすら思い浮かべていた。

誤解のないように述べておくが、もちろん下巻における巧妙なトリックには「なるほど!そういうことだったのか!」と驚天動地も甚だしいほどにびっくらこいた。素晴らしいことこの上ない。
だが、やはり犯人は当初から目をつけていた人物だった。

そんな嫌味ったらしい読み方をしてしまう私だが、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」には本当に感嘆した。
当初、「犯人はこの人かなぁ」と目をつけていた人物がいた。
探偵役のドルリー・レーンと共に事件を捜査する警視と地方検事の二人がいるが、そのどちらかが最後に、
「犯人は、やはりあの人ですか?」
と、私が予想していた人物を挙げる。
すると、ドルリー・レーンはこう言うのだ。

「いえ、その人ではありません」

なにっ!?マジでかよ!!

その後、ドルリー・レーンの推理と共に真犯人が明かされていくわけだが、予想を遥かに裏切る一連のストーリーには度肝を抜かれたわけだ。

…という長い前置きをした上で、私が何を持ってこの「Yの悲劇」が素晴らしいと感じるのかを考えた時、それはおそらく「犯人の動機」なのではないかという結論に至った。

一般的に、殺人事件の動機と言えば以下の3つが挙げられる。

  • 怨恨(強い恨み、逆襲/復讐など)

  • お金絡み(莫大な借金など)

  • 恋愛絡み(彼氏/彼女への強い恨み、浮気/不倫など)

逆に言えば、「殺人」という罪の重い犯罪の場合、上記のような「強い動機」が無ければ起こそうとさえ思わないのが一般的かつ普遍的な観念である。

それはフィクションといえども共通していて、犯人が名探偵によって暴かれた時に「もっともらしい動機」が無ければ、フィクションそのものが成立しないとさえ言えるのだ。

ゆえに、多くの探偵物の犯人は上記3つからの「動機」を携えて罪を犯すのだが、

「Yの悲劇」の犯人は、上記3つの動機、どれにも当てはまらないのだ。

恨みや復讐でもなければお金絡みでもない、ましてや恋愛絡みでもない。

そうなると、先述したように「もっともらしい動機」の不在により物語そのものが破綻しているのでは…?と思ってしまう。

ところがどっこい、最後に説明されるドルリー・レーンの推理の緻密さ、犯人の「意外な動機」が暴かれ、物語は幕を閉じる。

まるでこの物語のためだけに作られたであろう「犯人の動機」であるため、現実的に「Yの悲劇のようなこと」が起こりうるかは疑問である。

その疑問を差し引いても、「その動機で犯罪を犯す可能性はなくはない」と、なんとなく腑に落ちてしまうがゆえに、「Yの悲劇」は名作となっているのではと存ずる。

私の稚拙極まれりなこの駄文を読んでくださっている画面の前のあなたも、ぜひ一度エラリー・クイーンのYの悲劇を手に取り、快活なる「裏切り」に身を委ねていただきたい。

本当にすげぇぜよ!!

ちなみに、先述の通り「Yの悲劇」は「悲劇四部作」の第2作目であるため、できるならば第1作の「Xの悲劇」を読んでおくと、ドルリー・レーンやその周囲の人たちとの関係性も掴め、物語に入り込みやすい(Xの悲劇も名作である)。

だが、Xの悲劇とYの悲劇に直接的な事件のつながりなどはないため、Yの悲劇から読んでも心配はない。

私は角川文庫で読破したが、今なら創元推理で新訳版が出ているため、そちらを読んでみるのもいいかもしれない。


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