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作曲を楽しいと思ったことは一度も無い

作曲は正直、苦しい。

作曲をし始める前。

「どんな曲にしようかなぁ」とか「こういう曲を作ったことないから今回はこんな感じで行こう」と考えるところはちょっとワクワクしている。

いざ作曲を始めると、進行を考えてメロディを考えてちょっと編曲をしつつアレンジして、あーでもないこーでもないと頭をひねる。苦しい。

諸々が終わり、MIXやマスタリングの段階になって、音がこもったりなんだりしてここでもやっぱりあーでもないこーでもないと調整に調整を重ねる。苦しい。

そして一曲として作り上げ、自分の曲を聴く。

「うむ…なかなかがんばったなぁ」と頷きながら、作り終えた自分の曲を何度も聴く。この段階は正直言って、楽しい。最高だ。日高屋で大奮発しておつまみネギチャーシューとビール3杯ぐらいで祝杯でもあげたいぐらいだ。

こうして考えてみると、私の場合は作曲それ自体が楽しいのではなく、「作曲によって自分の考えや感性を音楽として表現したこと」に対して楽しさを感じているのだった(「表現したこと」と過去形なのは、作品を作り終えた時にこそ私の場合は楽しさを感じる次第だからである)。

それゆえに、一曲として完成させるまでのプロセスである「作曲」に関して言えば、特段「楽しい」と感じたことはないのである。

逆に言えば、作曲というプロセス自体が楽しいのであれば、だんだんと曲が完成に近づくにつれて楽しいという感覚は薄れていくのではないかと存ずる(曲を作ることそれ自体が楽しいのであれば、その時点が絶頂であるがゆえに完成が近づくことで楽しいという感情は下降していくのではなかろうか)。

作曲が楽しいか楽しくないかで言えば、正直楽しくはない。むしろ苦しい。

しかし、1曲作り上げた瞬間…、私の感情や体験や思想や世界観を音楽として表現し終えたその瞬間は、楽しいと言えるだろう。おつまみネギチャーシューだ。

そういう意味で言うなれば、作曲中に感じる「苦しい」という感情は、作り上げた瞬間の楽しさを増幅させるためのスパイスである。むしろおつまみネギチャーシューだとも言えるだろう。それがおつまみネギチャーシューの正体だ。

苦しい道を通ってきたからこそ、最終的に「楽しい」という絶頂を経験できるんだなぁと感じつつ。

私はまたもや、苦しい中に潜り込んでいくのであった。

おーわりっ!




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