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文章で大事なファクトとオピニオン

仕事を習いたてのころ、「この店のラーメンはおいしい」みたいな原稿を書いて怒られた。

たしか、お店の紹介記事かなにかで、ぼくが伝えなければいけないのはその店が提供する商品の「情報」なのだけど、当時のぼくはどういう情報が読者にとって価値があるのかを、理解できていなかった。

20代の若造ライターが「おいしい」と感じたかどうかは、読者にとって正直どうでもいい情報だ。
40代の、さまざまな「おいしい」を知っている人にとっては、「うん。まあまあ。」程度の味わいかもしれない。もしかすると、ラーメンよりもつけ麺のほうがおいしいとか、実は店主の生きざまこそ「おいしい」みたいなこともあるかもしれない。

「おいしい」は、主観(オピニオン)であって客観的な事実(ファクト)ではない。

主観は、感じる人によって、感じるタイミングによって変化する。
夜中には「すごいアイデアだ!」と感じたことが、朝になれば「なんだっけこれ?」みたいなこともある。

一方で、事実は変わりようがない。

ラーメンのスープが、豚骨を10時間コトコト煮込んで作られるのであれば、その事実は揺るがない。
ラーメンの麺を、30秒ゆでたあとに氷水で締めて出しているならば、それは疑いようのない事実だ。

だから、ラーメンがおいしいことを伝えたいのであれば、

・スープには国産黒豚の豚骨だけを30kg使い、10時間弱火でじっくりと煮込んで作る
・麺は、北海道の十勝平原で契約農家が育てた小麦を店主が製麺し、30秒だけゆでたあとに氷水で締めて提供する
・チャーシューにはイタリアで幻の豚と呼ばれる「チンタ・セネーゼ」種を使い、生ハムのような味わいを再現する。

といったような事実を伝えることで、その味を想像してもらう(文章はあくまで例です)。
このときに大事なのが、具体性だ。

材料の量、かけた時間、固有名詞、誰がどう行うのか…そういった具体的な事実を集めることが、取材だ。
事実を集めて、味わいがなぜ実現できているのかを論理的に、根拠を明らかにしながら文章にして伝える。そうすれば、読んでくれた人は納得してくれる。
ここまでが、文章を書いて伝えることを仕事にする人が最低限しなきゃいけないことだと、ぼくは思う。
根拠のない「おいしい!」は、きっと誰かに怒られる。

でも一方で、事実を積み重ねた最後の最後に「だから、この店のラーメンはおいしい」と、その人の本音が見える瞬間があったりすると、ぼくはその人を信頼する。

そのファクトとオピニオンのバランスが、その人らしさだったりするのかもしれない。

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