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チャットの文字にも五分の魂
この3日ほど、人に頼ってばかりいる。
と、書いてみて、「おや。じゃあ、いつもは頼ってないんだ?」と思い返す。そんなことはない。この3日どころか、ぼくはいつもまわりに頼りっぱなしだ。
そもそも、記事を作るという仕事は、ひとりではできない。ぼくの最近の仕事は、「プランナー」や「ディレクター」としてサイトの方向性をお客さんと相談しながら決めていく役割が多いので、コンテンツを執筆してくれるライターさんと、仕上げてくれる編集者さんがいないと、仕事にならない。
さらに、契約とか面倒な手続きをまとめてくれる営業さん、サイトの調査を手伝ってくれるオペレーターさん、あと取材になればカメラマンさんも欠かせない。
そういった多くの人の尽力で、Webコンテンツはできていく。
ただ、いくつものプロジェクトが同時進行しているから、ときに渋滞や玉突き事故みたいなことにもなる。人間だから、ムッとすることもある。今日、少しだけそういうことがあった。
で、ひとつ気がついた。
ぼくは、その「ムッとした」ことを3倍くらいにうすめて、チャットツールであるSlackにそっと放っていた。1年前には、しなかったことだ。
ムッとしたら、その気持ちをまわりに見えないように包み込んで持ち帰り、発泡酒とスーパーで買った惣菜で流し込んでたものだ。
でも今日は、Slackにそっと放った。そのあと、「おお。いかんいかん」と我に返り、かといってコメントを削除すると見た人と見てない人ができるとおかしな感じになるから、「…なんてね。」と客観的に突っ込んでみた。そんなこと言うてますけどね、と。心配したようなことは、何もなかった。
もしかしたら、気分を害した人もいたかもしれないし、それは明日、会社に行ってみないとわからないけど、まあ、「そりゃあ、ひどいよ」と少しは共感してくれた人もいたようだった。
本音で話すと、チャットでも気持ちが通じる。
テキストだから、感情なんてわかりにくいはずなのに、不思議と相手に通じることがある。去年、社外のコミュニティで会話をすることが増えて、オンラインのチャットでも気持ちを込めて書くことの大事さを感じた。
協力してもらいたいとき、それは本当に良かったねと伝えたいとき、基本的なことだけど正しく知りたいとき、気持ちをこめて伝えることで何人もの人が助けてくれた。よろこんでくれた。
そういう経験が、ぼくをムッとした気持ちを3倍に薄めて伝える図々しさも育ててくれた。
頼りっぱなしは良くない。
でも、ときには頼れる関係があるというのは、とてもありがたい。頼らせてもらったぶんだけ、しっかり満足できるものをお返しすればいい。なんか、それでいいんじゃないかと今は思っている。
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