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生きている人たちのお寺に

愛知県岡崎市にある臨済宗の総持院は檀家がない。鈴木泰道住職は、寺院経営にも影響のある檀家制度をやめ、地域住民に寄り添い、信頼でつながって、お寺を運営していこう、と取り組んでいる。総持院に伝わる茶道を受け継ぎ、伝統文化を広める一方で、既成概念に縛られずに、マルシェなどのイベントを開催している。その理由を聞いた。


ご本尊のお顔は平安時代

――総持院のサイトを拝見しました。こちらは薬師堂をもとに開かれたお寺なんですね。
「そうですね。800年ほど前にあった薬師堂がもとになったので、山号が薬王山になったとされています。薬師如来は医薬の仏さまですし、お寺の名前になっている『総持』というのも、病気の回向という『総持は猶お妙薬の如し、能く衆の惑病を療ず』から始まるお経のようなものがあって、病気平癒のためのお寺がスタートだったと想像できるのですが、文献が残っているわけではないんです」
――ご本尊の阿弥陀如来像のお顔は平安時代のものなんですね
「数年前に学者さんが調べてくれて、お顔はめちゃくちゃ古いですよ、平安時代は間違いないだろうね、と言われました。本尊さんは古いです。
お寺を守る鎮守様の秋葉山大権現は『男川三尺坊』という名前がついていて、遠州秋葉神社とご神体の木が同じという話があります。これも何か書いてあるものが残っているわけではないのですが、大きな秋葉堂があることから、ある程度いわれがあるからなのかなと思います。小屋みたいな感じのものはありますが、総持院のように本堂と並んで大きなお堂があるところはあまりないので」

阿弥陀如来像(左)。手前から秋葉堂、本堂と並ぶ境内(右、総持院提供)

――開創1718年というのは確かな記録があるんですか。
「豊橋市にある臨済寺の隠居寺だったというのは確かです。吉田藩主の菩提寺の臨済寺は大きなお寺ですので文献が残っていて、開山の唱宗和尚はもちろん、総持院の和尚の名前があります。院とか庵とかは、隠居寺などの意味が含まれていますし。けっこう、こうやって歴史を紐解けますね。
法類というお寺同士の親戚づきあいがあって、私も臨済寺で修行をさせてもらいました。総持院は母のおじさんが住職をしていて、跡取りがいないということで私が弟子に入ったのですが、先代がすぐに亡くなってしまい、臨済寺で面倒を見ていただきました」

日本文化詰まる茶道を広めたい

――お寺の活動にはどんな特色がありますか。
「まずは茶道ですね。大正6年に総持院の住職となった玄海和尚は、やはり臨済寺の弟子で、臨済寺を継ぐ話があった方ですが、自分は茶道にじっくり取り組みたいということで、臨済寺を弟弟子に任せて、こちらに入られたそうです。玄海さんは行正(こうしょう)という名前もあり、今は宗徧行正流という茶道の分派となって、私が家元を継いでいます。教授者の一人である母がお寺で教室を持っていますし、11月には茶会が開催されます。岡崎市内の『暮らしの学校』というカルチャーセンターで私が『禅カフェ』という講座をやっています。茶道の中には日本文化が詰まっているんですよ。茶道人口は減っていく一方で、少しでも増やしたいので茶道を推していこうと思っています」

寺の茶室で茶道を教える鈴木住職(総寺院提供)

――ほかにもありますか。
「あとは年に一回のマルシェですね。これまでに5回、ゴールデンウイーク中にお寺で開いて、毎回50店くらい出店があります。私が雨男で(笑)、天気があまりよくないことが多かったんですが、600人くらいが来場していただき、天気がいい年は2000人近くいらっしゃる大きなイベントになっています。
12月には、約30年ぶりに復活させた火渡り神事を10年ほど前からやっております。座禅会などもやっておりますし、人生相談も受けています」

にぎわうマルシェ(左、総寺院提供)。座禅会(右、同)

行事で伝える「お寺はみんなのもの」

――とても開かれたお寺ですね。
「一般の人たちに寄り添うお寺づくりを目指しています。総持院は檀家制度がありませんので、『お寺はみんなのものだよ』『いつでもお寺を使ってね』と伝えるためにも、いろんな方が参加できるイベントを開催したり、本堂などを無料で使ってもらったり、なるべくしようとしています。例えば、お参り先の方が絵を描いていたら『うちで個展をやってみませんか』とお声がけすることもあります」
――檀家制度をやめたんですか。
「14年前の25歳で住職になりましたが、修行中にどんな僧になりたいのかという考え方はほぼ固まっていました。檀家制度なしでやった方が私は性に合っているなあと思っていて、当時、総持院は檀家さんが4件と少なかったので、説明をして理解していただきました」

「想う」が供養の第一歩

――檀家制度をやめるとどう変わりますか。
「檀家制度は、お寺はみんなのものという意識や、自分たちがお寺を支えているという意識が芽生えて、メリットは大きいんです。住職は代表してお寺に住んで、檀家さんから護寺会費をもらい、修繕などで大きな出費があるときには寄付を募ってお寺を守り、手紙を送って年忌法要の連絡をしたり、新聞のようなもので教えを伝えたりしています。
檀家制度をやめるので、手紙は送らないし、護寺会費も集めません、三回忌とか七回忌とかは自分で数えていただき、電話で連絡をもらえば、これまで通りお参りをします、とお伝えしました。
手紙が来ると受け身になってしまい、亡くなってからの年を数えなくなってしまう人もいる。それはどうかなと思います。自分で数えて『想う』ことが、私の中では、供養の第一歩ですので。
会費を集めると、ここはまだもらっていないとか、払わないから手紙を出さなくてもいいよ、と考えてしまう。そんなこと考えながらお坊さんをやりたくないなあと思いました」

選んでもらえる和尚を目指す

――お寺の運営やご住職の生活は経済的に厳しくなりせんか。
「なんとかしています。新しく私にお参りを依頼してくださる方も増えています。今の時代、改宗もライトなので、臨済宗でない方もお願いしてくれるようになってきました。何宗かというよりも、どの和尚が好きかで選んだりする方が増えて来ました。
私という存在をいい和尚だとか、親しみやすく身近に感じてくれたら、それでよしって感じですね。ちゃんとしていれば、お参りお願いします、って言ってもらえる。自信を持って紹介してもらえるように努力を続けなきゃいけない。
それに、もし檀家制度があると、マルシェをやりたいとなったら、檀家が集まって会議をして承認を得ないとできません。そんな遊びみたいなことをやるなとか、会場に音楽を流すのは許せないとか、言う方もいるかもしれません。総持院では寺婚活っていうイベントを開いたこともあります。簡単に言ったら合コンをお寺でやる。それも許可してもらえなかったかもしれない。やりたいことができなくなるデメリットも考えました」

総持院の鈴木泰道住職

――人間力が試される厳しさがありますね。
「ある知り合いの和尚からは『諸刃の刃を掲げたね』と言われました。檀家制度じゃない方が和尚の背筋は伸びる気はします。でも、それは一般の人が、社会のルールを守って、イメージを大事にしないと、というくらいのことです。そんなにまじめにはとらえないでください。檀家制度がない方が自分のなりたい和尚であれる、くらいです」

時代が変わるから、自分の心も

――どんなお寺を目指していますか。
「僕の根っこにあって、絶対に変えないことは、お寺を生きている人たちのための場所にしたい、ということ。供養ってすごく大事ですけど、供養も生きている人のためを思ってしなきゃいけない。お寺が、亡くなった後の場所っていうイメージを変えたい。
お寺やお坊さんが存在しているのは生きている人を導くためで、だから厳しい修行をして鍛えている。時代が変わるから、自分の心も変わるっていうのが基本的な禅の思想。頑固になるな、なんですよね。昔はこうだったからずっと、というのは禅僧としてナンセンスだなあと思っています」

寺名:薬王山 総持院
宗派:臨済宗
住所:愛知県岡崎市岡町西野々宮17


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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