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豊かさと幸せへ、学びの橋渡し

愛知県豊橋市の北部にある正圓寺は歴史と学びにあふれている。お寺の縁起が記された「寺譜」には702年の記述がある。市内で最も古く寺子屋が開かれたという記録も残る。住職の金仙宗宏さんは、教員でもあった父の宗哲さんから、7年前にあとを継ぎ、新しいお寺の歴史を紡いでいる。

ご本尊は平安時代末期の作

――702年といえば、奈良時代が始まる直前ですね。
宗哲さん「あくまで伝承ですので定かではありません。江戸時代の初め、当時の住職が口伝をまとめた寺譜に、702年に持統上皇が豊川を渡っている時、断崖の上に瑠璃光がさして薬師如来の姿が現れたので、鳳来寺山にいた利修仙人に薬師如来の像を刻ませた、ということが書かれているのです。
ただ、本尊の薬師如来像は平安末期の作と鑑定されていますので700年代作成は無理な話でしょうが、かなり古くから地域のみなさんの信仰を集めていたことは間違いないことと思われます」
――宗哲さんから、ご長男の宗宏さんがご住職を引き継がれたのはいつですか。
宗宏さん「2016(平成28)年ですね。1000年も前からある仏様がここにいらっしゃって、ずっと今までこの地で手を合わされ、拝まれてきたということは、それはやっぱりすごい。大切なものを受け継いだと受け止めています」

住職の金仙宗宏さん(左)と閑栖の金仙宗哲さん

宗哲さん「寺は当初、密教系でしたが、1358年に臨済宗となりました。江戸時代初めに600㍍ほど離れたところにあった寺が今の場所に移りました。その時の住職、南周和尚が妙心寺派に改め、初代となりました。今はそこから数えていますので、私は第13世となります。むかし寺子屋を開いていたという記録も残っていますし、私の先代も先々代も教育に携わっていましたので、幼稚園を始めたのです」

育てたい、主体性や自分を生かす姿勢

――最近、渥美半島の田原市赤羽根町でも認定こども園を開いたそうですね。
宗宏さん「昨年(2022年)の春に開園して、私が園長を務めています。大学は社会学部で学んで、2年半ほどサラリーマンをした後に修行をしてお寺に入ったんですが、幼児教育にかかわるということで、修行から戻ってすぐに大学の通信教育で学び直しました。幼児教育も変わってきているんです。かつては、小学校につなげるためにいろいろ身に着けようという感じでした。それも大事ですが、今は、先が見えない時代で、子どもが幸せに生きていくためにはどんな幼児期を過ごしたらいいのか、ということが大きな課題として考えられています。主体性とか、自分を生かしていく姿勢とかが求められていて、そこをきちんとやっていきたい。幼児期は幼児期の人生をしっかり幸せに過ごす、この時期を十分に味わうことによって人生が豊かになるんだ、と思っています」

正圓寺の山門

――宗哲さんは学校の先生をしていらっしゃったんですよね。
宗哲さん「犬山市や地元の豊橋市で小中学校の教員をしていました。専門は日本史です。教育委員会にいたり、新設校の校長をしたり、定年退職後は豊橋市の二川宿本陣資料館の館長をするなど、よい体験をさせてもらいました。寺の土蔵には焼けずに残っている古文書があります。一つ一つ紐解きながら見るのも楽しいですよ。やはり歴史が好きなんでしょうかね。住職をひいた人を閑栖(かんせい)といいます。『忙中閑あり』の閑で、ひまな隠居のはずなんですが、80歳になっても、なかなか忙しくさせてもらっています。有難いことです」

過去を紐解いていく楽しさ

――古いお寺なので蔵の中で発見がありそうですね。
宗宏さん「閑栖にお任せです。しっかりと調べて、分かりやすくしてくれると嬉しいなあって、楽しみにしています(笑)」
宗哲さん「豊橋市の中心部は戦時中、空襲で焼けてしまって古いものがなくなってしまったのですが、正圓寺のある地域は戦火を逃れたもんですから、残っているんですよ。本堂には立派なお駕籠があります。江戸時代、殿様が参勤交代で戻って来られた時に、住職がこのお駕籠に乗って吉田城まで新年の挨拶に行ったそうです。明治になって乗っていた人力車もありますよ。面白いのは、こんな片田舎なのに、松本藩や大垣藩や宇都宮藩とのやりとりの文書も出てきました。この寺の礎となっていた戸田氏の関連です。今まで手付かずだった寺の歴史もほぼまとまりかけました。多くの方々に支えられて来たことがよくわかりましたので、近いうちに寺の歴史をご披露しながら地域の皆さんに読んでいただくことができればと思っています」

蔵の中で古い文書を読む宗哲さん

珍しい名字が意味するものは?

――ところで、金仙(こんせん)さんというのは珍しい名字ですね。
宗哲さん「名字を調べるアプリがあるのですね。全国でおよそ10人って出てきましたよ」
――どんな意味があるんですか?
宗哲さん「びっくりするのですが、お釈迦さまのことを金仙というのです。明治時代になって国民全てに名字が義務付けられたのですが、その時につけたんでしょう。こんな畏れ多い名字はいかんですよね。若いころ、変えることを検討したこともありますが、名字を変えるのはかなり難しいということで、そのままでいるんですけどね」
宗宏さん「大学時代に実家が寺だということを友達には言っていなかったんです。卒業する前に言っておこうと思って伝えたら、『そうじゃないかと思ってた』と言われて。名字が珍しいので、そう思われていたのかなあと。初めて会った人に名字を伝えると、聞き返されることもあって、不便だと思っていた時期もありますが、一度覚えてもらえば間違えないでしょうし、最近はいいかなと思っています。それにしても畏れ多いですよね」

明治時代の人力車

ニコニコ集い、気持ちのいいお寺に

――歴史や学びにあふれた正圓寺をこれからどんなお寺にしていきたいですか。
宗哲さん「矢田石材店さんと一緒にオープンさせた『豊橋牛川はなえみ墓園』は、地域のみなさんと寺が交流するきっかけになりました。大きくなりすぎた木を伐採したり、墓地に点在していた弘法さまの石像を並べたり、檀家のみなさんの積極的なご協力できれいに整備されたのは、花で彩られる『はなえみ墓園』に負けるなという気持ちからかもしれませんね(笑)。久しぶりに開催できた3月の弘法さまのおまつりもとてもにぎわって、明るい雰囲気になりました。みなさんが明るくニコニコと暮らしていただける世の中が続くといいなあと思います」
――ご住職はいかがですか。
宗宏さん「来るだけで『いいなあ』と思ってもらえるお寺にしたいですね。いつもきちんと細かいところまで目が行き届いていて、散歩するのが気持ちいいと思える道があったり、境内の草花や竹林や樹木の息づいている中で、自分の存在や生命を感じられるような雰囲気があったり…。あとは、お寺をみんなに使ってもらう場としたいですね」
――行事をされたことはありますか。
宗宏さん「去年の秋には、私が大学時代に入っていたバンドサークルの友人が、東京から来てくれて、ライブをやりました。沖縄出身の彼は三線でロックをやっているんですよ。楽しかったですね。お客さんも30人くらい集まって。もっと大勢集まってほしいんですが、コロナ禍なのでちょうどいいくらいでした。私はドラムだったんで一緒にやると面白いかなと思ったんですが、友人とはいえプロなので、練習もしっかりせずにバックでたたかせてと言うのは失礼かなと思い、今回はやめました。最近、サブスクで音楽を聴くようになって、やっぱり自分は音楽が好きなんだと再認識しました。赤羽根のこども園へ毎日、片道1時間くらいを通っているんですが、車の中でずっと聞いています」
――どんな曲を?
宗宏さん「レッドツェッペリンです。疲れた帰り道で聞くと元気がでますね‼」 

寺名:瑠璃山 正圓寺
宗派:臨済宗 妙心寺派
住所:愛知県豊橋市牛川町浪ノ上13


永代供養のついた安心のお墓「はなえみ墓園」。
厳かな本堂でのお葬式を提案する「お寺でおみおくり」。
不安が少なく、心のこもった、供養の形を、矢田石材店とともに考える、お寺のご住職のインタビューをお届けします。
毎月の第2、第4月曜日に更新する予定です。

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