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第1話 いつもの風景

 今朝の血生臭いニュースが頭をよぎる。
 都会の喧騒は、胸糞悪いニュースを忘れさせてはくれない。
 僕は、車内から窓越しに映る人混みが見えないよう、曇ガラスに変更するようにスイッチを入れた。

 指先が震えている。
 自分の手の形状が、首元に締め付けられた手形を連想させて、ますます気分が悪くなる。

「おいおい、そんな様子でどうすんだ」
 助手席からそう呼びかける声が聞こえる。
 その野太い声は、これだから新入りはと言わんばかりに語ってみせる。
「最近、若いヤツと女が自殺するニュースは良くあることだろ。お前もいい加減慣れろよ。分かってたんだろ?仕事で現場に行くことくらい」

 そう分かっていた。この世に病気のように蔓延る空気感。
 家から一歩外に出れば、街を見渡せば、襲ってくる感情の波。

 数日前に電話をした親友が自ら命を断った。
 久しぶりにあった彼は、目の下にクマを作り、安らかに眠っていた。
 誰が彼をこんな姿にしたのかは、判明していない。
 犯人はいない。やり場のない気持ちと、自らが犯人なのではないのかという疑いの視線が、間違いなくお経の念仏とともに会場内を満たしていた。

「俺の女房もこの前死んだよ。全く、糞ッタレな人生だよ」
 上司は、珍しくタバコを口に加えて、悪態を突く。
 足をフロントガラスに向けてぶん投げて、ポケットからライターを取り出す。
 すると、すぐさま僕らを監視している運転席用の座席向きカメラが赤く光る。
 レンズが動き、上司を注視し、警告音を鳴らす。

 上司は、警告音を無視して、つぶやく。
「お前もさ、親友が死んで辛いのはわかるけど、彼女いるんだろ。彼女だけには辛い顔見せるなよ」

「次の現場は、どこですか?」
 僕は、指先を噛んでフロントガラスに投影されている地図を見る。

「また自殺現場だよ。今度はマンションだな」
 最近、間違いなく件数が増えている。
 車窓から見える景色は、限りなく美しい。

 その美しさは、なにか屍の上に成り立っているようにしか、思えない。
 まるで仮面の裏に何か表情を隠しているかのように。
 僕達が現場に赴かない限り、真実は闇に葬られたものになる。

 噛み跡がある指先を隠すように、拳を作り、自らに喝を入れるために、強く握りしめる。
「この世に希望はあるんですかね」
 僕はつぶやく。

「ねえよ。ほら、行くぞ。着いた」

 ーーーーーーーー
 ベランダから、眩しい日差しが差し込んでいる。綺麗に使われた一室は、生活感は感じるままに、どれもきれいに整頓されていた。

「なんだか、気持ち悪いな。これ、ほんとにここで、生活してたのか?」
 上司はつぶやいて、じろじろと、きれいな床を見つめる。
 そして、耳についた記憶端末に軽く手を触れ、部屋の隅々までの情報を記録する。

 上司に連れられ、部屋の奥を除くと、学習机が置いてあり、机に真っ白い紙が畳まれて置いてあった。

「最近、増えてるようですね。原紙の購入者」
 僕は、太陽光に照らされている紙を見つめる。もはや旧世紀の産物となったそれは、古臭いながらも、しっかりと異彩を放っていた。

「遺言か。ボイスメモでも残せばよいのに、律儀な奴だったんだな」

「データは残らないですからね。何も。消えたら、もう復元できません」
 僕は、そう言って、優しく現場検証の為に、遺書に触れる。
 僕の触った感覚はすぐさま、公的検証機関に転送される。
 僕の見たもの、触れたものはすべて、データとして記録されるのだ。

 この遺書には、筆者の感情が記されている。大切な人たちへの言葉。
 世界は感情の行き場を失っている。デジタル世界が人々の感情を膨大に吸収しているように見えて、画一的な美的欲望のみ、吸収する。

 この人は、なぜ自ら命を絶ったのか。それは、行き場のない感情の行き先を求めた行為なのかもしれない。

「おい。そっちは」
 上司の声がした瞬間、手を止めようと思ったが、既にもう遅かった。

 水の滴る音。苦い鉄のような匂い。赤く染まった浴室。
 遺書の書き手は、浴室で死んでいた。

 一瞬、頭がクラっとした。なんとか、正気を保とうと前を向いたときに、命を経った本人と目が合った気がした。

 生気のない目。色白い肌。
 僕は、地面に膝を着け、両手を合わせて、目を閉じた。

「おい。大丈夫か。また、倒れてんじゃないだろうな」
 急いで、上司が駆けつけてきたので、僕は、目をつむったまま、大丈夫です。と返事をした。
 上司は、安堵の息をつき、ゴソゴソと自らのスーツのポケットに手を入れた。

 そして、いつものように注射器を取り出し、自殺者の血液の採取を行う。

「血液の採取ですか。今回は採取するんですね。何か、気になったことでもあるんですか?」
「ああ、前回は飛び降りだったから、もう爆ぜてただろ。今回は、きちんとモノが残っているから。採取するんだ」

「そうなんですね。その血液から何かわかるんですか?」
 僕は学校の授業で習ったことを思い返す。
 現場の検証に役立つような、有益な情報を得られる話は聞いたことがなかったからだ。
 だいたい、僕らの検証したデータが送られるデータセンターが解析を行って、すぐに同様の事件が起こる可能性を人物関係グラフから割り出して、次の仕事が決まる。
 だから、僕らの仕事は、現場の検証と次の命を救うことだ。

「これは、ココだけの話なんだが。自殺者の血液には特定の関連因子があるんだよ」
 上司はそう言い、不敵な表情を浮かべた。

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