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親友

時は遡り、20年以上前。

わたしは家から3分の小学校に入学した。

もともと人見知りの凄い性格だったので、初日はドキドキを超えて地蔵のようになっていた。

そんな中、初っ端から「おともだちになってください!」とアニメのようなせりふを言ってきた子が。

それがのちにわたしの親友になるのである。

私達はそれからずっとふたりきりで遊んだ。ほとんど彼女が毎回我が家に来てくれて、おうち遊びばかりだった。

そして、初日にはわからなかったが、実は彼女はものすごい人だった。まず、とにかくなんでも!!なんでも出来る!!

周りと比べて、字は群を抜いて綺麗。絵も群を抜いて上手。大人と話す時の受け答えも、習い事の数もすごかった。クラスの中で、確実に頭一つ出ていた。いや二つくらいは出ていた。

そんな彼女となぜかわたしがセットになってしまった。でも彼女は私を見下すことなんて絶対にしなかったし、他の誰かをそういう風に見ることもなかった。でも、超偽善的というわけでもなく、ちょっとした文句や何かに意見したりすることもあって、しっかりとした意思を持っている彼女は常にかっこよかった。

だからわたしは、彼女と一緒にいることがとても好きで楽で楽しくて、誇りに思えて、そして虚しくなった。低学年女子特有の嫉妬もしたりした。まわりの女の子は、彼女の持ち物や、描いたイラストを真似したりしていた。ファッションアイコンにもなっていた。

そうやって、彼女はわたしとずっと居たはずなのに、どんどん遠くに行った。でも彼女は、わたしに対しての態度は変わらず、「一番仲いいのはあなただよ」と言ってくれた。


そして小学校5年生のとき。初めてクラスが別れた。ずっと4年間毎日一緒に登校して、同じクラスに入って、休み時間べったり過し、放課後も彼女の習い事がない日は遊び、それが続くと思っていたのに。

クラスが別れて、わたしはなんとも言えない気持ちになった。寂しくて不安で怖くてたまらなかった。彼女と同じくらい仲の良い子はおらず、これから誰とどう過ごせばいいのかと思っていた。

だが、数日過ごしてみると、クラスのみんなが「わたしを」見てくれている、「わたしに」話しかけてくれている、ことに気付いた。みんなの目や言葉がわたし自身に向いている。

それは、わたしがわたしになった瞬間だった。


いつも二人でいたからなのか、その相手が彼女というスーパー人間だったからなのか、いままでわたしは自ら影にいき、「目立とう」なんて考えたこともなかった。自分はそういう人間じゃないのだと思っていた。決してネガティブともまた違う、自分はそういうことをする人ではないと思っていたのだ。そういうことは、そういう星の元に生まれた人がするもんだと。

でも、みんながわたしを見てくれていると気づいた時、「こんなこと言ってみようかな」「こんな提案どうかな」「こんど誘ってみようかな」と自分からなにかしてみようという気持ちが出てきた。そんなふうに変わっていく自分に、驚いてでも嬉しくて、こころからドキドキしたのを覚えている。10年間の今までの自分はなんだったのだろうという感じだ。

だが、本当に悔しいことに、彼女は当たり前のように新しいクラスで変わらぬ自分で過ごしていて、ああ好きだなあ叶わないなあと思った。


現在、彼女は大学を出てバリバリに働いている。地元を出て関西で長いこと頑張っている。

かたやわたしは結婚し一児の母。そんなわたしを彼女はすごいねと言ってくれる。ちなみに結婚式の親友代表スピーチをお願いしたら、もの凄い推敲された文章をひっさげてきて、ゲスト達も驚愕、新婦のわたしはその相変わらずさに終盤笑いが止まらなかった。泣き笑いになってごめんね。


今日は、その結婚式でのあなたからの手紙がふと出てきたので、この文章をかきました。

あなたが結婚することがあれば、わたしが手紙をかいてもいいかな。あなたの前に立つとどうしても6歳のわたしに戻ってしまいますが、胸を張って親友代表って言ってもいいかな。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


#キナリ杯

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